幕間③

第19話 すれ違い

 今日もわたしは、人気のない校舎裏で一人、膝を抱えてうずくまっている。

 周りには誰もいない。少し前までは、四人でご飯を囲んでいた。でも……誰もいない。

 わたしの手には――ほつれたお守り。

 婚姻届の入ったそれに視線を落とす。

 何度も縫い直した跡の目立つそれは、わたしの大切な宝物だった。


 無くしたと気付いたあの日からずっと、ずっと探していた。

 寮母さんに毎日のように訊いて、

 寮はもちろん学校も探して、

 帰り道を何度も辿って探して、

 何度も、何度も諦めずに――。


「……見つかってよかった」


 それだけは、偽りのない本心だ。

 行方不明のままだったらどうしよう。

 このまま返ってこなかったらどうしよう。

 毎日毎日、そうやって不安を抱えていたから。

 返ってきてくれて、本当に嬉しい。

 でも――。


「……あいちゃん」


 今はもう呼べない愛称を、無意識のうちに口にしてしまっていた。

 お守りにまた視線が落ちる。これを拾っていたのが、彼女だと思わなかった。

 いや……もしかして、とは思っていた。

 でも、本当にその通りだとは思わなくて。

 あの枕の下から婚姻届が出てきた瞬間、心臓が止まりそうだった。絶望感で、背筋が冷える感覚が心臓を掴んで離さなくて。

 思考すら冷えて、頭が真っ白だった。

 でも、少しずつ冷静になってきた時、枕の下に婚姻届があった意味を考えて――


 ほんの少しだけ、期待が芽生えた。


 ――もしかして、覚えてくれてたのかもしれない……って。


 ――枕の下に入れるくらい、愛凛も大切に思ってくれたのかもしれない……って。


 幼稚園の頃のこと。

 婚姻届のこと。

 あの日交わした約束のこと。


 そんな淡い期待を、ほんの少しだけ抱いてしまって。

 でも、それは次に聞いた言葉で全部打ち砕かれることになった。

 

『……でも、拾ったときはびっくりしたよ』


『あたしの名前と深景の名前が書いてあって』


『それ拾ってからずっと、深景が気になって仕方なくなってさ』


 胸が張り裂けるかと思った。

 息ができなくなりそうだった。

 愛凛が、急に距離を詰めてきたのは、婚姻届のことを覚えていたからじゃない。


 ――名前の書かれた婚姻届を見たから。


 好奇心と興味。

 ただ、それだけだった。

 結局、"昔の約束"を覚えていたのは。

 大切に思っていたのはわたしだけだった。


「覚えて、なかったなんて……」


 小学校と中学校は別だったし、そもそも幼稚園の頃のことなんて、覚えていないのも仕方のないことだとは思う。


『あたし、みかげのおよめさんになるー!』


『じゃあ……わたしも、なる』


 そんな過去の約束が、脳裏によぎって。

 視界が、じわりと滲みそうになる。

 別に、怒ってるわけじゃない。

 愛凛は何も悪くない。

 ただ……胸が痛くて、息が苦しくて。


「わたし、だけだった」


 そんな、惨めさ。

 見られた恥ずかしさ。

 こんな思いをするのなら、こんなお守り、持っていなければよかった。

 こんな婚姻届なんて、無くなったまま返ってこなければ……。

 そんな八つ当たりにも似た思いで、お守りを力いっぱい握りつぶしそうになって――。

 スッ……と。手から力が抜けた。

 そのままぎゅっと、胸元に抱え込む。


「……できない」


 捨てることなんて、できない。

 このお守りはもちろん、ずっと抱えてきた好きって気持ちも、全部本当だから。

 今でもずっと、愛凛のことを――。


『来ないで』


 そう言って、彼女の手を払ったあの日。

 一瞬見えた、あの傷ついた顔が頭から離れない。

 あれからずっと、後悔している。

 でも、もう取り消すことはできなくて。

 部屋を飛び出して、

 学校でも避けて、

 昼休みも逃げて、

 部屋でも目を合わせない。

 そんなことを続けていたら、愛凛の方も諦めたのか声をかけてこなくなって。


 ――結局、あれから一度も話せないままで。


 愛凛のことをわたしから避けておきながら、胸が苦しくて、痛くて、息が詰まった。

 会いたいのに、顔を合わせるのが怖くて。

 声が聞きたいのに、目を背け続けて。

 

「見つかったのに……」


 手元を見つめながら、ポツリと呟く。

 ずっと探していた宝物が返ってきた。

 それなのに――少しも嬉しくなかった。

 本当は嬉しいはずなのに。

 胸が痛くて。

 息が苦しくて。


 ――大切なあいりの顔を見ることが、できなくなっていた。

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