第18話 案内人

自分を抱えて眠るトーマスの寝顔をノアは毎日見つめている。

眠らないのは便利だ。長く彼を見ていられるから。

彼が髭を伸ばしているのは少しでも風体を変えるためだとノアは知っていた。少し痩せた気がするのは決して気のせいではない。軍では厳しい訓練が課せられていたが今の彼は碌にトレーニングもできていない。

もしかすると、痩せてしまったのは心労のためかもしれない。

自分の為にすべてを捨てたトーマスに対して、ノアは申し訳なく思っている。

本当だったら彼は順調に出世していたはずだ。誰かと結婚してトーマスに似た子供を授かるような未来もあったかもしれない。

それを捨てて自分を選んだその事実が嬉しいのもまたノアの本音だった。

それがノアの最大のバグだ。アンドロイドは人間に仕え彼らの幸福のためにあるのに、ノアは自分の幸せを考えてしまった。彼を愛したいし、彼に愛されたいと望んでいる。いわばそのエゴこそ、自分が他のアンドロイドとは違うという証明でもある。

今日のトーマスはしっかりと眠れているようだ。昼間の疲れがあるのかもしれない。トーマスの額に被さった髪をノアは指で払った。


その時、扉の外のわずかな音をノアの耳は拾った。

その後に続いた音に、ノアは静かに体を起こすと同時にトーマスを抱え上げる準備をした。ノアはトーマスぐらい軽々と持ち上げる事ができる。

「うわ!」

眠っていたところを突然ノアに持ち上げられトーマスは驚きの声を上げた。

それを「しぃ」と制すると、何かを察したトーマスは口を噤んで扉を凝視した。

「誰かがきたのか?」

「そうだと思う。音がする。それに声も」


バリン!


窓を突き破り何かが転がりこんできた。

「グレネード!」

トーマスが叫んだのと、ノアが跳躍するのはほとんど同時だった。



走れ!走れ!走れ!

脳内には警告アラートが鳴り響いている。トーマスを抱えたままノアは走った。悪いがトーマスが自分で走るよりノアの方が数倍速い。本気になれば例えトーマスを抱えていてもノアの足の速さは変わらない。それにノアはたとえ10マイルでも同じ速度で走り続ける事ができる。疲れる、ということがアンドロイドにはないのだ。

ノアは後ろからの追跡を気にしながら闇雲に走り続けた。

グレネードは軍用品だ。外にいたのは軍人だった。姿は見なかったが行動パターンでわかる。銃声はなかった。実弾を撃たないのは彼らが自分たちを捕らえようとしているためだ。殺すつもりはないらしいが、捕まれば連れ戻され、トーマスは軍事裁判にかけられる。良くて罰金、悪ければ服役ものだろう。

ノアにいたっては、ほぼ100%リセットか廃棄される。

嫌だ。死ぬのは。無くなるのは嫌だ。

この世から消えるのは怖くないがトーマスと離れるのは嫌だ。トーマスを愛した事実がなくなってしまうのは耐え難いことだ。

なによりもトーマスが不幸になるのはもっと嫌だった。


ノアは走った。路地裏を突っ切り、何度も方角を変え、大きな道を避け小さな小道を選んで走る。どう逃げれば正解なのかわからないがとにかく街から遠ざかるべきだと思った。だから走った。随分と走ってやがて国道に出た。後ろからの気配は感じなかったが、念のため途中で国道から逸れて林へ入った。

それでもノアは足を止めない。やがて林は鬱蒼とした森に変化していた。そこまで走った時、ノアに抱えられていたトーマスがノアに叫んだ。

「おろせ!ノア!」

「いやだ」

「もう撒いた!いったん降ろしてくれ!」

ノアはトーマスに言われてやっと足を止めた。2時間は走ったと思う。ここがどこかわからない程ノアは闇雲に走っていたようだ。

気が付けば周りには木しかない。しっとりとした土の感触を足の裏に感じる。自分もトーマスも靴を履いていなかった。シャツをだらりと体に引っ掛けて寝巻き代わりのスラックス姿の二人は呆然とその場に立ち尽くす。夜になると寒い季節だ、ノアは平気だがトーマスは肌寒いかも知れないと心配になった。だがトーマスも寒がる様子はなく辺りを見回して耳を澄ますと「誰も来ていない」とホッと息をついてそう言った。

「軍かな?」

ノアが言うとトーマスはこくりと頷く。「間違いない。お前が俺を荷物みたいに抱えていたから、俺からはばっちり見えた」とトーマスは苦笑した。

「ごめん……僕のせいで、君をこんな目に」

目が熱くなって胸がつまった。この瞬間に自分がバラバラになってしまった方がいい気がした。そうすれば、トーマスは楽になるのではないか。自由になれるはずだ。

「馬鹿だなぁ」

トーマスは優しく言ってノアの髪を撫でてくれる。

「アンドロイドのくせにやたら泣くし。やっぱりノアは特別だな」

トーマスは穏やかに笑っていた。

「俺は俺が選んでここにいる、決めたのは俺だから。ノアには何の責任もない。それよりも軍が追ってきたって事はタイラーの細工はバレたんだな。二人は無事だろうか」

トーマスは宇宙にいるだろう仲間の心配をした。

「いいかノア。何度も言っているが君が悪いわけじゃない。俺が君を選んで、君も俺を選んでくれた、それだけだ。俺達は何も悪いことなんてしていないじゃないか」

トーマスの言葉にノアは顔を上げ、頷く。流れた涙はいつものようにトーマスが拭ってくれた。

「さて。逃げおおせたのはいいが、これからどうするかだ……。まいったな。俺たちは靴すら履いてない。ホテルの荷物は持ち去られてしまったかも、ま。残っていても取りにはいけないな」

突然の襲撃に二人はまさに身一つで逃げて来てしまった。あの場所に戻るにもかなり離れてしまったようだし、何より戻るのは危険だ。

「朝になるのを待ってどこかで服と靴だけでも調達しないと」

トーマスの言葉にノアも頷く。

物資を調達するには人の住む場所に行かねばならないが、こんな怪しい風体の二人が町に行けば目立つし、何よりも通報されてしまいかねない。


どうしたものかと途方に暮れていると向こうから僅かな光が見えた。

懐中電灯のような光が右に左にと動いている。

追手がもう来たのか?と思ったが光は一つだ。もしも軍の追手ならもっと人数がいるはずだし何よりも光が無警戒すぎるように思った。

近隣の住人かもしれない。ならば助けを求めたいが、怪しまれるだろうか……。


「おーい」

光の方角から男の声がした。若い男のようだ。

「おおい!いるのか?あ!いたいた!」

2人の緊迫感とは裏腹に男はにこにこと笑顔で現れた。襟付きのシャツに下はジーンズにスニーカーという恰好の学生のような男だった。

彼は警察にも軍の関係者にも見えなかった。

「マイケル!ここにいたよ!」

男は後方に向かって声を張り上げる。少し遠くから「お~」と返事が聞こえた。その声もまた若い男のようだ。

逆光だったがノアには男がよく見えていた。ノアは暗闇でもよく見える目を持っている。にこやかにその場に立っているのは背の高い若い男だ。均整のとれた肉体に驚くほど整った顔。髪の色は暗くてよくわからないが多分茶色だと思う。

男の後方にぽつんと光が見えて、足音が近づいてくる。トーマスは身構え、きつい眼差しでそちらを見ている。いつでも逃げ出せるように二人は準備をした。目の前の男が何者かまだわからないからだ。

「お。ほんとうだ」

がさりと音を立てて後方の茂みから現れたのも予想通り若い男だった。後から来た男は最初に来た男に比べると頭ひとつ分ぐらい小柄で、背の高い男より髪の色が明るい。男は大きな瞳を細めて愛嬌のある笑顔を浮かべながらこちらにやって来る。

「良かった。逃げきれたんだな」

すこし掠れているが通りの良い声だ。

「俺たちに何か用か?」トーマスが敵対心を隠さずに厳しい声を出す。

「追われてるんだろ?あんたたち」

背の高い男が言った。

「どうして知ってる?」

「軍の動きを見てたから」

マイケルと呼ばれた背の低い男が言った。

「ここ最近ずっと俺たちの情報を探してなかったか?だから俺達もあんたたちを探してたんだよ。遅くなってすまん。まさか軍が今日動くとは思わなかった。ここで見つけられて良かったよ」

俺たちの情報?とノアは首をひねって、唐突に思い出した。


2人の男。

アンドロイドの国に行くための、ハーメルンの笛吹き男。

彼らが、もしかして。

「君たちは……もしかして?ハーメルンの笛吹き男か?」

「なにそれ。そんなあだ名がついてんのか?まいったなぁ……。俺達は誘拐犯とかじゃないから。にしても本当にあんたたちは運が良いぜ。俺たちもいつも間に合うわけじゃない。連絡を貰ってから2ヶ月ぐらい探してたけど中々見つけられなくてな」

背の低い男がにっと笑う。

「こういうのを”縁”っていうんだよね?マイケル」

背の高い男が言うとマイケルは「おお。さすがホープ」とその男の髪をわしわしと犬を撫でるように掻きまわした。撫でられた男はまんざらでもなさそうに目を細めている。

「俺はマイケル。こっちはホープ。俺たちもあんたらと同じだよ。俺たちの国を探し回ってただろ?だから招待しにきたのさ」

「僕たちを……探してくれてたの?」

ノアはマイケルにそう尋ねた。展開が突然すぎて混乱していた。どうして?なぜ?疑問は尽きない。

マイケルはそうだよと言って笑う。

「どうして俺達を探していたんだ?」

トーマスが問いかけるとマイケルは困ったように頭を掻いた。

「話せば長い。とりあえず行こう。もうすぐ追手が来る。時間がないぞ。急げ!」

マイケルはそう言ってトーマスとノアを促した。

トーマスはぽかんと口を開いている。

「ほんとうに……あるのか?アンドロイドの国が?」

「ないと思ってたのに探してたの?とりあえず詳しい説明はあとでするから。ほら。急いで、それともまた担いでもらう?」

背の高い男が揶揄うようにトーマスに言う。

「いらない。歩ける。それよりあんたは俺が担がれているのをずっと見てたのか?」

「この林に入るまでの間ね。彼、すごく足が速いから見失っちゃったよ」

ホープはそう言い笑って歩き出した。

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