第7話「記憶の再現」(2056年)
1
Option Bを選んだ。
「終身社会貢献労働」の契約書にサインしながら、拓也は自分が何をしているのか、頭のどこかでまだ理解できなかった。
労働内容は「AIドローン定期点検補助」「データラベリング業務」。時給換算で千円から千二百円程度。
これで、住み続けることができる。
ただし、家の所有権は「国家資産プール」に移管される。拓也には「居住権」だけが残る。
三十五年払い続けた結果、手に入れたものは——借家に戻った居住権だった。
2
契約の翌日、銀行のAIサービス「RetroView」の利用案内が届いた。
ローン加入者の過去の契約記録をVRで追体験できる機能だった。「金融行動の振り返り」という名目だったが、実質的にはAIが「なぜこうなったか」を本人に理解させるためのシステムだった。
拓也は、使ってみることにした。
ヘッドセットを被ると、視界が二〇二六年三月のモデルルームに切り替わった。
若い拓也と綾乃がソファに座っている。田中という営業担当が、タブレットを差し出している。
「月額返済額:138,400円」
「家賃より安いですね」と若い拓也が言う。
外から見ている今の拓也は、叫びたかった。
待て。読め。「未払利息は元本に組み込まれます」という一行を、ちゃんと読め——
でも叫べない。これは記録だ。過去は変えられない。
3
銀行員との面談シーンが再生された。
融資担当の木村という三十代の男性が、説明していた。
「変動金利には5年ルールと125%ルールがあります。金利が上がっても、急激に返済額が増えることはありません」
「でも利息が増えた分は?」と若い拓也が聞いた。
「未払利息として計上されます。その後、段階的に元本に組み込まれていきますが……当面の月々のご負担は変わりません」
「当面は変わらない」と若い拓也は繰り返した。
「そうです。当面は」
今の拓也は気づいた。木村は嘘をついていない。正確な説明をしていた。ただ——「当面は」という言葉の意味を、どちらも軽く扱っていた。
木村は善意で説明していた。
自分も善意で聞いていた。
誰も騙していない。
それが——最も残酷な事実だった。
4
VRは、その後も続いた。
両親との夕食。父が「家は一生の財産だ」と言う場面。
父の時代は、本当にそうだった。一九八五年に買った千葉の実家は、バブルで価格が三倍になった。父は正しかった——父の時代には。
でも時代が変わっていた。都市集中、少子化、在宅勤務の普及、郊外の空洞化。「家は資産」という公式は、静かに、誰も気づかないうちに書き換えられていた。
そして最後に——昼休みに神崎に告げる場面が再生された。
「みんな変動で買ってるじゃないか。変動が八割って聞いたぞ」
「だから怖いんだよ」と神崎が言う。
拓也は、VRの中の神崎の顔を、三十年ぶりにまともに見た。
神崎は恐怖していた。本当に、心から怖かったのだ。
あの時、拓也は「子供がいないから気楽なんだ」と思って、聞くのをやめた。
俺が間違えたのは、そこだ。
ひとつの判断。ひとつの瞬間。
それが三十五年に延びて、今日ここに繋がっていた。
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