飲み会は誰かに許可を取ったわけでもなく、無礼講だった。
大のオトナが幼児のように騒ぎ、ふざけ倒す。すべての絡みが余計なお世話で、この世の終わりが数時間続いた。
そんな振る舞い、あるいはアルコールが脳にこびり付いてしまったのか、体調が目に見えて悪くなり始め……
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余裕がなくなると、物事の優先順位がおかしくなる。極度に視野が狭くなって、自分の仕事は社会という基盤の上にあることを忘れたり、フォーマルとカジュアルの距離感を忘れたりする。
要するに傍から見るとおかしい行動を取るようになる。
その混乱ぶりが表現されている本作だが、作中の前半と後半における対比は一つの教訓を教えてくれる。
誰しもが羽目を外したい。
社会の中で揉まれ、抑圧されてきた欲動を解き放ちたい。
皆が多かれ少なかれそう思っているからこそ、「許される」場としての飲み会があり、理性を壊して酔いをもたらす酒があり、無礼講という大義が存在するのだ。
言うならばこれは、ゴミ捨ての日なのだ。生活する限り、ゴミは溜まる。溜まったばかりではどこもかしこもゴミ屋敷になってしまう。
だからこそ、人々は醜い部分を曝け出す時間を設けたのだ。
ゴミを間違った曜日に捨ててはならない。許されない時に羽目を外してはいけない理由はそこなのだ。