第2話 要確認

「また一人、消えたみたいですね。一課から移管されて来ました」


 捜査一課……?

 左遷課に、凶悪犯罪を移管するなんて。


 紫谷が椅子を引き寄せる。


「失踪?」


「ええ」


 香月の手から、久留須美術館のパンフレット、四人分の顔写真、展示室を写した数枚が机へ広がった。


「失踪者はここ二週間で四名。全員、久留須美術館で消息を絶っています」


「特別展すか?」


「ご存じでしたか」


「駅のポスターで貼ってあったの。あとSNS」


 紫谷はパンフレットを裏返した。


「ああ。怪談好きの間で話題になりつつありますね。餓画というんでしたっけ」


「がが……?」


 柏城もポスターなら見た覚えがあった。


 山間部に建つ古い洋館と、金色の額縁に収まった女の横顔。

 その下に、久留須美術館特別展とあった。

 しかし、餓画というのは聞きなれない言葉だった。


「なーんか、人を食う呪いの絵なんだって。馬鹿馬鹿しいけど」

「こら紫谷くん。口が悪い」


 紫谷は笑った。


「だってそうじゃん。随分親切な呪いでしょ」


 柏城の手が資料をめくる途中で止まった。


「どういう意味ですか?」


 紫谷は柏城を見ず、次の一枚をめくった。


「呪いって、だいたい後から名前がつくでしょ」


 もう一枚。


「家がなくなって、友達が減って、最後に本人だけが理由を知る」


 指が止まる。


「食うって分かってるなら、まだ避けられる」


「……それ、親切って言いますかね」


 紫谷は写真の角を爪で押さえた。


「えー、言わない?」


 香月が失踪者の写真を一枚、机の中央へ戻す。


「少なくとも、四人は避けられなかったようですね」


 柏城は曖昧に頷いた。

 そんな言葉を口にした本人は、もう別の資料へ目を落としている。


 気を取り直すように自分も資料へ視線を落とす。


 大学生、会社員、主婦、高校生。

 顔写真の下に並ぶ年齢も住所も、互いを結ぶ線を拒むように離れている。


 紫谷がまた口を開く。


「共通点は?」

「ありません」


「顔見知りでもない?」

「確認できていません」


 香月は答えるたび、資料の同じ箇所へ指を置いた。


 入館。

 館内。

 その先だけがない。


 同じ場所で四人が消えた。


 誘拐だとすれば身代金や要求がある。

 殺人なら遺体が出ている。

 何より。


「防犯カメラは?」

「出口には映っていません」


 柏城は顔を上げた。


「映ってない、ですか?」


「ええ」


 香月は淡々と続ける。


「入館する映像は残っています。しかし退館する映像はありません」


「カメラの死角とか」

「調べました」


「館内に隠れてたとか」

「閉館後に全館捜索済みです」


 説明を聞くほど分からない。

 生きた人間が四人、跡形もなく消えている。


 柏城が黙り込んでいると、向かいから紙をめくる音がした。

 紫谷だった。


 微糖の缶コーヒーを片手に、興味なさそうに資料を眺めている。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 紙をめくる音が止んだ。


「これ、誰が撮ったの?」


 紫谷が展示室の写真を持ち上げていた。


「美術館職員です」

「ふーん」


 返事の代わりに、別の写真が重ねられる。

 三枚目を半分まで引き抜いたところで、紫谷は缶コーヒーを置いた。


「……ああ」


「何かあるんですか」


 柏城が横から覗く。

 壁に肖像画が並び、その前を客が歩いている。どこにでもある展示室だった。


 紫谷は答えず、写真の上下を入れ替えた。


「香月さん、これ」

「ええ」


 二人の視線が、同じ場所で止まった。


「んー……ま、確かに九十九課の仕事かもね」


「はい?」


 紫谷は写真から目を離さない。

 見ていた写真を一枚、ひらひらと揺らしている。

 失踪者の最後の姿が映った防犯カメラ画像。


「なんで分かるんです。そもそも九十九課の仕事って何ですか」


 柏城は聞いた。


「……は?知らない?」


 怪訝そうな顔と目が合った。


 紫谷は信じられないという目で香月を見る。

 香月は眉を下げ首を振るだけだった。


「あー……うん、そういう感じね。分かった」


 じゃあよく聞いててね、と紫谷は柏城へ向き直る。


「まず人間ならこうはならない」

「人間なら?」

「だって普通は消えないじゃん」


 指で資料を叩く。


「美術館に入ったのに出てない、防犯カメラもあるし目撃証言もある。でもどこかへ消えた」


 淡々としていた。まるで天気の話だった。


「誘拐なら有能な刑事さん達がとっくに見つけてる」


 根拠が見えない。


「それだけでですか」

「うん。そうだよ」


 即答だった。

 紫谷は椅子にもたれかかる。


「捜査一課も鑑識も二週間何も出てないんでしょ」

「ええ」

「じゃあ九十九課の仕事」

「そんな単純なんですか」

「意外と」


 紫谷は笑う。


「あとは勘かな」


 あまりにも軽い。軽すぎて冗談に聞こえる。

 返答に困って香月の顔を見る。


「……まあ、本人が言うならそうなんでしょう」


 勘。連続失踪事件でその言葉が出てくるとは思わなかった。


「もう少し、分かるように教えてください」

「え~、分かんないの?自分で考えてみ。変なとこ」


 露骨に面倒そうな顔。

 柏城は真剣に資料を読み込む。


 被害者に共通点はなく、年齢も職業もばらばらだ。来館した日付も違う。


「……あれ」


 柏城は展示作品一覧の写真を指差した。


「この肖像画ですけど、」


 紫谷は缶コーヒーを傾けながら横目で見る。


「ん?」


「全部、同じ方向見てませんか」


 香月が資料を覗き込む。柏城は写真を並べた。


 右側壁面に並ぶ肖像画。

 描かれている人物は違う。時代も違う。


 それなのに。


「目線が全部左です」


 部屋が静かになる。柏城は首を傾げた。


「偶然ですか?」


 香月は何も言わない。

 紫谷だけが小さく笑った。


「お」


 缶コーヒーを机へ置く。


「気付いた」


「え?」


「いいね」


 紫谷は失踪者の写真を机の上に並べていく。


 四枚。


 大学生。

 会社員。

 主婦。

 高校生。


 柏城は一枚ずつ目を通す。


 一人目の女性は白いスニーカーを履いていた。

 鞄は赤。

 右耳にだけ、小さな銀色のピアス。


 二人目の男は黒い革靴。

 左手首に金属製の腕時計。


 資料の文字だけでなく、写真の端まで見る。

 機動隊にいた頃からの癖だった。


 現場に残るものは、必要になってから見直しても遅い。


「んじゃ問題」


 向かいから声がした。

 紫谷が頬杖をついている。


「一人目の鞄、何色?」

「赤です」

「靴」

「白いスニーカーです。側面に青い汚れがあります」


「へえ」


 紫谷が写真を裏返した。


「二人目は?」

「腕時計。左手です」

「あたり」


 少しだけ楽しそうに笑う。


「ちゃんと警察だ」


 褒められたのか、馬鹿にされたのか分からない。

 柏城は意味が分からず言葉を探した。


 紫谷は資料を一枚抜き取ると、こちらへその写真を差し出す。


「でも惜しい。もっとよく見て」


 柏城は再び写真へ目を落とした。


「……他に不自然な点ですか?」

「そういう意味じゃなくて」


 紫谷は怠そうに首を振った。


「こっち見てんの」


 柏城は写真を見る。

 左を向いた普通の肖像画にしか見えない。


 だが、言われてみれば。


 妙に絵と目が合う気がした。

 描かれた視線だけが、こちらへずれている。


 気のせいだ。


 そう思った瞬間。

 窓を雨粒が強く叩いた。


 びくりと肩が揺れる。

 紫谷が小さく笑った。


「ほら。今、怖かったでしょ」


「いえ、別に」


 即答した。図星だった。


 紫谷はそれ以上追及しなかった。

 代わりに資料を閉じる。


「ここは、ああいうのが人を食った後の片付けをするところ」


「怪異事件を扱う部署ということですか」


「事件になればね」


「協定違反、契約事故、境界の損壊。刑法上の加害者を置けない案件が主です」


「それを警察が?」


「警察で扱える部分だけは」


 紫谷が缶コーヒーを振った。

 中で小さく液体が鳴る。


「扱えない部分まで、だいたい回ってくるけど」


 紫谷が続ける。


「そんで、他には?」


 香月は新しい資料を取り出した。


「失踪者のご家族への聞き取りです」


 香月が別の束を差し出した。

 柏城は一枚目を開く。


『顔が思い出せない』


 二枚目。


『声が思い出せない』


 三枚目には、途中まで書かれた家族構成の図があった。

 失踪者の位置だけが消しゴムで何度も擦られ、紙が薄く毛羽立っている。


『写真を見ても、誰なのか分からない』


 次の家族も、その次も、違う筆跡で同じ場所を失っていた。


「全員ですか」


「今朝の聞き取りでは」


 遠い雨音だけが変わらず響いている。


 失踪なら分かる。

 誘拐も分かる。

 殺人だって分かる。


 けれど人が消えて。その人の記憶まで薄れていく。

 そんな話は聞いたことがなかった。


「刑事課で処理できない事件は、最終的にうちへ回ってきます」


「未解決事件ですか」

「いいえ」


 香月は四人の写真を一つの束へ揃えた。


「被害者がいた事実から、先に揉み消される事件です」


 束の一番上で、大学生の顔だけがこちらを向いていた。


「そのうち、失踪届を出した理由までなくなります」


 それの対応がうちの仕事なんですよ、と。

 苦笑いだった。


「さて」


 香月が資料を閉じた。


「久留須美術館へ行きましょうか」


「今からですか」

「今からです」


 香月は笑う。


「これで四人目ですから」

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