心象幻夢郷入り
夜汽車に揺られながら、クラヴィスは車窓を眺める。
外は星一つも見えない暗闇に包まれている。
いつまでこんな生活が続くのだろうか。
父の招来に失敗してからは安アパートを転々とし、原稿料でどうにか食いつなぐ生活。
家の遺産である金貨も底をついた。
自ら命を断つ勇気も無く、缶詰を少しずつ食べ無気力に生き延びている。
いや「生きている」というよりは「死んでいない」と言ったほうが正しい。
物語の創作も書き始めた時のような楽しさも無く、ただ食いつなぐためだけに事務的に書いているだけだった。
タイプライターを衣服と一緒に無理やり詰め込まれ、焦げたインクと機械油の匂いがすっかり染み付いてしまったトランクに視線を落とす。
菖蒲のしおりを送ってくれた文通相手はどうしているだろうか。
あれ以降は一度も手紙を送っていないし、送られても来ない。
怒らせてしまっただろうな、悲しませてしまっただろうな。
きっと最初に手紙を送ってくれた時と同じか、それ以上に勇気を出して誘ってくれただろうに。
悪いことをしてしまった。
そんなことをぐるぐると考えているうちに、クラヴィスは疲れて眠りについてしまった。
次は、ハーナムキヤ、ハーナムキヤ。
という車掌のハキハキとした声で目を覚ました。
そんな駅名は聞いたことが無い。
乗り過ごしてしまったか。
空はすっかり太陽が高く昇って明るくなっていた。
間もなく汽車は速度を下げ、停車する。
クラヴィスは急いでトランクを持ち上げて下車した。
「地方都市か。」
ホームを見渡し呟く。
しかし周囲の人々に違和感をおぼえた。
顔が平たい。
しかも話す言葉が明らかに自分の居た国のものとは違う言語だ。
服装も見慣れないものを着ている人が多い。
あとみんな背が低い。
小人の世界に迷い込んだような気持ちになる。
落ち着くために一旦ホームのベンチに腰掛ける。
意識を集中させて周囲の会話を聞く。
よくよく聞くと過去に書斎で読んだ言語がベースになっていることに気がついて安堵する。
そうか、ここの地域の方言か。
あらゆる国の魔導書を解読するのに様々な言語を覚えておいて良かった。
とりあえず駅員に目的の駅の方向だけでも聞かなければ。
「すみません、インスマス駅まで行きたいのですが。」
初めて自分の口から発音するので少し緊張したがなんとか相手に伝わるくらいには話すことができた。
「は、インスマス。」
「はい。」
「聞いたごどねえな、別の駅と間違って覚えてしまってらのでねが。」
「しかし切符には。」
「じゃ、これうちの線どころか国内の線の切符でもねえぞ。」
どういうことだ、と内心焦る。
「困るなお客さん、偽物の切符でキセル乗車されちゃあ。」
「いや、しかし。」
反論しようと口を開いた時、後ろから声をかけられる。
「なにしたのや。」
振り返ると自分より背は低いが、肩ががっしりとした男が居た。
頭にはハットを被り、使い込まれてはいるが仕立てのいいコートに、赤いシャツを着ていた。
目は猫のようにくるっとして大きく、口はくにゃりと曲がり、喋るのに口を動かす度に大きな犬歯がちらと見えた。
クラヴィスは猫みたいな男だと思った。
「あいやなんたら、切符間違えてしまったったのが。んでば俺が代わりに代金出してすけるがら、これで勘弁してけろ。」
男はさっと財布からお金を出すとクラヴィスの腕を引いて改札から出る。
「名前は。」
「く、クラヴィス。」
「ハイカラでいいねえ、僕月って言うの。」
「いや、待て。」
「なに。」
「なんで改札から出したんだ。」
「さあ。」
「なんなんだお前。」
つかまれた腕を振り払う。
「僕困ってる人ほっとけない性分でさ。君たぶん外人さんでしょ、この国のこと分からないだろうから案内するよ。」
いや、自分はインスマス駅へ向かわなければならないのだが。
部屋だって契約してしまっている。
「いい、自分でなんとかする。」
「やだやだ待ってよ。」
コートの裾をぎゅうと掴まれ、びんっとコートが張り、一歩も動けなくなる。
なんて怪力だ。しかも片腕でだぞ。
「放せ、僕は先を急いでるんだ。」
「一緒に目的地探すからさあ、ご飯一緒に行こうよ、ブッシュ行こうよお。」
「話聞け。」
「奢るからさあ、頼むよ靴舐めるから。」
「気色悪いこと言うな。」
周囲の視線に気付く。
無理もない、人が沢山行き交う駅の真ん中で大柄な異国の男と、小柄な男が大騒ぎしているのだから。
くすくす、と二人連れの女性達が笑いながら「めんげなは。」「だがらさ。」と言い合いながら通り過ぎていく。
クラヴィスは今までにしたことのない大きな舌打ちをし、折れた。
どったどったと下手くそなスキップをして前を歩く男、月の後をついて歩く。
逃げ出そうとしては背中に飛び乗られを数回繰り返してクラヴィスは諦めた。
街中で月に男が話しかけてくる。
「おう月、めかし込んでどごさ行ぐのや。」
「ブッシュ。」
「やぶ屋な、そちらの外人さんは。」
クラヴィスは何と答えるべきか困り、固まる。
「友達っ。」
「違います。」
月が機嫌よく答えたのに即座に否定する。
「へっ、月の無茶さ巻き込まれたったんだべ。諦めろ、こいづ言い出したらいっこ聞がねもの。なっすぁ。」
月が男にそう言われると「恐縮す。」とでへでへと笑う。
「褒めてねでば。んでば、まんづ。」
と、男はクラヴィス達に会釈して去っていく。
それからまたしばらく歩き、目的地に着く。
月はポケットドアを「もす。」と言いながらがらがらと開け「おいで。」と振り向いて微笑みかける。
ポケットドアは本来、室内で仕切りとして使われるが、出入口に使われているのは初めて見た。
頭を少しかがめて店内に入る。
街並みもだが、建物内も全く見慣れないもので落ち着かない。
給仕らしき女性が笑顔で出迎える。
「あいや月さんひさしぶりだなは。」
「久しぶり、二人ね。」
「好きな席さお座りくなんせ。」
月と向かい合わせになる形に座る。
「月さんはいつものでいがえ。」
「んだんだ、それでお願い。」
「はあい、お連れさんは何にいたしますか。」
と、笑顔を向けられ固まる。
子供のころからほとんど缶詰や固いパンしか食べてこなかったので、食の知識が乏しい。
しかし店に入った手前、何も注文しないわけにもいかない。
「ああ、同じのでいんだ。こっちの食べ物まだよぐ知らねんだ多分。」
「かしこまりました、んでば少々お待ちくなんせ。」
「はあい、あ、んだ。フォーク有ったら箸と一緒に出してけろ。」
クラヴィスがほとんど喋ることなく注文は終わった。
「さて、どこ行こうとしてたんだっけ。いん、なんとか。」
「インスマス。」
「インスマスね、地図調べてみるか。」
月はコートのポケットから本を取り出す。
テーブルに置かれたのは平面的なタッチの卑猥な女性の絵が描かれた本。
「ごめん間違えた。」
逃げたい。
さっきからこの男は不審だ。
月は改めて地図帳を取り出しぱらぱらとめくる。
「無いな。」
「そんなわけ無いだろう、借してくれ。」
月から地図帳を借りて自分で調べる。
確かに無い。
「嘘だろ。」
「んじゃあ、ご飯食べたら事務所行って調べてもらおうか。」
「事務所。」
「官衙(かんが)とも言うね。この辺の地理とか歴史はもちろんだけど、他所のことも結構詳しく調べてもらえるから。」
「地方行政官庁や郡役所みたいなものか。」
「多分そう。」
料理が運ばれてくる。
テーブルに置かれたそれを見て、顔がこわばる。
細長く黄色くてぼこぼことした物体に青々とした草、さらにその下には鼠色の紐が沢山入っている。
良い匂いなのか悪い匂いなのかよく分からない匂いがして、食べようという気が湧かない。
口をつけられそうなのは一緒に出された透明な瓶のラムネだけだ。
月は太くて短い指をした、ごつごつとした手で器を持って、ずるずると啜って美味しそうに食べている。
なんて下品な食べ方だ。
「食えそうになかったら残していいよ、僕食べるから。」
「そうさせてもらおう。」
クラヴィスはグラスにラムネを注いで飲む。
甘さが足りない。砂糖を入れたい。
月は自分の分を平らげてしまい、クラヴィスの分を食べ始める。
「ごめんね洋食屋にしたら良かったね。」
「構わない、僕は食にはあまり興味が無い。」
「ふぅん。」
食べるのに夢中になっているからか、返事がそっけない。
これくらいがちょうどいいなとクラヴィスは鼠色の紐を啜る月を眺める。
食事に夢中になっている月を眺めて気が付く。
瞳が光の当たり方によって冷たい青色に光る。
変わった瞳の色をしているな。
クラヴィスはラムネをちびちびと飲みながら月に問いかけてみる。
「どうして僕にそんなに構うんだ。」
「困ってるみたいだったから。」
「度が過ぎてるだろ。」
「そうかな。」
黄色いぼこぼこした食べ物をさくさくと食べながら月は答える。
「大抵の人間は僕を気味悪がる。」
「なんでさ。」
「いや、それは。」
月は器に直接口をつけて汁を飲んでいる。
本当に下品だな。
「でも僕はクラヴィスの目好きだよ。」
月は汁をすべて飲み干して器に木の棒のようなカラトリーをたん、と置いて言い放つ。
まさかの発言に固まっていると月はさらに続けた。
「僕たぶん君に一目惚れしたみたいだ。」
猫のように大きな目をきゅうと細め、いたずら好きの猫のように笑って言った。
月は瓶をラッパ飲みしてラムネを飲み干し、立ち上がって「ごちそうさま、会計お願い。」と給仕に向かって言いながら出口に向かって歩いていく。
クラヴィスはハッとして急いでトランクを抱え立ち上がり追いかける。
低い出入口を潜って先を行く月に追いつく。
「あまり僕を揶揄うなよ、そんな噓誰が信じるか。」
「本気だけど。」
月は肩越しに笑いかける。
「一目惚れというのは外見が美しい者にするものだろ。」
「だからそうじゃん。」
「揶揄うなと言っている。」
「ああもう、いいから早く事務所行くよ。」
クラヴィスは早く逃げ出してしまいたかったが、現状は滅茶苦茶で訳が分からないこの男を頼るしかない為、仕方なく後をとぼとぼついて行くのだった。
第六事務所、と書かれた看板の建物の前に着く。
建物を見てクラヴィスは戸惑う。
「小さすぎないか。」
本当の小人の家のように小さな建物がこじんまりと建っていた。
屋根までの高さが月の身長とそう変わらない。
正面に扉があるが、身をかがめても入れそうにない大きさだ。
「猫の事務所だからね。」
月はなんてことないように答え、建物に向かって呼びかける。
「すみませえん、調べてほしい場所があるんですけども。」
すると中から「はあい。」と幼い子供のような高い声が聞こえてきたと思うと、小さなふわふわとした毛並みの、黒い服を着こんだ白猫が二足歩行で出てきた。
「かっ」
可愛い、と言いかけて慌てて口を閉じる。
それより猫が二足歩行で歩いて人間と同じ言葉を話すという、まるで童話の世界のような光景に心底驚いた。
「あ、人間のお客様ですね。少々お待ちください。」
白猫は建物の中に戻ると、帳面や虫眼鏡を持って他の様々な毛色の猫達を連れて再び出てきた。
みんなお揃いの黒い服を着ている。
猫達はピクニックブランケットを敷いて帳面を広げる。
「あの、月、その、なんだ。なぜ猫が。」
「猫は人間より世界をよく知っているし、情報網も広いからね。」
「あ、ああ。」
「だから人間の地図帳に無いような地名の土地も見つけられるかなって思ったんだ。」
「はあ。」
クラヴィスは目の前の光景に釘付けになり、月の説明は殆ど耳に入らなかった。
「お待たせしました、わたくしはこの第六事務所の事務長でございます。こちらから順に、一番書記、二番書記、三番書記、四番書記です。建物が小さいものですから。このような形になりますが、ご了承ください。では早速お悩みやご相談をお申し付けくださいませ。」
事務長を名乗る白猫は、たれ目がちな目をにっこりと細めてぱあとした笑顔で微笑みかける。
「あ、ああ、ええと、インスマスという場所までの行き方を教えていただけますでしょうか。」
なるべく視線が合うように身をかがめて言う。思わず丁寧な敬語になる。
「かしこまり過ぎじゃない。」
月はポケットから煙草とマッチを取り出しながら呆れた様子で尋ねる。
なぜこの光景を見て平然としていられるんだ。
「インスマス、ですか。」
「少々お待ちください。」
「聞いたこと無いな。」
「海外の地名かも。」
「僕古い地名で調べてみるよ。」
「合併で無くなった地名かもしれないね。」
猫達がちいさくてふわふわの頭を寄せ合って相談する様子を網膜に焼き付けんばかりに釘付けで見つめる。
ずっと見ていられる。
「申し訳ございません、インスマスという土地は見つけられませんでした。」
猫達はしばらくああでもないこうでもないとそれぞれ分厚い帳面をぺらぺらとめくり調べていたが、とうとうしょんぼりとした様子で言った。
「いえ、お気になさらず。むしろありがとうございます。」
「何への感謝だよ。」
月は煙草の煙をぱーっと吐きながら呆れて言う。
「お力になれず申し訳ないです。」
「あの、もしかしたらなんですけれども、クラヴィス様は別次元の宇宙からこちらに迷い込んでしまったのかもしれません。」
別次元の宇宙、というスケールの大きな単語が突然出てきて戸惑った。
「別次元の宇宙、ですか。」
「はい、我々の仲間で宇宙から宇宙を渡り歩くことができる猫が居るのでございます。」
クラヴィスはそういった猫の存在を魔導書で読んだことがあった。
だが、疑問が浮かぶ。
「ウルタールの猫なら本で読んだことがあります。人間でもまれにウルタールの猫と同じように宇宙を渡り歩くことができるというのも読みました。しかし私は渡り歩くための正しい手順を踏んだ憶えがありません。」
そういった宇宙間の移動はとても難しく工程が多い手順を踏まなければならない。
クラヴィスはただ夜汽車でうたた寝をしていただけだ。
「そうなんですね、となるとかなり異例の事態になりますね。こちらにどうやって来たのかが分からないと、戻り方も分からない、ということになってしまいます。」
戻り方もわからない。
クラヴィスは気が遠くなりそうになる。
「ふうん、じゃあ戻り方分かるまでうち住むか。部屋ひとっつ空いてるし、好きに使って良いよ。」
月は煙草の吸殻を地面に捨て、もみ消しながらなんてことないように言った。
「え。それは嫌だ。」
思わず即答する。
「なあんでだよっ家賃取らないよっ。」
「だからそれが怪しいんだ、住まないぞ。」
「やだやだやだやだやだやだっ。」
「やめろ見苦しいっ。」
月はやだやだと仕立てのいいコートが汚れるのもいとわずに、地面に転がり足をじゃかじゃか動かして駄々をこねる。
そのままぐるぐると回るものだから、地面に正円が描かれていた。
本当に家賃無しだとしてもこんなのと同じ屋根の下で暮らせるわけがない。
その様子を見ていた事務長が申し訳なさそうにクラヴィスに言う。
「あの、しかしこのあたりの賃貸はほとんど空室が無く、空いているところは家賃が値を張る所しか。それに別の宇宙からいらしたとなると、クラヴィス様の持っているお金はこちらでは使えないと思われますが。」
大丈夫でしょうか、と。
月が駄々をこねるのをやめてチェシャ猫のように目をきゅーっと細め、犬歯が見えるくらい口をにいとさせてこちらを見てくる。
クラヴィスは折れるしかなかった。
猫たちに礼を言い、月の自宅へ向かう。
「クラヴィス、猫たちのこと気に入っているみたいだけど気をつけたほうが良いよ。」
「べつに気に入ったとかでは。気をつけるって何をだ。」
「さっきの事務所の猫たちは他の事務所より人間にも礼儀正しいけど、本来猫はずる賢くて威張っていて人間をいかに上手く利用してやろうかと常に考えている動物なんだよ。」
「それは良いな。」
「何言ってんの。」
街から出て畑に囲まれた田舎道を歩いていく。
長距離を歩き続けた疲労より、目の前の男の相手をした疲労が体に出てくる。
トランクの持ち手が指に食い込んで痛む。
「お疲れ、頑張ったね。」
一軒家が見えてきたところで月がクラヴィスを見上げて笑いかける。
「大きい家に住んでいるんだな。」
クラヴィスは先ほどの月の食事の様子から意外に思った。
「誰でも入れるような教室みたいなのもやるから大きく作ってもらったの。」
玄関のすぐ隣には黒板があり「外出中」と書かれている。
月はその文字を消して「在宅中」と書き直した。
「二階の部屋自由に使って良いよ、おいで。」
月が玄関で靴を脱いだので、クラヴィスもそれにならった。
玄関からすぐの所にある階段を登り、戸を開く。
部屋の中で積み上げられていた物が倒れ、廊下まで雪崩れてくる。
「よし、今夜は僕と一緒に寝ようか。」
「馬鹿言え今すぐに片付けろ。」
結局クラヴィスが部屋に落ち着けたのは深夜になってからだった。
【心象幻夢郷入り】終わり
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