第16話 ミストラル伯

 マチューと共に舞踏会に参加したときは、中央で踊らずに、ワインを二人で飲みに行った。

 とはいえ、途中でマチューはセシール嬢とその兄に挨拶しに行ってしまい、一人残されたペトロニーユはラウルとロンドを踊った。


 そんな日が遠い昔にペトロニーユには思えた。

 今、ラウルに腰を抱かれ、ペトロニーユは会場を歩いている。

 すれ違う貴族男性や貴婦人たちは、ラウルとペトロニーユを見てひそひそと言っている。


 ――あのほら、婚約者を亡くしてすぐに、その父親と結婚した方よ……。

 ――まあ、節操がない方ね。

 ――王命だから仕方ないのでは?

 ――それにしても、ラ・トゥール伯はいつも凛々しくて、素敵ですこと。

 ――あの男があのように美しい女を……。


 ペトロニーユは俯き、目を強く閉じる。


「――ペトロニーユ」


 ラウルが静かにペトロニーユの名前を呼んだ。


「はい、ラウル様」

「皆が口々に噂することは気にせぬように。わたしもそなたも何も悪いことはしていない」


 ラウルの力強い言葉を聞いて、ペトロニーユは顔を上げた。

 確かに、ペトロニーユもラウルも悪いことはしていない。二人を責められるのは、亡くなったマチューだけだろう。


 そのマチューはペトロニーユの幸せを、愛する人と結ばれる幸せを願ってくれた。


 ――だから……。


 だから、ラウル様を愛することを許してください。


 ペトロニーユは心の中で思った。


 ラ・トゥール伯夫妻は、一旦、壁の花になった。


「――ワインでも飲み行くか? そなたはワインが好きだろう?」

「はい。あの……ワインのことはどなたから……」


 まさか、国王からとか。ペトロニーユの心が曇る。


「マチューがよくそう言っていた」

「マチューが……」


 ペトロニーユはマチューとワインを飲んだことを思い出していた。

 思いを馳せていると、ペトロニーユの腰を抱くラウルの手に力が入った。


「――マチューを忘れられないか」


 ラウルの低く、艶のある声がペトロニーユの耳に届く。

 ペトロニーユの心臓がうるさく鳴った。ラウルの声はペトロニーユの心臓を暴走させる。


「――良い人だったので……」


 ペトロニーユは銀色の瞳でラウルを上目遣いに見た。ラウルの金色の瞳は、ペトロニーユの心を見透かそうとしているかのように、じっとペトロニーユを見つめていた。


「確かに、マチューは我が息子ながら、人が良かった」


 ラウルは苦笑を浮かべる。穏やかな声だった。


「……はい」


 ペトロニーユはそう答えるも、違和感を覚える。ラウルの表情は穏やかだ。だが、金色の瞳の奥に何か言葉にならない感情が揺れているように見えた。


「――ラウル様、ワインをもらいに行きましょう?」


 ペトロニーユは努めて明るく言い、ラウルの腕を取った。


 給仕係からワインを受け取り、ペトロニーユとラウルはワインを飲んだ。

 ペトロニーユはワインを口に含み、舌の上で転がすように飲む。ワインの芳醇な香りが鼻に抜け、目の前にブドウ畑が広がっているような、そんな想像をペトロニーユはした。


「ワインをどうして好きなのだ?」


 ラウルがペトロニーユに訊いた。


「――姉が結婚する前は、二人でよく舞踏会に出ていたのですが、あまりその場に馴染めずに、ずっとワインを飲んでいました。それがきっかけかもしれません」


 魔術師が生産する魔石の力で、水は浄化できる。そのため、飲み水には困らない。一昔前は、水分補給のためにワインやエールを飲んでいたらしい。

 なので、ワインを嗜むのは食事の時くらいだ。


「――そんなに酒豪になるほど、舞踏会に慣れなかったのか」


 ラウルにそう言われ、ペトロニーユは、うっと詰まる。


「だって、カロルなどでよく知りもしない人と手を繋ぐなど……」


 焦るように言い訳をするペトロニーユを見て、ラウルは微笑んだ。

 その微笑は優しく、ペトロニーユは己の父親を思い出した。


「――ラ・トゥール伯閣下、国王陛下がお呼びです」


 国王の侍従と思われる男がラウルを呼んだ。

 ラウルは笑みを消し、デュドネ、と一言だけ言う。近くにいたデュドネが呼びかけに応え、ラウルの元へやってきた。


「――ペトロニーユを見ていてくれ」


 ラウルはデュドネに命じると、国王の侍従と共にペトロニーユから離れていった。

 ペトロニーユはラウルの背中を目で追った。


 デュドネはペトロニーユの隣で、緊張した面持ちで立っていた。

 ペトロニーユは何かデュドネと話した方が良いだろうか、と思った。普段のラウルの様子でも聞こうか、と思って口を開きかけたところ、ラ・トゥール伯夫人、と呼ぶ、よく通る男の声が聴こえた。


「――ミストラル伯閣下?」


 デュドネが驚いたように言った。

 ミストラル伯と呼ばれた男は、ラウルよりも数歳年下と思われる、美形の男だった。暗い金髪が波打ち、空色の瞳は酷薄に輝いていた。

 ペトロニーユは一目見て、苦手だ、と思った。


「こんばんは、ミストラル伯閣下」


 ペトロニーユは淑女の礼を取った。


「こんばんは、ラ・トゥール伯夫人。ミストラル伯ティエリー

・ド・ミストラルと申します。第二騎士団の元帥を務めております」


 ミストラル伯がペトロニーユの銀色の瞳を見ながら言った。


「……そうですか、ラウル様とは……」

「もちろん、懇意にはさせていただいておりますよ」


 そうミストラル伯は答えるも、デュドネの首は否定するような動きを見せた。ペトロニーユは目の端でそれを認めた。


「……私に、どのようなご用なのでしょうか」

「貴女様のご夫君のことでお話が……デュドネよ、外してもらえるか?」


 ミストラル伯に言われ、何も言わずにデュドネは少しだけ離れた。少しだけだった。

 ミストラル伯はフンと鼻で笑う。そしてペトロニーユの銀色の瞳を見つめる。


「――結婚生活は如何ですか? 本当であれば、貴女様はわたしの妻になる予定でした」


 そう言ったミストラル伯はペトロニーユの全身に空色の瞳を向けた。

 その不躾な視線に、ペトロニーユは戦慄した。


「……それは知りませんでした」

「ラ・トゥール伯は恥を知らず、息子の婚約者であった、若い貴女様を手にした」


 ミストラル伯はそう言うと、ペトロニーユに囁くかのように続けた。


「――貴女様のご年齢を考えると、あの老人に可愛がられて、哀れに思います」


 その言葉を聞いて、ペトロニーユの心に不快感が広がった。


「老人? 貴方様もラウル様と同年代でしょう。ご自分を卑下なさることはありませんわ」


 思わず、こんなことを口走ったペトロニーユは己に驚いていた。


 こんな男より、ラウルの方が素敵だ。ラウルは優しいし、ペトロニーユの魔術を褒めてくれる。ペトロニーユを下卑た視線で見ない。


 ミストラル伯の方は目を丸くしていた。


「おや、手厳しい。もっと大人しい女子かと思ったが」

「――ミストラル伯、そなたは連れの女子を放置して、人の妻に声掛けするのか」


 ラウルの低い声が聴こえ、ペトロニーユはほっとする。それと同時に、温かな手がペトロニーユの肩に掛かる。


「ラ・トゥール伯、勘違いですよ。わたしはご挨拶したまで」


 ミストラル伯はそう言うと、背中を向け、ペトロニーユたちから離れて行った。

 ペトロニーユはラウルを見上げた。その凛々しい横顔を見て、緊張が解けるかのようだった。ペトロニーユはラウルの胸元に顔を埋めた。


「――ペトロニーユ、人が見ている」


 ラウルの慌てたような声を聞いても、ペトロニーユは離れなかった。

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