第45話 予想外
【落とし物】の光点は、この二日、ほとんど同じ場所に留まっていた。
投獄から解放された後、結城がどこかに潜んで動かずにいるのは、こちらとしても好都合だった。ステータスの回復か、あるいは次の一手の準備か。理由は分からないが、動かずにいてくれる分には、追う側としては楽だった。
郊外の廃坑跡。人通りの少ない、狩場としても人気のない一角だ。潜伏には、悪くない場所を選んだらしい。
「――行くぞ」
ハイイロの姿のまま、俺は物陰から、その入り口を見据えていた。
隣には、ナナが息を潜めている。
いつもの軽口も、今は鳴りを潜めていた。空気の張り詰め方が、これまでとは明らかに違う。
「本当に、気づかれてないんだよね?」
「今のところはな」
短く答えながらも、内心では、油断なく気配を探り続けていた。
――だが、この後が問題だった。
ハイイロには、決定打になるような攻撃手段がない。奇襲を仕掛け、実際に仕留めにいくには、どこかで【クロ】に切り替える必要がある。
アカウントの切り替えには、通常であれば数分を要する。だが、あらかじめ十分ほどかけて、メインとサブの開始地点を、この場所に同期させておいた。切り替えさえ間に合えば、離れた場所に飛ばされる心配はない。
問題は、その数分間、誰も動けなくなることだった。
「勝負は一瞬とはいかない。俺が消えてる間、頼む」
「了解。私は援護に回る」
頷き合い、俺たちは廃坑の奥へと、静かに足を進めた。
薄暗い坑道の奥、焚き火の跡の傍らに、あの見覚えのある背中があった。
――今だ。
物陰まで引き、意識を切り替える。
【クロ】へ。
視界が暗転する。ヘルメットの中、現実の静寂だけが、やけに長く感じられた。
三分。頭の中で、数字だけをただ数え続ける。
その間、結城に動きがないか。ナナは無事か。何も確認できないまま、時間だけが過ぎていく。
――長い。
ようやく、視界に光が戻った。
坑道の中。ナナの視線と、一瞬だけ交差する。
異変はない、はずだった。
俺は、物陰から静かに歩み出し、結城の背後へと迫った。
――キルする。それだけを考えていた。
得物を握り直し、無防備な背中めがけて、一気に踏み込む。
だが、届く直前、結城の姿勢が、ふっと変わった。
躱す、のではない。
体を沈め、そのまま横へ――ナナのいる方向へ、迷いなく駆け出したのだ。
「な――」
「【暗殺】」
低く告げる声と同時に、結城の姿が、瞬時にナナとの距離を詰めていく。
――しまった。
キルの手を止め、俺は反射的に、ナナの方へと体を向けた。
だが、遅い。
結城の指先が、すでにナナの肩に触れていた。
にやり、と口の端が吊り上がる。
「悪いが、その手はもう通じない」
意味を測りかねるまま、俺は迫る結城へ、とっさに腕を伸ばした。
キルは、もう諦めた。ここで確実に、動きを止める。
「投獄」
短く告げた、その瞬間。
「【身代わり】」
低い声が、坑道に響いた。
直後、俺の【投獄】の光が、結城ではなく、ナナの体を包み込んだ。
「――え」
戸惑いの声を最後に、ナナの姿が、光の粒子となって消えていく。
「そんな……」
呆然とする間もなく、結城が、こちらへ距離を詰めてきた。
「一対一の方が、都合がいい」
冷たい声だった。
援護は消えた。奇襲は失敗した。何より、あの投獄の失敗が、致命的だった。
――まずい。
頭の中で、状況を整理しようとするが、うまくいかない。
分かっているのは、たった今使った切り札が、完全に無効化されたという事実だけだ。奴が何をしたのか、正確な仕組みは分からない。ただ、確かに何らかの力で、投獄の矛先をねじ曲げられた。
反射的に後退るが、坑道の奥は、逃げ場のない行き止まりだ。
結城の手が、静かに懐へと伸びる。
刃が、鈍く光を反射した。
「今度こそ、終わらせる」
足がすくむ。防御の手段は、もう残っていない。
――ここまでか。
そう思った、その時だった。
「――そこまでだ」
聞き覚えのない、それでいて、どこか力強い声が、坑道に響いた。
結城の動きが、初めて止まる。
暗がりの奥から、鎧を纏った人影が、ゆっくりと歩み出てきた。
がしゃり、と金属の音を立てて、その男は、俺と結城の間に、躊躇なく割り込んだ。
「あんたは……」
見覚えのない顔だった。だが、その佇まいには、確かな覚えがあった。
かつて、掲示板の写真で何度も目にした、堂々とした立ち姿。病室で見た、憔悴しきった姿とも、また違う。
今、目の前に立つ男には、静かだが、揺るぎない意志の光が宿っていた。
「名乗るほどの者じゃない。……いや、そうだな」
男は、剣を静かに構えた。
「ガラハッドと呼んでくれ」
「何だ、お前」
結城の声に、初めて苛立ちが滲む。
「横槍を入れるつもりはなかったんだがな。……だが、これ以上は、見過ごせそうにない」
ガラハッドと名乗った男の視線が、一瞬だけ、俺の方を向いた。
その目の奥に、確かな覚悟の色が見えた。あの病室で見た、力ない目とは、まるで別人だった。
「借りを返しに来た。それだけだ」
三人の間に、張り詰めた沈黙が落ちる。
結城の視線が、ガラハッドと俺の間を、忙しなく往復していた。
明らかに、予定外の乱入者だ。だが、怯む気配は微塵もない。
「二対一なら、勝機があるとでも?」
「さあな。やってみないと分からない」
飄々とした答えに、結城の眉が、微かに歪んだ。
苛立ちなのか、あるいは──得体の知れない相手への、わずかな警戒か。読み取れるほどの余裕は、俺の方にはなかった。
その言葉を合図にしたように、ガラハッドが、地を蹴った。
俺も、震える足に力を込め直す。
――まだ、終われない。
刺された時の痛みも、投獄が弾かれた衝撃も、今はまだ、立ち止まっている理由にはならない。
ナナは、投獄された。だが、あれもいずれ解放される。今はただ、この場をどうにか凌ぎ切ることだけを考えればいい。
坑道の中に、三つの気配が、一斉にぶつかり合った。
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