第14話


 自然公園に足を踏み入れた私たちは、噴水近くのベンチに並んで腰掛けた。

 伊達眼鏡を掛けた渚が疲れた目で鳩を眺めている。鳩は子供たちに接近されて青い空に飛び立っていった。空には大きな入道雲が流れている。


「なんか、話す気が失せてきた……」


 ぽつりと漏らす渚に、私は「えぇ」と反応した。


「来週じゃだめかな?」

「いやそんな、ドラマみたいな引っ張り方されても……」

「言わなくていい、ってお姉さん、さっき言ってくれたじゃん」

「誤解されたくないから言う、って話だったでしょ?」


 ぷくっと頬を膨らませる。

 可愛かった。


「……どこから事情を話せばいいかわからないし、長くなると思うよ」

「構わない。時間ならいくらでもあるから」

「お姉さんがイヤな気持ちになるかもしれない」


 それはちょっと怖かった。

 だけど、今更逃げるつもりはない。


「大丈夫。最初から話してみて。全部聞くから」


 頷いた渚は、覚悟を決めた様子で語り出した。

 私は黙って耳を傾ける。


 中学二年生になった渚は、多くの人から好かれる人気者だった。老若男女が彼女を「可愛い」「大人びている」と褒めそやした。しかし不思議と満たされることはなく、むしろ寂しい気持ちになったという。

 もっと人気になったらこの寂しさは埋まるに違いない。

 そう考えた渚はクリスタルクライのオーディションを受け、無事合格した。

 ファンが増えれば満たされる。そう思っていた渚だが、結果は逆になった。握手会の列が伸び、ナギ推しのアカウントを見つけても虚しさばかりが募った。


 渚は感情を誤魔化すためアイドルの活動にのめり込んだ。

 しかし、頑張りは続かなかった。アイドルの世界は甘くなかったのだ。


 心が折れかけていた時、優しく声を掛けてくれたのがイエロー担当の久美だった。

 いつも元気で明るい久美に救われた渚は、初めて人を推したいと考えた。

 久美とプライベートで仲良くし、人前でいちゃつくようになった。ライブ中に仲良しアピールをしたら会場がわいたので、調子に乗った渚はハグをした。久美は渚の頬にキスを返してくれた。

 推しと同じグループになれて幸せだったという。


「久美に会って、ベタベタすることで寂しさを紛らわしてたんだ。でも、会っていないあいだは寂しくて、久美に何度もメッセージを送った。一方的にね。いつしか返信がこなくなった」 


 どんどん距離を置かれていることに気づいた渚は、必死にすがりついた。久美は心底イヤそうにこう言ったという。


 ――ナギのこと推してたのに理想と違った。解釈違いが多すぎる。


 どうやら久美も渚を推していたらしい。

 それなら話は早いと、渚はアプローチを増やした。一度推していたのなら、いずれ振り向いてくれると思ったからだ。


 メジャー進出に舵を切ろうという話が出た翌日、久美の脱退が告げられた。ファンとの繋がりが原因らしい。

 何かの間違いだと思った渚は、久美に何度も連絡したが、返信はなかった。


「後日、例のアカウントが見つかってさ……わたし、凄く落ち込んだよ」


 推しを最悪の形で失った渚は、再び満たされない生活をスタートさせたが、すぐに破綻した。食事が喉を通らなくなり、人前に出るのが億劫になった。それでもなんとかアイドルとしての仕事だけはこなしていたという。


「わたしを支えていたのは、久美が戻ってきてくれるかもしれないっていう、そんな細い希望の糸だけだった。あんなことがあったのに戻ってくるわけないって、いまならわかるけどね」


 その後、親の再婚が決まり、写真を見て驚いたという。握手会でよく見ていた私の顔が写っていたからだ。


 渚はそこで思い出した。

 ナギ推しアカウントが炎上したのと私が来なくなったのは同時期だと。


「この人が、久美を奪った人なのかな――わたしはそう考えた」


 渚は整った顔を歪めた。


「奪ったって変な理屈だよね。お姉さんは被害者なのに。……でも、当時のわたしはそう考えた。理不尽すぎるけど、そういうふうに思わないとやってられなかったから」


 自分と推し以外の誰かのせいにしたかったのだ。


「あれは……間違いなく久美が悪かった。そして、わたしも。久美をそういう行為に走らせたのはわたしだから」

「渚は悪くないでしょ」


 語調を強めて言う。

 その後、運命のイタズラにより妹となった渚は、私にいろいろと探りを入れてきた。


「あのアカウントの人だってすぐに確信したよ。だからわたしは、お姉さんをガチ恋させようと頑張ったんだ」

「ガチ恋……?」

「うん。ガチ恋させてからフってやろうとしたの」


 ……なるほど、そういうことだったのか。

 私は復讐対象だったのだ。

 ショックを受けるべきところなのかもしれない。

 だが、私は冷静だった。

 腑に落ちる感覚があったからだ。

 渚のことを、これでようやく理解できた気がする。


「……でも、お姉さんは頑固で、元推しのわたしにぜんぜん手を出してこなかった」

「手なんて出すわけないよ。妹なんだから」


 渚は一瞬何か言いたげな顔を浮かべたが、切り替えるように続けた。


「いつからかな、お姉さんを推しにしたいと思ったのは……」


 空を見上げながら渚は息をついた。


「すぐ誘惑に乗ってくるような人だったら、お姉さんをフッてたと思う。でも、そうはならなかった。お姉さんはあくまで家族としてわたしを受け入れてくれて――お姉さんといると、満たされないわたしの気持ちが、寂しさが、不思議と埋まっていくのを感じたんだ」

「渚……」

「別に信じてくれなくていいよ」


 子供っぽい口調で言う。


「いや、信じるよ」


 渚は薄く微笑むと、遠くを見つめて続けた。


「サキちゃんの件でお姉さんの気持ちがわかったわたしは、本命の推しをお姉さん一人に決めた。だからもう、久美は推しじゃない。ようやくそう吹っ切ることができたんだ」


 暗い目をする。


「なのに、お姉さんとスキンシップをするようになってからすぐ、わたしの前に久美が現れた。事務所ビルの前で待ち伏せされて」


 渚にとって久美は元推しだが、現推しである私を傷つけた敵でもある。

 謝りたいと言われた渚は、久美の話に一応耳を傾けることにした。久美は反省している様子で、「ナギに失望して誹謗中傷したり、ファンにちょっかいを掛けたりした。ごめんね」と謝ったそうだ。


 お金を取った人に返済している最中らしい。


 とはいえ、私はナギ推しアカウントを消してしまっている。

 連絡手段がないと久美は困っていた。

 殊勝な態度の久美にほだされた渚は、私が姉であるとつい話してしまったらしい。


「会わせてほしいって言われたけど、それは拒否した。お姉さんを傷つける結果になるんじゃないかと思ったから。でも、久美は食い下がった」


 どうしていいかわからなくなった渚は結論を保留にした。

 定期的に会って、変わった自分を見て判断してほしい。

 久美にそう言われたからだ。


「……そんな口車に乗るなんて馬鹿だったよ」


 渚はこれまで以上に自分を責めた。


「久美は最初こそわたしに優しかった。でも次第に『あのライブはよくなかったね』『企画動画のナギの立ち回り、あれは何? ああいうの、やめた方がいいよ』ってアイドルとしての活動に口を出してくるようになった」


 そして四回目の今日。

 買い物を済ませた渚は、億劫な気持ちで久美と会った。そこでついに堪忍袋の緒が切れたらしい。


「……いったい何を言われたの?」


 渚は拳を握った。その時のことを思い出したのか、小刻みに震えている。


「……お姉さんを、悪く言われたの」

「え、私?」


 意外な展開に少し驚く。


「……会っていた時、お姉さんは凄くむっつりに見えたって。あと、真面目系変態ってあだ名をつけてたって」

「………………」


 眉間に皺を寄せる渚を見ていたら、ふいにおかしさがこみあげてきて「ぶふっ」と私は吹き出した。

 渚が驚いた顔をこちらに向ける。


「お、お姉さん? なんで笑ってるの?」

「いや、ごめん。久美からずっとそんなふうに裏で言われていたのかって思ったら急に笑えてきて。しかも渚、本気で怒ってるから」

「怒るよ! 一番の推しを侮辱されたんだから!」

「でも、久美の言うことは事実だよ」


 晴れやかな気持ちで言うと、渚は目をぱちくりさせた。


「言ったでしょ。私は推しと近づきたくないって。下心を隠せなくなるから。気持ち悪い自分を出したくないから」

「気持ち悪くないよ。それを言うなら、わたしの方が気持ち悪いって」

「渚は気持ち悪くないでしょ。可愛いし」

「気持ち悪いよっ、お姉さんを独占したくて手錠を掛けちゃうくらいなんだから」


 それは確かに少し気持ち悪いかもしれない。

 気持ち悪い、気持ち悪くないと言い合う二人を見て、近くを歩いていた人が、怪訝そうな視線を向けてくる。


「じゃあもう、お互い気持ち悪いってことでいいかな?」

「それでいいよ、もう」


 ふてくされた顔で言ってから、渚は背もたれに体を預けた。


「わたし、真面目な話をしていたと思うんだけどなぁ」

「私だって真面目に聞いてたよ」

「だったら……お姉さん、わたしのことを嫌いになったんじゃない?」


 渚は不安そうに言った。


「お姉さんをガチ恋させてフろうとしたし、お姉さんを傷つけた子とまた繋がろうとした。最低でしょ?」

「それを言うなら私の方が最低だよ。ナギと繋がろうとしてお金を払った。しかも、そのことで渚の推しを引退に追いやった。渚を傷つけて寂しくさせた原因を作ったのは私」

「……そんな結果になるなんて、わかるわけない」

「確かにね」


 渚と休日の公園でこんな話をするなんて、一年前の私に聞かせても絶対に信じない。


「でも、私はこれでよかったと思ってる」


 渚は不思議そうにこちらを見た。


「辛いことはたくさんあった。でも、私はいま渚と姉妹をやれている。そして、渚のことを今日いっぱい知ることができた」


 いい日になったな! 

 そう大声で言うと、渚はびくりとした。周辺の人たちも私を見て驚いている。


「お、お姉さん、急になに? 恥ずかしいんだけど……」


 まだ飲み込めていないことはたくさんある。

 渚の寂しさの根本原因もわからないままだ。

 でも一つだけ確かなのは、姉妹の心の距離がぐっと近づいたことだ。


「お姉さんは、わたしを許すつもりなの……?」

「私に怒る理由はないよ。むしろ、今日ストーキングしていた私が怒られるべき」

「やっぱりずっとつけてたんだ……」

「それと、私は渚にガチ恋してないし、フラれてもいないからね」


 なぜだか渚はむくれた。

 膝の上に袋を置き、ちらりと私の様子を伺う。


「……お姉さん、エプロンの汚れが落ちないって前に言ってたでしょ」

「え、うん」

「これ、日頃の感謝を込めたプレゼント」


 袋を渡された私は目を瞬いた。

 元推しに会う日でも、渚はずっと私のことを考えてくれていたらしい。

 口元が綻ぶ。


「大切に使うよ」

「エプロンなんだから大胆に使ってほしいんだけどなぁ」


 受け取った袋を抱えた私は、渚をじっと見つめた。


「渚、久美のことは本当にもういいの?」

「……このタイミングでそれ聞く?」

「このタイミング以外にないでしょ」


 渚はこくりと頷いた。

 目に強い意志を宿している。

 推しを失う経験は、失恋のショックに近い。

 私もナギを推せなくなった日、喪失感で死にたくなった。


「……今度の休み、二人で出かけようか」


 私の唐突な提案に渚は目を見開いた。


「お姉さん、そんなこと言うの初めてだね」

「たまにはいいでしょ?」


 逡巡していた渚が、にこっと微笑む。


「これ、もしかしてデートのお誘い?」

「デートじゃないよ」

「姉妹でもデートはできるんだよ、お姉さん」


 そういうものなのか。

 ……それならデートでもいいか。

 渚はベンチに置かれた私の手に自分の手を重ねた。


「……タイマーはセットしてないけど、しばらくこうしていい?」

「うん」

「やった!」


 秋の風が私たちの髪を静かに揺らす。

 普段のスキンシップの方が密着している。

 だけど、こちらの方がなぜだか安心できた。

 この穏やかな時間がずっと続けばいいのに。

 私は渚の体温を感じながらそう思った。

 

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