狐の嫁入り。桜舞う庭で君を待つ
夏凪真緒
第1話 知らない人に求婚されました
丁寧に清掃され塵一つない廊下を私は急ぎ足で歩いていた。通り過ぎる人々は皆同じ様な寝間着で、歩くスピードも比較的ゆっくりな人が多い中、そういった人達にぶつからない様私は細心の注意を払いながら目的の場所を目指す。
いくつも並んだスライド式のドア。その横に表示されている名前を目で追いながら奥へ奥へと進んでいって、そして。
「おばぁちゃん!」
奥から三番目のドアの横に見知った、探していた名前を見つけ思わずドアを開けながらそう呼びかけると部屋の中には四人の年配の女性がいてその人達が一斉にこちらへと視線を向ける。
「さくら、病院では静かにね」
あまりにも必死だった為、他にも人がいるなんて思ってもみなかった私は予想外の光景に思わずその場に固まってしまっていたけれど一番手前にいた人物にそうやんわりと窘められしょうがない子ね、と言いたげな表情で笑いかけられて私は安堵から一気に脱力した。
「おばぁちゃん、救急車で運ばれたって聞いてびっくりしたんだからね」
同室の人達にうちの孫が騒がしくしてごめんなさいね、なんて謝っている祖母の元へ歩み寄りつつこちらを微笑ましそうに見ている同室の方々にすみません、と頭を下げてからそう声をかけると祖母はあらあらごめんね、と申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「階段を下りてる時に足を滑らせて転んだだけだからさくらにわざわざ連絡するほどのことじゃないと思ってたんだけど……一体誰がさくらに連絡したの?」
「白石さん。早朝にいきなり電話がかかってきてお宅の前に救急車が停まってるんだけどさよこさんに何かあったんじゃない?そっちに連絡いってる?って言われて何があったんだろうってすごく心配したんだから」
「あらやだ白石さんに見られてたのね、恥ずかしいわ」
どの辺から見られてたのかしら、担架で運ばれてるところは見られてないといいんだけど、なんて呑気な事を言っているところを見ると本当に大したことはなかったのだろう。
連絡をくれた白石さんも救急車のサイレンの音でうちの前に救急車が停まっているのに気付いて慌てて私に電話してきてくれただけでどうしておばぁちゃんが救急車で運ばれたのかまでは知らなくて、とりあえずここの病院に運ばれてると思う、という情報しか得ていなかったからここに来るまでの間もしかして何か重い病気で倒れたのでは、なんて道中気が気じゃなかったけどいつも通りの様子で話すおばぁちゃんを見て私もようやく落ち着きを取り戻せた。
「思ったより元気そうで安心したけど階段で転んだなんて、本当気を付けてよね。あとこういう時はすぐに連絡してよ。ここら辺にある大きな病院ってここだけだから今回はこうやってすぐに見つけられたけど東京だったら救急車で運ばれた、なんて情報だけじゃどこの病院に運ばれたかなんて分からないんだからね」
「あら、じゃあ田舎暮らしだったことに感謝しないとね」
「そういう話をしてるんじゃないのよおばぁちゃん」
そんな風にいつも通りのおばぁちゃんと家にいる時の様な感じで話していれば周囲から可愛いお孫さんね、とかおばぁちゃん思いの優しい子ねぇ、なんて声が聞こえてきて少しだけ気恥ずかしくなった私はこちらを微笑ましそうに見ている同室の方達に軽く会釈して、そしてまたおばぁちゃんへと視線を向ける。
「それで、怪我とかどんな感じなの?」
「怪我はしてないわよ。少し腰を痛めただけ。でも念の為二日程検査入院をすることになったの」
だから家から必要なものを持ってきて欲しい、そうおばぁちゃんから頼まれ私は約三年ぶりに実家へと足を踏み入れることになった。
♢
「おかえりさくら。待ってたんだ。結婚しよう」
……一体、何が起きているのだろう。タクシーから降りて見上げた三年ぶりの実家は何も変わってなくてなんだか懐かしいな、なんて思いながら玄関のドアを開けた瞬間、目の前に見知らぬ20代半ばくらいのアイドルや俳優と言われても納得するくらいの整った顔立ちをした男性が立っていていきなりプロポーズされるなんて誰が想像しただろうか。
にこやかに微笑む目の前の男性は訳が分からず固まっている私の方へ一歩、また一歩と近づいてくる。
「さくら?どうしたんだい?あ、そうだまだ名乗ってなかったね僕は……」
「……っ、きゃぁぁぁぁぁ!」
手を広げ近づいてきた男性にハッと我に返った私は思い切り叫び、驚いて立ち止まった男性を思い切り突き飛ばすと彼はよろけ、そして玄関先へと転がった。
「お引き取り下さい‼」
そう大声で叫びながらドアを閉め、鍵をかけて息を潜め私はドアにピタリと身体を寄せ外の気配を窺いつつ今の状況を整理した。
今はおばぁちゃんしか住んでいない家にいた見知らぬ男性。彼はどうして私の名前を知ってるの?結婚って何?
もしかしてなかなか恋人が出来た、と報告出来ずにいた私を心配しておばぁちゃんがお見合い相手を見つけてきた?なんて考えが一瞬脳裏をよぎったけど、そんなわけはない。だっておばぁちゃんは知ってるから。私の恋愛対象が女性だ、ってこと。
でもそれならあの人は何なのだろう?ていうか当たり前の様に家の中にいたよね?不法侵入?泥棒?もしかしておばぁちゃんの新しい恋人、とか?でもそれなら私を出迎えに来た上にプロポーズする、なんてことしないよね?
考えれば考えるほど、思考はこんがらがっていく。しばらくしてもういなくなっただろうか、と恐る恐る外の様子を窺えばそこに先程の男性の姿はない。近くにあった傘を何かあった時の為に武器代わりに握り締めて外へ出てみたけど見える範囲にあの男性は見当たらない。いや、本当に何だったの?
いきなり追い出されたのに事情を説明するでもなく、こんなにあっさり引き下がるのもなんだか腑に落ちないけれど自分一人で考えていたってきっと答えは出ない。とりあえず必要な物を持ってさっさと病院に戻ろう。そこでおばぁちゃんに聞けばいいだけの話だ、あの人が誰なのか、どういう関係で何故家の中にいたのかを。
もし私が存在を知らなかった許嫁とかだったらその時は……。
私はもう一生、この家には帰れないかもしれない。
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