全四話、7,500字ほどの掌編です。語り手はシングルファザー。
夏休みに突入した息子さん(小一)は、ありあまる元気で初日からお父さんを振り回します。お父さんにとっては苦労も多いけど、息子さんと過ごす時間の増える、大切な季節です。
仕事は忙しく、子育てとの両立は毎日が時間との競争。生活もけっして楽ではないようです。まわりの家庭とついつい比べてしまうのも、無理のないこと。
それでも、お父さんと息子さんのやり取りは、読んでいて思わず笑ってしまったり、ときにホロリと来てしまう温かさにあふれています。
ある日、お父さんは、なんとか時間とお金をやりくりして、息子さんをキャンプに連れていきました。
慣れないバーベキューで、ようやく食事にありついた親子。ハイペースでお肉を食べていた息子さんが、突然、予想外の反応を見せます。
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ふと君は取り皿を置いて、箸を止めた。
「ん、どした? ほら、これも焼けてるよ」
笑顔を作って肉を差し出せば、君は首を振る。
「お父さん食べて」
「ん? お腹いっぱい?」
君は首を振って、私の取り皿に肉を移した。
と思うと、焦げたピーマンを取って、ぱくりと食べる。
「あれ、食べれるの?」
「食べれるよ! 給食で出るもん」
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小さな出来事ですが、天真爛漫なようでいて、しっかりお父さんを気遣うこともできる優しい息子さん。
お気づきでしょうか。
一人称の語り手(「私」)であるお父さんは、息子さんに二人称(「君」)で呼びかけています。
一人称や三人称の小説はたくさんありますが、二人称の小説はほとんど例がありません。あったとしても「偽装された一人称」と見なされることが多いようです。
でも、この物語の二人称には、しっかりした理由がある。
息子さんを、たとえば、名前で呼ぶ書き方もできたでしょう。「息子」とか「彼」でも物語は成立したかもしれません(実際、「息子」という言い方は出てきます)。
でも、そうしていたら、お父さんとの微妙な距離感は失われていたでしょう。「彼」のようによそよそしくはない。でも当然「私」の一部でもない。また、単独でストーリーの語りを担える主体にもなりきっていない息子さん。
三人称になってしまう前の、一人称にかぎりなく近い二人称。この「一・五人称」の間柄こそ、この物語を支える距離感なのです。
ご存知の方も多いかと思いますが、作者の星太さんは、とてもスケールの大きいファンタジー作品を書かれている書き手さんです。
ただ、広い時空をまたぐ舞台で波乱万丈の物語が展開するだけでなく、登場人物たちを結びつける感情的なつながりこそ、星太さんの物語世界につながりと現実感を与えているように思います。
あの壮大なファンタジー作品を支えているのも、本作に見られるような、身近な誰かを大切に思う気持ちなのかもしれません。
父と子の、長いようで短い夏休みを綴った物語。毎日を全力で楽しむ息子さんは、いつの日か、近くで見守ってくれたお父さんの笑顔を懐かしく思い返すのでしょう。遠い星々の光を散りばめた、夏の夜空の広がりとともに。