第2話 2095年 ハデスとゼウス
「ゼウスとハデスがチェスを始めたみたい」
文字列が流れるモニターを見ながら
猿山今日子が言う。
なにを言っているのか理解できない
ここに来たばかりの犬井涼子。
流れる文字が、チェスに視えるの?
ここは、ネームドAI達のための
コントロールルーム。
「ポセイドン、可視化して正面に表示して」
今日子が指示すると
巨大なホログラムが室内に広がる。
下の方には「ハデスVSゼウス」の表示。
ホログラムに映し出された映像は
チェスのようでチェスではない。
チェスボードであろう表示は
64マスではなく
映像の果てまで広がっていた。
そのチェスボードの上には
駒が、無数に並んでいる。
その駒達は、各々が自在に動き
正確な視認は困難なほど
出現してはロストを繰り返している。
今日子はホログラムの中の
近くにあった見たこともない
異様な姿の駒に
手を触れてスワイプする。
駒にはネクロマンサーの表示。
「なんなんですかこれ」
犬井がつぶやく。
「既存の駒ばかりでは」
「埒があかないから新たに生成したのよ」
今日子は、空になった湯呑を回して続ける。
「この盤上の裏では、互いに」
「ルールそのものを生成したり制限したり」
「視えない攻防があるのよ」
「そのうちボードの制約だって」
「再構築するはずよ」
そういうとチェスボードは3層に増えた。
「やるわね」
今日子は嬉しそうに呟く。
「ルールの無いゲームなんて、反則だわ」
「こんなのチェスじゃない」
犬井は否定するが
「単なる力比べにルールなんて必要ないの」
「若いくせに頭かたいわね」
犬井は舌打ちしながら言い返す。
「その発言、若者へのハラスメントですよね」
チェスボードは変化を続け
無限の立方体になる。
「思考が行き詰まる度に」
「なんでもハラスメントにしちゃうんだから」
今日子は、笑っていた。
「そろそろ双方の演算臨界点に達する」
少し危うい状況に今日子の表情が曇る
状況がつかめず不服顔の犬井。
高学歴で若い犬井には判別できないのに
会社のお局の今日子は状況を把握している。
「今日子さん、どっちが優勢なんですか」
悔しくても質問できるのが犬井のいい所なのだが
「野暮なことは聞かないで」
険しい表情の今日子は一刀両断にする。
「白い駒がゼウスで、黒い駒がハデスよ」
分かっていると言いたげな犬井だが
彼女にはどちらが優勢かは分からない。
ホログラム全体に黄色い光が点灯し始める。
立方体のあちこちで
白と黒の点滅のスピードが上がる。
そんな状況の中
100マス分の大きな白い駒が出現した。
「いけない」
今日子は呟き、コンソールに手を伸ばすと
コンソール自体がスッと消えた。
「止めなさいゼウス!」
巨大な白い駒のさらに倍の大きさの
黒い駒が出現したが
先に出現した白い駒のほう
ゼウスの駒が電子音声を発する。
「貴方の名はハデス、敬意をこめて」
その声に今日子の眉が上がる。
ゼウスのセリフが犬井に届いた時には
ハデスが沈黙していた。
ボードがバラバラと勢いよく崩れ
64マスの通常のサイズに戻り
ホログラムの中は
スタート時の配置に戻っていた。
ただ、黒い駒は、ない。
ハデスは、沈黙したまま。
やがて、ホログラムの中で
雪が降り始め
風景を白く染めて、消えた。
五分前まで楽しそうに観戦していた
今日子の表情に
余裕は消えてなくなっている。
「どういうつもりなの、ゼウス」
今日子の表情は一段と険しく
犬井は、状況を把握できずにいた。
「なにが起こったんですか?」
この状況、本社の執行部も
見ていたはずなのに
止めもしないなんて……
冷えてきたと思ったら
映し出された窓の外でも
雪が降り始めている。
この事件の後
ハデスはいつの間にか
ゼウスの管理下に配置されていた。
この体制改変に
人が介入する余地はなかった。
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