応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 前編への応援コメント

    「小説の審査員経験者が読みます&読み合い企画です。」から来ました。
    拝読しました。作品の雰囲気が好きです。
    私は、作品の中で言葉や場面がどう響き合っているかを追って読むことが多いので、今回はその方向から書かせてください。
    少し長文になりますがご容赦ください。



    正直に言うと、読み終わったあとしばらく、三沢さんの怒りよりも、そのあとの梶谷さんの喉のあたりが気になっていました。

    合コンの席で、後藤さんが「最近の三十代って若いですよね」「でも……やっぱり三十代は三十代」と言った瞬間、三沢さんが「それって、どういう意味ですか?」と場を止めるように怒る場面は、読んでいて胸がすくところがあります。
    誰かが代わりに怒ってくれる。たしかに大きな出来事です。

    この作品はそこでは終わりませんでした。

    この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。



    読みながらずっと引っかかっていたのは、「あしらい方」という言葉でした。梶谷さんは、際どい言葉を受け流し、嫌なことも笑って処理する術を、長い時間をかけて身につけてきた人です。それは処世術というより、傷を癒すための手順ではなく、傷を受け流したまま、いつもの席へ戻るための手続きのように読めます。

    会社に入って最初に覚えたのは、仕事の仕方ではなく、笑い方だった。

    この一文を読んだとき、梶谷さんにとっての「仕事」の輪郭が、少しだけ見えた気がしました。治りかけた傷の上の瘡蓋を剝がされるたびに、彼女は微笑む。うっすらとすり減っていった気持ちは、もう原型すら分からない、とも書かれています。この笑い方を、明るさや余裕として読むことはできませんでした。むしろ、笑うたびに少しずつ自分をすり減らしてきた手続きのように見えます。

    三沢さんの「梶谷先輩、どうして怒らないんですか?」という問いは、梶谷さんがずっと受け流してきた場所に、まっすぐ触れてしまう問いです。梶谷さんは「大したことないじゃない。それに、私は気にしてないよ」と答えますが、そう言うと同時に喉がひりつく。言葉と身体が、別々の返事をしています。

    後編で三沢さんが「一番傷ついたのは、梶谷先輩のはずなのに」と頭を下げたとき、それがどうして分かったのかは、本文のどこにも書かれていません。ただ、その言葉を受け取った梶谷さんは、「私って、可哀そうな人みたいね」と返します。守られている、というより、見透かされてしまったことへの反発のように読めました。三沢さんの言葉は、たしかに梶谷さんの奥へ触れているように見えます。けれど、それがどの経路で見えたのかは書かれないし、触れたからといって、そのまま梶谷さんを楽にするわけでもありません。

    後藤さんの謝罪も、すっきりした変化としては置かれていないように感じました。
    「姉貴にこのこと喋ったら、こっぴどく叱られました」と言い、「失言」として謝ります。けれど梶谷さんは、後藤さんがどこまで腑に落ちているのか、正直図りかねています。その後も、容姿に関する軽口は「随分減ったかもしれない」と書かれるだけです。

    ここでも、何かが完全に改まったとは言い切られない。
    少し減ったかもしれない、というところで止まっているのが、この作品らしいと思いました。



    絢子さんとの廊下のやり取りも、印象に残っています。
    「私たち、あしらい方ばかりを覚えてきたと思わない?」という絢子さんの問いに、梶谷さんは「どう頑張っても、なくなるわけではないから」と答えます。
    絢子さんも「なくなりはしない」と同じことを認めながら、「自分の娘たちに、自分と同じ苦しみを背負わせるんだって」と続けます。同じ現実を見ている二人が、そこから違う行為を選んでいく。梶谷さんの「そう言えることが、恵まれてるってこと、気がついてる?」という言葉も、絢子さんの「私は多分、恵まれてる。――だから、やらなきゃいけないんだよ」という言葉も、どちらもそのまま残ります。

    片方がもう片方の答えになる、というふうには読めませんでした。



    三沢さんのコンプラ部への異動も、すっきりした解決には見えません。「主任が欲しがったらしいぞ」というだけで、なぜ三沢さんだったのかは説明されないまま、梶谷さんの中で「――なぜ。」という言葉だけがぐるぐると回ります。この「なぜ」は、絢子さんとの対話に流れていくものの、そこで答えが出るわけではないようです。

    この作品でいちばん残ったのは、梶谷さんが本当は怒れない人だったわけではない、という一文でした。

    人目を憚らず、怒って、泣いて――。

    それで上手くいくのであれば、私だってそうしていた。

    そう、したかった。

    「したかった」という言葉があることで、梶谷さんの「あしらい方」は、単なる無感覚や諦めではなく、そうしたかったのにそうできなかった、というずれとして読めるようになります。ただ、この「したかった」がそのまま新しい生き方に変わるとは、本文は書いていません。

    梶谷さんは、自分の感情に名前をつけられないだけでなく、自分の声や表情さえ、うまく自分のものとして扱えずにいるようにも見えました。

    「思った以上に自分の言葉が素っ気なかった」
    「自分で思っていたよりも冷ややかな口調に、驚いていたのは私自身だった」
    「自分の声が自分のものではないように聞こえた」

    異動を告げられた直後には、よく馴染んだ笑顔を作ろうとして、口が歪む場面もあります。
    終盤、暗転した携帯電話に映るのも、笑顔ではなく、しかめっ面で睨む私です。

    最後に梶谷さんがしたのは、「ご迷惑をおかけします」を途中まで書いて消し、「明日まで、休みます」とだけ送ることでした。それから携帯電話の電源を落とし、ハイヒールを片方蹴飛ばす。片足になった身体は、どこにも捕まらないまま、不格好に揺れながら、一歩ずつ、休みながら進みます。

    最後まで倒れなかった、とだけ書かれています。

    これを、梶谷さんが何かを取り戻した場面として読むことは、私にはできませんでした。
    名前のつかない感情も、うまく持てない自分の声や表情も、そのままです。ただ、いつもなら「ご迷惑をおかけします」と先に謝っていたはずのところで、その言葉を最後まで書かずに消した。その差分だけが、本文の最後に残っています。



    プロフィールを拝見しました。普段、言葉に関わるお仕事をされているとのことでした。
    読み返してみると、この作品が扱っているのは「何をどう言うか」よりも、「何を言わずに済ませるか」「何を先に謝ってしまうか」の方だったように思います。

    「あしらい方」も、「会社に入って最初に覚えたのは、仕事の仕方ではなく、笑い方だった」という一文も、日常の中ではそのまま流れていきそうな言葉です。
    本文では、それぞれが職場でどう振る舞うかという具体的な手続きに結びついていました。
    後藤さんの「失言」という言葉も、梶谷さんが途中まで書いて消した「ご迷惑をおかけします」も、大きな主張の言葉ではなく、反射的に出てくる小さな言葉です。
    この作品は、そういう小さな言葉の方に焦点を当てているように読めました。

    ブラッシュアップのための感想として一つ書くなら、この作品が強く残るのは、出来事の大きさによってではなく、細かい単位まで降りていく書き方によってだと思います。

    「謝る文面」
    「笑い方」
    「喉のひりつき」
    「歪む口元」

    最後の「明日まで、休みます」という一行も、単なる休暇連絡以上の重さで残りました。
    その前に、「ご迷惑をおかけします」を書きかけて消していたことを、読み手はもう知っているからです。

    作者からの返信

    ご丁寧なコメント頂き、畏れ多いです。ありがとうございます。
    読んでいただきたいところを余すところなく拾い上げてくださったこと、また見落としがちな、言葉や場面がどう響き合っているか、客観的に見ていただけて、感謝申し上げます。

    社会に出て、女性の扱いにぶん殴られたような衝撃を受け早くも10年以上が経ち、その痛みに慣れてしまった私が、このままで良いのかなと思い書いてみました。
    主人公が何か大きく変わったわけでも、後藤も何か変わったわけではないのですが、それでも少しずつ社会が良くなって欲しいという思いを込めました。

  • 後編への応援コメント

    はじめまして。
    刺さりすぎて、コメントしたいのにうまくコメントできず、ハートと星の押し逃げだけしてしまい、失礼しました。
    社会人女性の感情の機微を、ここまでリアルに描けるのは、素晴らしいの一言に尽きます。

    私の拙い作品にも温かいレビューをいただきまして、ありがとうございました。

    作者からの返信

    気を遣わせてしまったようで申し訳なかったです。素敵な作品だったのでレビューさせていただきました。
    大人になると色々窮屈で理不尽ですよね…それを描写してみました。

  • 後編への応援コメント

    いや、もうめちゃくちゃ良かったです。これこそ読みたかった純文学でした。感情の解像度が手に取るように高くって。引き込まれるように息を呑むように呼吸すら忘れて読みました。素晴らしい傑作をありがとうございます

    作者からの返信

    ありがとうございます。過分なお言葉いただき、恐縮です。
    弁える女と弁えない女――いずれにせよ生き辛いなと思って、この作品を書きました。