第27話 前を向いて

 深景がリレーアンカーの代役に決まった。

 それから体育の授業でも、あたしが走っていた場所には、今は深景がいる。

 そんな中始まったリレーの練習を、あたしは松葉杖をついたまま、グラウンドの端からみんなの様子を見守っている。

 今日、初めてアンカーの位置に立つ深景は、どこか不安げな表情をしていて。

 声をかけに行きたくなるけど、それをグッと堪えてただ見守り続ける。

 

「市ノ瀬、無理はしなくていいからな」


「……はい」


 体育の先生と深景のやりとりを端から見守りながら、ついに練習が始まった。

 ピストルが掲げられて、先生の合図のもと、パァン! と乾いた音が鳴り響いて。

 瞬間、第一走者が走り出した。

 そこから、第二走者、第三走者と順調に順番が回って。

 アンカーのひとつ前は、侑の番だ。軽快な走りで、深景の待つアンカー地点まで走り抜けて――。


「深景、あと頼んだ!」


「っ……!」


 ぱしっ!

 少しぎごちない手つきで、バトンを受け取って……深景が走り出す。

 それでも、前を走るライバルよりは遅い。

 緊張したみたいな、硬い走り。

 少し俯き気味の視線と、力の入った肩。

 遠目から見ても、フォームが崩れているのが分かる。


「みかげ……っ」


 周りで見守るクラスメイトのみんなも、どこか複雑そうな顔で深景を見ている。

 運動が苦手な深景に、無理をさせている。

 そんな事実に、胸が苦しくなってくる。


 ――もし、あたしが走れていたら。


 そんな思いが、胸の奥に滲み出して。

 次の瞬間、ぶんぶんと頭を振った。


「……ちがう」


 あたしが今、考えるべきは反省じゃない。

 深景は、あたしの代わりに走ってくれてるんだ。

 誰よりも近くで、大きな声で、応援するって決めたじゃんか!

 あたしは俯きかけた顔を上げて、グッと拳を強く握りしめた。

 大きく、大きく息を吸って――。


「深景ぇぇぇええ‼︎‼︎」


 自分の出せる最大の声を張り上げた。


「もっと腕振ってー‼︎ 前向いてー‼︎」


 みんなの視線が、あたしに突き刺さる。

 それでも構わない。

 あたしは、深景だけを見つめ続ける。


「頑張れぇぇぇえ‼︎‼︎」


 そんなあたしの声がちゃんと届いたのか。

 深景が一瞬だけ、こっちを向いてくれた。

 その頬は少しだけ赤くて、でもちょっとだけ、微笑んでくれているように見えた。

 そのまま初めてのリレー練習が終わった。

 肩で息をする深景のところに、あたしはタオルを持って歩み寄る。


「……遅い」


 ぽつり、と。どこか自分を責めるみたいに呟いた深景の頭に、


「はい、深景っ」


「……わっ」


 ぽん、と。タオルを乗せてあげた。


「お疲れ様! 途中から、ちゃんと腕振れてたよ。フォームも良くなってたし」


「……ん、ありがと」


「ご褒美に、汗拭いてあげる〜」


「……それは、いい」


「えー」


 残念、と唇を尖らせていると、先生が大きく声を張り上げた。


「五分休憩後、ラストもう一本だけリレー練習やるぞー!」


「だってよ、深景。少しでも休んで」


 まだ少し息の上がっている深景にそう声をかける。でも、深景は首を横に振った。

 流れる汗を拭いながら、


「……ううん。腕の振り方、教えて」


「え、でも休憩……」


「少しでも、頑張りたい」


「っ……分かった!」


 深景の顔が、あまりにも真剣で。

 あたしはその強い意思に応えるように、力強く頷いた。

 約五分間の即席特訓。あたしがコーチになって、出来る限りのことを教えた。


「腕はこう! 肩の力はできるだけ抜いて」


「……うん」


「呼吸は止めない! 目線はずっと前ね」


「……なるほど」


 あたしの走る時のフォームを思い出しながら、軽く動きを見せつつ教えて。

 深景は真剣に頷きながら覚えようとしてくれた。そうして五分があっという間に経ち、深景は再びアンカーの位置に戻っていった。

 練習がスタートして、侑の手から深景へとバトンが渡っていく。

 バシッ!

 さっきよりも、バトンパスはスムーズに見えた。

 行ける! と、そう思った瞬間だった。


「市ノ瀬さん、頑張れー!」


 クラスメイトの誰かが叫んだ。

 それを皮切りに、別の子も声を上げる。


「さっきより速いよー!」


「いけるよー!」


 あたしはびっくりして、周りを見る。

 さっきまでは複雑そうな顔をしていたみんなが、キラキラした顔で深景を見ていた。

 ……みんな、信じてくれてるんだ。

 そう思ったら、胸の奥が熱くなった。

 その応援の声はきっと、深景に届いている。

 でもあたしは、嬉しさと、感動と、ほんのちょっぴり嫉妬だってしちゃう。


 ――あたしだって、応援は負けないもんね!


「深景ー‼︎ 頑張れーッ‼︎」


 負けじと、誰よりも大きな声を張り上げる。

 隣にいた翔子が「すごい声ですね」なんて苦笑する姿に、ニッと笑って返して。

 たくさんの応援に包まれながら、深景がゴールを走り抜けた。

 はぁはぁ、と肩で息をする深景に、「タイム、さっきより良かったぞ」と先生が声をかけているところに、あたしたちは歩み寄った。


「お疲れ様、深景!」


 あたしの労いの後、クラスメイトのみんなも口々に言葉をかけた。


「お疲れ様、市ノ瀬さん」


「タイム縮んでたね!」


「代役、ありがとう。応援してる!」


 そんなみんなの言葉に、深景は少しだけ戸惑ったみたいにあわあわとして。

 それから、気恥ずかしそうに。

 でも少しだけ微笑んで――


「……ありがとう。頑張る」


 と、まっすぐに返した。

 少しずつ、深景がみんなに打ち解けてる。

 それが嬉しくて、あたしも自然と笑顔になった。



 終礼まで終わって、あたしはすぐに後ろを振り返った。


「深景、個人練やるよね?」


「……もちろん」


 頷きあって、二人同時に立ち上がる。

 すると、背後から「そんじゃさ」と声がした。


「もちろん、アタシらもいいよな?」


「ストップウォッチ、借りてきますね」


「侑! 翔子!」


 明るく笑った二人が、合流してきた。

 自然と四人が揃う。この感覚は、だいぶ久しぶりな気がした。

 胸の奥が、じんわりと温かくなる。


 ――戻ってきた、って感じがするなぁ。


「よし、行こう!」


 あたしの声を合図に、四人でグラウンドに向かった。

 やることはもちろん、リレー練習だ。


「バトンパスもやるか!」


 侑が、深景へのバトンパス係。


「タイム計測しますね」


 翔子が、ストップウォッチ係。

 そしてあたしは――。


「深景ー! ファイトー!」


 深景専属の応援係だ。

 もちろん、フォームもちゃんと見る。

 まずは一本目。あたしの「よーいどん!」の声で、侑から深景にバトンが渡る。

 それから走って、走って、ゴールを抜けた。


「九秒ジャストです!」


「……っ、やっぱり、遅い……」


 深景が俯いて、肩を落としてしまう。

 そこに、あたしたちが歩み寄る。


「そんなことない! 体育の時より、もっと速くなってる!」


「フォームも、とても綺麗でしたよ」


「バトンパスも、さらに良くなってたぞ!」


 あたしたちの言葉に、深景は少しだけ安心した顔で、「……うん」と頷いた。

 それから休憩を挟みつつ、深景は何本も走った。


「腕が下がってる! もっと振ってー!」


 そのたびに、あたしの応援にも熱が入る。


「息止めないで! 呼吸しっかりー!」


 声が枯れるくらい、声を張り上げ続けて。


「うん、いい感じだよ! そのままー!」


「愛凛さん。監督みたいですね」


「えへへ! だって、深景が頑張ってるから。あたしも力になりたい!」


 頑張れー! と、静まることなく叫び続けて、次が最後の一本だ。

 侑からバトンを受けとって、これまでで一番綺麗なフォームで走り抜けて――。


「タイムは……八.七五秒です!」


 翔子の嬉しそうな声がグラウンドに響いて、あたしはほんの一瞬だけ固まって。


「うお! めっちゃ縮んだじゃん!」


「一番いいタイムでしたよ!」


 侑と翔子の楽しそうな声に、あたしもようやく硬直がとけて、深景の方に歩み寄った。


「深景! すごい、すごいよ! タイムがどんどん縮んでる!」


「……っ、は……ほんと?」


「ほんと! 深景、すごい頑張ってるもん! ほんとにすごいよ!」


「……っ、よかった」


 嬉しそうにはにかむ深景に、あたしは思わず、ぎゅっと抱きついた。

 そうやって四人で喜びを分かち合ってから、あたしたちは四人で寮へと帰っていく。

 四人並んで、夕焼けに背を向けて。


「……明日、絶対に筋肉痛」


「深景、運動苦手だからねぇ」


「いい運動だったんじゃありませんか?」


「文学少女が、運動少女に変わるのもいいんじゃね?」


「……遠慮する」


 深景の心底嫌そうな顔と声に、みんなでワッと笑って。

 楽しいなぁ、なんて。あたしの少しだけ前を歩く三人の背中を見つめる。


 ――松葉杖、やっぱり難しい……。


 なんて、そう思っていると――。


「……大丈夫?」


「え?」


 いつの間にか、あたしの隣に深景がいた。

 歩幅を合わせるみたいに、ゆっくりとした足取りで隣についてくれる。


「……ゆっくりでいい」


「うん、ありがと!」


 ニッと笑い返して、深景と並んで歩く。

 夕焼け空を見つめて、ふと思うのはこれまでのこと。


 四人で笑って。

 四人で話して。

 四人で帰る。


 少し前までは、この時間はもう戻らないと思っていた。

 一度壊れてしまったものは、元には戻らないと思っていた。

 ……でも、違った。

 隣には、歩幅を合わせてくれる深景がいる。

 今――あたしはすごく幸せだ。


 体育祭の本番まで、あと少し。

 今度はあたしが、深景の一番近くで応援しよう。

 そう心に誓いながら、夕焼けに染まる帰り道を、四人でゆっくり歩いていった。

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