第13話

 文化祭まであと十日を切った週末の午前中、白峰葵のマンションは珍しく賑やかだった。


 前日の生徒会で「大人数分のクッキーを一度に試作したい」という話が出た結果、葵の家で作業することになったのだ。

田舎風の大きなキッチンがあるという葵の言葉に、みんなが興味を示したのがきっかけだった。


「みんな、狭い部屋でごめんね。荷物置いて、ゆっくりして」


 葵はエプロンを着けながら、みんなをリビングに案内した。

二人暮らし用のマンションだが、田舎から持ってきた大きな木のテーブルが印象的だ。窓からは都会の空が見えて、少し新鮮な空気が流れている。

 小鳥遊みうが真っ先に飛びついてきた。


「葵さんの家、来られて嬉しいです……! わあ、キッチン広い! ここで毎日お弁当作ってるんですね……」


 みうは興奮のあまり、葵の後ろにぴったりくっついてキッチンを覗き込む。

葵が笑いながら「危ないよ、みうちゃん」と腰に軽く手を回して誘導すると、みうの背中がびくっと震えた。


 橘凛は鞄をソファに置いて、部屋の中をじろじろ見回していた。少し照れくさそうに腕を組む。


「……意外と普通の部屋だな。もっと田舎臭いものがあるかと思ってたよ。まあ、悪くないけど」


「凛ちゃん、遠慮なく座ってね。幼馴染なのに、こんなに改まって来るの初めてだよね」


 葵が無邪気に笑うと、凛は「うるさい……」と呟きながらも、キッチンの近くの椅子に腰を下ろした。視線は自然と葵の動きに釘付けになる。


 白銀麗華は上品に部屋を見渡し、窓辺に立って外の景色を眺めていた。


「葵さんのお部屋、温かみがあって素敵ですわ。田舎の雰囲気がそのまま残っているようで……心が落ち着きます」


「麗華さん、ありがとう! みんなが来てくれるなんて思わなかったから、嬉しいよ」


 葵が麗華の横に並んで立つと、麗華は静かに微笑み、葵の肩にそっと指を触れた。触れた瞬間、麗華の指先がわずかに熱を持ったのが自分でもわかった。


 剣崎楓は黙々と材料の袋を運び、キッチンカウンターに整然と並べていた。スポーツで鍛えられた体が、こういう作業でも頼もしい。


「楓ちゃん、重いものありがとう。いつも助かるよ」


「……お前が中心にいるから、俺も来てるだけだ」


 楓の声は小さかったが、葵は「えへへ、嬉しい」と素直に喜んだ。その笑顔に、楓は視線を少し逸らして耳を赤くした。


 霧島紫苑は最後に入ってきて、皆の様子を柔らかく微笑みながら観察していた。彼女はエプロンを優雅に着けながら、


「葵さんのお宅にお邪魔できるなんて、光栄ですわ。今日は特別に、皆さんの好みに合わせたアレンジも試してみましょうか?」


 作業が始まると、キッチンはすぐに活気づいた。


 葵が生地をこねる中心となり、みうが隣で一生懸命型抜きをする。凛が塩加減をチェックし、麗華が丁寧に計量、楓がオーブンの温度管理、紫苑が全体の流れを調整する。六人の息がぴったり合ってきた証拠に、失敗はほとんどなかった。


 焼き上がりの香りが部屋中に広がった頃、葵はみんなに試食を配りながら言った。


「どう? この塩キャラメル味、みんなの意見取り入れて調整したんだけど……」


 みうが一口食べて「んんっ……! 最高です、葵さん……もう離れたくない……」と呟き、凛が「まあ、及第点だな」と照れ隠しに、麗華が「洗練されてきましたわ」と優雅に、楓が無言で何個も頰張り、紫苑が「ふふ、完璧に近いですわ」と目を細めた。


 作業の合間に、葵は冷蔵庫から麦茶を出してみんなに配った。自然と六人でテーブルを囲み、休憩の時間になる。


「みんなとこうして家で作業するの、なんか不思議で楽しいね。田舎じゃ友達が家に来るのも普通だったけど、都会だと珍しいのかな?」


 葵の何気ない言葉に、みんなの表情が少し変わった。


 凛が「…………お前がいるから特別なんだよ」と小声で呟き、麗華が「葵さんの家に来られただけで、特別な一日ですわ」と静かに微笑み、みうが葵の腕に寄りかかり、楓が温かい視線を送り、紫苑が「この空間、皆の想いが濃くなっていますわね」と内心で楽しげに思った。


 午後遅くまで作業を続け、大量のクッキーを焼き上げた頃、外はもう夕方になっていた。

 葵はみんなに焼き立てを袋詰めしながら、心から言った。


「今日は本当にありがとう。みんなのおかげで、自信持って文化祭に臨めそう。……これからも、よろしくね」


 その純粋な笑顔に、五人はそれぞれ胸の奥が熱くなった。


 帰り際、玄関で凛が少しだけ葵の手を握り、麗華が優しく頭を撫で、みうが抱きつき、楓が「また来る」と短く言い、紫苑が意味深な微笑みを残して去っていった。


 一人になった部屋で、葵は残ったクッキーを一口食べて微笑んだ。


「みんな、ほんとにいい子たちだな……」


 まだ、彼女は知らない。

 この週末の集まりが、彼女たちの心に残した甘くて、ほんのり切ない余韻の大きさを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る