第二話 美人神官フェルルーン様

 日も上がらない早朝と言えるのかも怪しい時間にヴァムはステファンの元を離れた。


「ふわぁ~。セツにプロポーズする勇気を持てたら戻ってくるといいよ。なぁーに、その時に冒険者をやめたとしても私が雇ってやるから心配することはない。……いつでも帰っておいで」


 三時間しっかり寝たヴァムと違って徹夜が常習であるステファンの眠気を堪えた言葉で見送られて、いよいよ旅立ちの時を迎えていた。


「しっかし、神官様ってのは皆こんな早起きなのかね」


 まだ三時過ぎだった。こんな時間を早朝だと言い張るのはどうかしている。ステファンがおきていたのだから深夜と言っていい時間だろうに。

 石畳を維持した街の通りを静けさに相応しく音を立てずに歩いていると、依頼人である神官様の姿が見えた。


「我が真神たる神、旅神よ。我が信条たる神、旅神よ。我が想いの源泉たる神、旅神よ――」


 音を消して歩いているこちらに気が付かない様子の神官様は不用心にも一人で、目を閉じて祈りを捧げていた。

 神の声をきいた神官に相応しく、飾り気のない真っ黒な神官服の胸元で旅の神の聖印であるブーツの紋様が記された首飾りが一つ揺れている。


 この神官様はいまだに治安と言うものを分かっていないようだ。


 ヴァムは旅の神様の信者ではないが、旅神様の神官に敬意を持っている。

 それは実利として長旅をするにあたってこれほど頼りになる、便利な存在もいないからだ。


「どうか。我が旅、我らが旅に、我らが行く末に、御身の加護を賜らんことを――」


 ゆえに祈りの邪魔をしないように、そして護衛らしく邪魔をさせないように、正面に立って周囲を警戒していた。


「――あ」

「終わりましたか。フェル様。おはようございます」

「お、おはようございます。ヴァム様。……お、お恥ずかしいところを」


 依頼人の神官であるフェルルーンこと、フェルの赤面した顔が朝露に濡れた花のように愛らしく揺れていた。

 柔らかそうな唇がもじもじと恥じらいを感じさせて動くと、幼げで綺麗な美少女のような声が漏れていた。


「何を言われますか。フェル様が旅神様に祈ってくださるお時間は大事なことです。まぁ、不用心ですがね? ここは治安がいいですが、日も上がり切ってないし、人通りも少ない中でやるものではありませんよ?」

「す、すいません……その通りです」


 二人は深い仲だ。

 職だけみても、神官と冒険者は切っても切れない関係であり、協力しあうことは日常の景色だ。

 だが、二人は冒険者と神官という立場を除いても仲が良かった。

 親友のようでもあり、兄弟のようでもあり、恋人のようでもあると言われている。

 そんな二人は対照的な見た目だ。

 大柄なヴァムは百八十セルチの背丈をもつが、フェルは百四十セルチほどしかないうえに、一見すると愛らしい女性にしか見えないほど中世的な容姿をしていた。

 藤色の髪を頭の上で丸めるように編み、うなじをさらしてその白い肌をそそらせるように見せ、瞳は大きく丸みがある。唇は男のものとは思えないほど柔らかさと赤味を帯びているのだ。

 話せばしっかり男なのだが、今のように恥じらっていると女にしかみえない。

 可愛らしいと感じる顔つきや男のものと思えない愛らしい声質だけでなく、その背の低さも含めた総合力がそう感じさせるのだろう。

 幼く見える条件が揃っていれば女のように見えるのも仕方のない事である。


「では、出ましょうか。ヴァム様。加護は既に賜りましたから」


 そんな少女のような背丈でありながら、背負った荷物袋のなんと巨大なことか。

 ヴァムはフェルの背負った荷物袋の膨らみ方に神様の奇跡を見た。


「かしこまりました。……しっかし、いつみても旅神様の奇跡はすごいですねぇ。フェル様は小柄なのに、こんなデカイ袋を」

「あはは、試しにこの袋の上に座ってもらってもかまいませんよ?」

「冗談ではないですね? では、失礼して……おお。重くはないのですか?」

「ええ。先程も言いました通り、今の私は旅神様から加護をいただいておりますから。旅の荷物の重さに耐えることが可能なのです」


 フェルは背負った荷物にヴァムの重さが加わっても平然としている。

 巨大な荷物の上に大柄なヴァムが腰かけているのだ。

 例えフェルがドワーフのような小柄な体躯で怪力の持ち主であったとしても、バランスが悪すぎて支えきれないだろう。つまり魔術による身体強化という方法でもこうはいかない。

 まさに神の奇跡とよべる御業である。


「それでは、旅の護衛をよろしくお願いしますね。ヴァム様」

「はい。フェル様」


 荷物から降りたヴァムにフェルは柔らかな笑みを浮かべた。溶けるような笑みだ。

 澄んだ群青色の瞳をむけて礼儀正しくも愛らしい笑みを浮かべているフェルとの旅こそ、ヴァムの報酬である。

 心のセツの目が厳しくなった気がするのは本当に勘違いである。

 相手はフェルなのだから。




 東方諸国は西方より国数が多い。

 小さな国々の細やかな交流によって物資がいきわたる大国不在の地方だった。

 先の魔王との戦争によりその団結は強まってはいるのだが、他地方との交流がほぼ途絶してた。


「魔王の支配領域が伸びた際に東方は完全に孤立してしまったんですよ。その状況で耐えきった結果、今でも東方だけで資源が回っているそうです」

「西とはずいぶんと違いますねぇ。大国アウロアを中心に栄えて、他地方と交易してるのに」

「まぁ西方は包囲されませんでしたからね。東方は酷い争いだったらしいですよ。勇者様が魔王を討たれるのがあと十日遅ければもたなかったと言われていますから」


 東方諸国にむけて旅立って一日が過ぎた。

 既に二人の姿は東方諸国の国境付近にあった。

 旅神の加護は旅人に強靭な加護を与えることで知られており、ただの歩き旅は通常の五倍の速度で進むのだ。一日もあれば西方から既に東方に差しかかるほどである。


「――いったん止まりましょうか。フェル様」

「はい――ヴァム様」


 ヴァムは濁流の如く流れ去る景色に混ざった色の違いを逃さず捕らえ、フェルの足を止めさせた。

 あっという間に進んだ景色の先に滲んだ赤い水溜まりを視界にとらえ立ち止まると、フェルを後ろにかばって警戒の構えを取った。


「あのぅ……ヴァム様?」

「フェル様、セツが言っていましたが……東方はこれまでの生態系が崩れて、初見殺しが横行しているそうです」

「……あの小さな、赤い水が、そうだと?」


 フェルの声は疑いではなく興味で色づいている。

 初めて見るものへの興味は旅神様の神官であれば注目の的になる。

 すこし前のめりになったフェルの身体をとどめたヴァムが頷く。


「可能性はあります。……包囲されていたとのことですけど、つまり、この辺りは魔族が我が物顔で過ごしてた地域ですよね。となると、交流を断っているというよりは……」

「……まともに交流できないほど、危険、ということですね?」

「ええ。なので――」


 ヴァムはフェルを残して出ようとして、やめる。目に入ったアレが全てではない。なにがあり、何がくるのか分からない以上、護衛対象との距離をあける真似は出来なかった。


「俺の後ろで祈っていてくれ。フェル」

「はいっ」


 頼もしそうにこちらに向けて笑みを浮かべるフェルに背を向けて前を向けば、明らかに赤い水が横に大きく広がっている。


「射程圏内が近いってことったな。……なにがで――!」


 一歩、ヴァムがにじり寄るように踏み出したその時だった。

 目線の先で広く浅く広がってるように見えた赤い水溜まりが、瞬きの間に吸い込まれるように消え去り――ヴァムの足元から赤い一筋の噴水のように湧き上がった。

 

 ――避けられる、いや、ダメだ。


 不意打ちとはいえ、ヴァムガロイにとってはこの程度の速度、避けられないものではない。だが、魔物の軌道は綺麗に後ろにいるフェルまでむいている。よければフェルに当たる。

 だが、後にはフェルがいるのだ。

 左腕を赤い先端に割り込ませ、盾にする。

 すこし肉に食い込んだその赤い液体は、へばりついた。


 ――この感覚。粘体スライム、か?


 左腕にへばりついた魔物が自分の血を、魔力を吸う行動をとったことに驚きながら、ヴァムは魔物を一撃で屠った。

 右手の拳を一度振ればそれで事足りた。

 べちゃりと音を立てて地面に赤い液体となって落下する。


「フェル。腕を頼む」

「はい。――ヴァム様。もういいですよ」

「ありがとうございます」

 神官の奇跡は魔術師の治癒魔術とは比べ物にならないほど即効性がある。

 フェルが手をかざしてほんの少し祈りを捧げれば、ヴァムの傷はなくなっていた。


「これは――人の、血?」


 覗き込んできたフェルがなぜ魔物が赤かったのかを理解して、はっと顔をあげる。

 何かの声を聞いたような、神の啓示をうけた神官の顔だった。


「フェル様、見えますか?」


 旅神様の神官には道筋がみえるということがある。

 それは行くべき道、通るべき道をはっきりと映し出す。


「はい。ヴァム様……あちらに、誰か囚われているようです」


 フェルはその道を見つめて指で示した。




 道を進んだ先にその洞窟はあった。

 湿地帯と森林を分ける川の横、川岸付近にくぼんだ場所だ。

 そこに薄緑色の粘体が群れを成していた。


「どうやら、まだ助かりそうな人がいるようです」


 それを確認していた人影が、そっと、岩影に身を潜めた。


「それはよかった。この距離だと俺では生死まではわかりませんからね」

「えへへ。私、役に立つでしょう? ヴァム様」


 神官であるフェルは生死を見分けることに関しては見ただけでできる。

 ヴァムはそれに頼って遠距離から先程の赤いスライムの大元――巣とも呼ぶべき場所を確認していた。

 先ほど仕留めたスライムの粘液を空に掲げて眺めなおす。

 すこし緑色の透明な粘液は通常のスライムがもつ酸性がほぼなく、ただの小瓶に収まっていた。


「あの赤はやはり血液だったんでしょう。あの魔力の減少。肉体を溶かして養分にするのではなく、魔力吸収の養分にするスライムのようです」

「そんなスライム、西方ではあまり聞きませんね? スライムと言えば金属殺し、上質な武具をすぐにダメにしてしまうことで冒険者泣かせの定番ですが」

「ええ、スライムはそもそも生物というよりはアンデッドやゴーレムに近いですからね。繁殖するものでもないです」

「ですが……あれは生き物です」


 フェルが岩陰から顔をあげて、先にある浅い洞窟を見つめる。

 両手の指をささっと折りたたんで、しばしば、フェルはさっと身をかがめてヴァムを見つめる。


「二十二と判断します。それだけ生きていると断言できます。……これも、魔王軍の残した影響でしょうか。スライムが生物になっているなんて」

「あれは巣だ。大方、水辺に構えたのも、増えた固体を川に流してるんでしょう」

「……知性は?」

「なんとも。ただ、機能的ではなく、本能的な行動なのは間違いない。さっきの個体で大体わかりましたからね」


 ヴァムは左腕をさすった。先程の襲撃でスライムに穴をあけられた腕の怪我はフェルの奇跡により治り切っているが、自分に傷をつけれるほどだ。


「あの貫通力、スピード……魔力を吸った固体ほど強いんでしょう。ほんとフェル様と一緒でよかった。怪我の心配がない」

「えへへ。でしょうー? 私、お役に立てますから。……なので、お気になさらず。ここでお待ちしていますよ」

「いやしかし、仮にも依頼人ですよ? フェル様は。一人残しては……」

「なら、フェルと呼び捨てになさい。ヴァムさ――、こほん。ヴァム」


 フェルはその女にしか見えない顔に、強い意思の籠った眼差しと厳しさを纏わせた。


「あなたは冒険者として何より受けた依頼の遂行が第一。本当ならあのスライムは見逃したい。でも、囚われの人の姿を確認した。しかも生きてる。なら助けたい。助けたくて仕方がない。……でも、私がいる。わざわざ回避できる危険に依頼人を連れていくのか? と悩んでいる。そして結論。あなたは泣く泣く、私を優先して手早く冒険者組合がある都市を目指す。私を送り届けたその日のうちにここに戻ってきてスライムの駆除をする。……でしょう?」


 すべてを見透かした眼差しと、言い当て切ったその言葉の重みは、愛らしいフェルとは打って変わったもの。


「私は、私を泣く泣く決断する理由にされるのは嫌です。あなたが喜んで私を選ぶというのなら大賛成しますが。泣く泣くは嫌なのです」


 その声は偉大なる神の声を耳にし、神の教えを絶対のモノとして生きる敬虔な神官のものだ。


「あなたの意思を折る理由になるつもりはありません。ヴァム。……私と一緒でよかったといってくださったでしょう? ヴァム様。あなたの意思を助ける私でいさせてください」


 最後に昔馴染の顔に戻ったフェルはにこりと微笑むと、膝をついて祈りの構えを取った。ここで祈って待っているという意思表示だった。


「……わかった。すぐに戻ってくる。祈っていてくれフェル」

「はい。ヴァム様」


 旅神様への祈りが始まりヴァムの身体に一つ加護が宿ると、岩陰からヴァムは飛び出した。

 護衛対象を残して他人を救いに行くのだから、何一つ余裕はない。


 ――速攻で片を付ける。


 ヴァムは躊躇いなくスライムの巣に入り込んだ。

 瞬間、大小二十のスライムが洞窟全体から迫った。




 依頼人として、一人の友人として、フェルには独占欲があった。

 第一頭冒険者になったヴァムを個人で雇うことなどできるはずはない。

 今回の旅も、当初はお別れのつもりで計画していた。

 ヴァムが追放され東方に流れることを知った際、フェルにあったのは喜びだった。

 ともに旅に出るために自分に声をかけてくれたこと、頼ってくれたことが、とてもうれしかった。ともに旅することは喜びしかなかった。


 道中何度言おうと思ったことか。

 神様が意地悪をして加護をくださらない、と。


 憧れのヴァムとの二人旅。

 自分一人が依頼人である。

 あれやこれやと振り回してみたい気持ちだった。あの魔術研究所のステファンのように。

 しかし、結局、フェルにはそんなことはできなかった。

 役に立てないと思われたくなかった。お荷物扱いにはなりたくなかった。

 旅神様の神官が荷物になって旅人の足を重くするなど、受け入れられなかった。

 だから、フェルが岩陰で祈りを捧げて待つのは神官として当然の行為だった。

 

 憧れの人の足かせになるような真似はしないのだ。

 

「戻った。フェル。異変は?」


 スライムの巣に突入して十分もたっていないだろうに、ヴァムが戻ってくる。

 祈りを終え、顔をあげてそれを見上げれば、太陽を遮った憧れの人の顔がある。


「ありませんよ。ヴァム様」


 一人残った自分の身を案じて本気で挑んでくれたのだとわかった。

 その超一流の冒険者の凛々しい顔のなんと格好いい事か。

 自分の憧れそのものを見上げて、フェルは身震いしながらも柔らかく微笑んだ。



 お荷物ではなかったでしょう? と。



 膨れ上がった荷物を抱えて、フェルはヴァルを先導して歩を進めていた。

 こと急ぐ旅路となればヴァルよりもフェルは優れていた。

 スライムの巣で回収したものは遺品が少々と、生きた女性が二人である。

 それらを全て荷物袋に押し込んでいた。

 荷物とさえ認識し続けている限り、旅神様の加護はその重さを何も感じさせない。 

 通常通り五倍速でその足が進んでいく。


「こちらです」


 見知らぬ道に満ちるのは見知らぬ空気。

 地図など役に立ちはしない。魔王軍に永らく占領されていたこの土地は既に人の手を離れているのだから。

 そんな未開の土地であるからこそ、旅神の信徒にとっては自分の土地であった。

 フェルには道筋がしかと見えた。

 歩みを早め続ける足は神の導きとそれを感じとる自らの感性のたまものである。


「見えましたよ。ヴァム様」


 そうして先導して歩み進めた先に、目的地である東方諸国に属する都市の、横に広がった城壁が見えてきた。

 道中の湿地帯と森林を経て、最後に都市との間に待っていたのはなんと砂漠地帯だった。


「砂……ああ、土地が可哀想。だいぶ傷ついています」


 フェルは大荷物を背負ったまま、しゃがみこんで痛んだ大地を撫でた。

 乾ききったその大地の有様は地脈を通った魔力が乱れている証拠だった。


「西方も最前線じゃ、こんな有様も珍しくはなかったらしいですが……」


 ヴァムが視線を横にやって伸びていく砂漠を眺めて目を細める。

 見渡せないほど長く続く一面の砂漠の大地。

 それほどの戦場だったのだ。この場所は。


「ここまでではなかったでしょう。ここまででは。……土地を気にする余裕もなくなった戦場だったんでしょう」

「酷いことです。人族であれ、魔族であれ、土地の恵みをおろそかにしていいわけがないのに」


 土地には魔力が流れている。生きているのだ。

 血が魔力を帯びるように地脈は魔力を通し、その魔力の恩恵を得て人族も魔族も糧を得ている。


「これでは、勝っても負けても、何を得られるのでしょうか……お許しを」


 フェルは本当のこの土地を、この砂はどんな色を見せていたのだろうかと思いをはせ、人族と魔族の罪深さを謝罪した。

 数秒の黙祷ののち、フェルは肩をたたかれて顔を上げた。


「フェル様、そろそろ、荷物をあけましょうか。人の目につきますから」

「ええ。……ん。よし! 切り替えました。ヴァム様。よいしょっ」


 ぼふんと土煙をあげて、背負っていた大荷物を地面に置く。

 フェルは縛り口を開いて中身を二つ引っ張り出した。

 繭のように白い布で覆われた二つの球体だった。


 スライムの巣で救出した二人の女性冒険者である。

 黒髪の女性と赤髪の女性がぐったりとした様子で繭の形で納まっていた。


 意識を失っていてくれてフェルとしてはとても助かる思いだった。

 ヴァムのような強い男に助けられれば大抵の女はコロっと思いを寄せてしまうもので、それは問題の種にもなるからだ。


「ついた時に起きてもらえれば都合がいいので、そのままでもっていきましょう」

「わかりました。……ここからは荷物ではないので、ヴァム様。お願いします。あ、変なところさわったら、セツさんにあとで告げ口しちゃいますからね?」

「大丈夫です。セツの目は俺の心にありますから。……ってなんで不満顔に?」

「不満ですー。私の悪戯を無駄にしないでください。……ふふ、では、はい。両手に花ですよ」


 フェルは荷物でなくなった二人の女性をヴァムに任せて、大荷物を背負いなおした。

 衣類がほとんどダメになっていた二人の女性は白布でまかれてるだけだ。 

 ヴァムがどう抱えるか悩んだ末に、結局荷物を抱えるように両肩に担ぎ上げたのを見てフェルの笑い声が響いた。



 

 西方竜王諸国の中心アウロアを代表する第一頭冒険者ヴァムガロイといえば、西方で知らない者はそうはいない。

 後輩冒険者の羨望の的、高い依頼料が基本の高給取りだ。

 はした金に等しい金で勝手に依頼を取る余裕すらある。

 そんな余裕の報いを受けてこの度、治安がいまだに悪いままの孤立した東方諸国へと流されてきたヴァムなのだが、本人は深刻にとらえてはいなかった。


(西も東も危険に違いがあるもんか。危険は危険。程度の低い話と思えば取り返しがつかなくなる。危険は危険なんだ)


 セツは東はとても危ないと心を痛めていたが、危険を侮るなんてことはとうの昔に失った感覚である。

 どこでも危険は危険なのだから、冒険者の仕事で苦しむことになるとはこれっぽちも思っていなかった。

 一から積み上げる関係性の構築や信頼の獲得も、ヴァムにとっては悩みにならない。そもそも中王国から西に流れ着いた時点でヴァムは天涯孤独だった。

 一人で冒険者の店の門をたたいて冒険者になった。

 誰も彼もが初めて見る顔だった。

 誰からも信頼されていなかったし、愛されてもいなかった。

 何も持たなかったヴァムが、別れ際にセツに泣かれ、ステファンに励まされ、フェルという旅の友を得たのは巡りあわせと本人の努力の結果だ。


 まして今は第一頭冒険者という肩書きがある。


 ヴァムという個人への信頼はなくとも、肩書は冒険者組合が保証した証拠。

 間違いなくある程度の待遇は保証されている。衣食住に困るはずはない。

 七年前は衣食住すべてに困って、組合で下働きをしていたセツの世話になるという駆け出し時代を過ごしていた。


 そうと思えば、そう考えれば。


「どうにでもなりますよ。フェル様」


 そう思って、女性二人を冒険者の店に送り届けるときに、ヴァムはフェルに別れを告げたのだ。

 自分はここからは冒険者の店、組合の世話になる身である。

 冒険者ではない神官のフェルは陽神の神殿で世話になるのだから別れを言うのは当然だった。

 依頼で忙しくなるか、フェルが旅神の信徒らしく各地を回り始めればもう当分会うことはない。

 危険がつきものな仕事をしているのだから、別れは常に今生の別れに等しい。


「ヴァム様……セツさんに会いに行くときは、私がお供をしますから、その時まで、お元気で。約束ですよ」

「はは。……ええ。もちろん。その時はこちらから依頼をだすよ。フェル。いつでも頼れ。出世払いでいい」

「ふふ……嬉しいけど、ダメです。それを繰り返したせいで、ここに来たんでしょう? その時は、正規の料金を払います。……足りない分は埋め合わせで」


 そうして別れ、いざ東方で冒険者としての新たな一歩を踏み出そう。

 と、まずは救助者を店主の獣人に預け、事情を説明した時だった。


 自分の冒険者情報が、西から東へ、まだ届いていないと分かったのは。


「いったいどうなんてるんだ。……セツ」


 胸の内でセツは何も言ってくれない。当たり前だ。そこに口はない。


「セツさんが手続きミスするなんてこと、ありえません。ましてヴァム様の大事ですから」


 一人部屋の寝台に突っ伏したヴァムの対面にある小さな椅子に腰かけたフェルが、その目にあやすような、慰めるような色を浮かべていた。


「きっと、そもそも西と東の魔術通信が、上手くできてなかったんじゃないですか? ただでさえ分断されて、送信に時間がかかるうえに、一方通行でしたよね?」

「ああ。……西の組合から東には送れるが、東から西には今は送れないはずだ。……すいません。フェル様。ご厄介になって……」

「あははは。いいんですいいんです。むしろ狭くてすいません。ここの人達、やっぱり旅神様の神官である私にはちょっと厳しいようで、一番狭い部屋を回してくれたようです」


 二人がいるのは、フェルが陽神の神殿で案内された、旅の信徒に貸し出される部屋の一つだった。


「ただの巡礼者や平信者じゃないんですから。ふつーはもっと大きい部屋を貸してくれるものなんですよ? やっぱり今の時期は戦神様じゃないと待遇がよくないです」


 フェルは旅神様を信仰する神官であるため神殿勤めをするわけではない。

 だから司祭や大司教などといった大きな役割を担うことはないが、その信仰心は敬虔な信者であれば一目でわかるほどに神の声に近しい神官である。

 西でヴァムがフェルの部屋に案内された際は、寝室は別で浴室まであり、祈りのための小部屋すらある立派な部屋を貸し出されていた。

 それがここでは安宿に等しい扱いだ。あまりにも不遇である。

 しかし、それにも事情がある。旅神の加護は、戦神に類する神々の加護と似通っている。どちらも危険な地帯を生き抜くための加護を与えてくれるからだ。


「……やはり、争いを避けることにしか加護が与えられない身では、ここのように未だ戦時の空気が残る場所では、甘えた考えのようにとられてしまいますね」


 ほんの少しだけ、フェルが自分を恥じるように目線を下げた。

 外への渇望、未開の地へ足を運びたいという欲望。

 それは戦時では戦神が聞き入れるものであった。

 魔族という脅威に阻まれて身動きができない中での外への渇望は、外敵を押しのけて進むものへ思いが伸びるものだからだ。

 そんな中で旅神の声が聞こえた者は、敵を避けること、敵から身を逃して先に進むことを望んだ者である。

 戦わなければ未来がない時代で逃げることを望んでしまっては、後ろ指を指されても仕方のないことではあった。


「あ、あ、だ、大丈夫ですよ? 冷ややかな目はあれど、旅神様への不敬はありませんから! もっと平和になれば望まれるのは、旅神様のほうですし? なんだかんだで、こうしてヴァム様を部屋に泊めても何も言われませんし、食事だって出してくださりますから。……あくまで、私への、冷やかさなのです」


 この時代の旅神の信徒が抱える弱さ。

 逃げたいという本心をさらけ出すことは、時折こうしてその心を傷つける。

 だからこそ、ヴァムはそういうフェルを見かけるたびに、


「ひゃぃ!? ――も、もぅ。ヴァムさまぁ、もう、またっ」


 無理やり抱きしめそんな傷を見えなくする。


「フェルは立派な神官様だ。……逃げたいときは逃げてくれていいんだ。逃げてくれるからこそ救われる心があるんだ。……いつも言ってるでしょう?」

「もうー……はい。落ち込むのはやめますので……あんまり抱きしめてくださると、セツさんに悪くなっちゃいますから」


 とはいいつつも、フェルはこうなれば自分から離れることはない。

 ヴェムの内にあるセツの目が鋭さをましてヴァムの胸にチクチクと刺さる。

 ヴァムとしてはステファンにこんなことをしたのならわかるが、相手はフェルである。そんなに目くじらを立てないでほしいと思ってしまうものだ。

 なので、むしろ抗議の意味も込めて、ヴァムは胸の痛みに耐えながら、フェルをしっかりと抱きしめる。


「当分、無職になりそうだ。……俺に出来ることならなんでも言ってくださいね。フェル様」


 西で積み上げた実績を白紙に戻せば一から登録しなおしも可能だが、さすがにそれは出来ない。かといって正式な冒険者登録なしで野良で依頼を受ければ、ペナルティは免れない。

 セツの手続きに間違いがあるはずがないのだから、それが反映されるまでしばらく待つしかなかった。


「はい。じゃあー……まずは一緒にお昼をたべに行きましょう。なので、一旦下ろして……あ! も、持ち上げるつもりですね!?」

「おお、流石フェル様、よくお気づきで」


 流石に人前は恥ずかしいフェルを抱きしめたまま立ち上がった。

 フェルには自分が付いているのだと周囲に示すにはこれが一番である。


「お、お、お……う~! 恥ずかしいっ」


 誰かに抱っこされる行為を見られるのが恥ずかしいのは、どうにも旅神様の信者の特徴らしい。

 ヴァムは愛らしくて頼もしい神官様を見せつけるように掲げて、食堂までの道を歩いて行った。

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