幕間②

第15話 芽生えた予感

 中間テストの終わった日の夜。薄暗く静かな部屋で、わたしはひとり、読書に耽っていた。

 愛凛は、もう夢の中だ。

 赤点回避のお祝いで、たくさんはしゃいで疲れたのかもしれない。向かいのベッドから、スヤスヤとした寝息が聞こえてくる。

 なんて無防備なんだろう。

 思わず、目元が緩んでしまう。

 ここ最近は、たくさん勉強をして。

 愛凛の赤点回避に協力して。

 毎日が騒がしくて、大変で、でも――。


「楽しかったな……」


 そんな思いが込み上げて。でも、それとは別の感情も同時に顔を出す。

 手元には読みかけの本。読んでいるつもりなのに、内容は頭に入ってこない。

 それは当然だ。だって――。


「……おまもり」


 ぽつりと、声が漏れる。

 なくしてしまった、婚姻届とお守り。

 幼稚園の時からずっと持ち続けてきた。

 わたしにとって、とても大切なもの。

 隙を見て、自分でも探しているし。寮母さんにも何回も確認はしている。

 それでも毎回のように「何も届いてない」と言われるだけで。


 ――もう、捨てられたのかな……。


 ほつれても、

 破れても、

 何度も手縫いで直してきた。

 確かに見た目はボロボロで、他人から見たら多少醜く見えるかもしれない。

 でも……わたしの宝物なんだ。

 捨てられた、なんて思いたくない。

 ……誰かの手に渡った可能性は?

 だとしたら、なんのために?

 持ち主を探すため?

 でも、それだと――。


「……中、見られてる」


 ドキリ、と心臓が嫌な音を立てた。

 ……見られたくない。

 だってあれは――"二人の"婚姻届だ。

 辛い時も、苦しい時も。

 あれのおかげで、乗り越えて来られた。

 何度も、何度も救われた。

 "いつかまた会える"って、そう信じられた。

 だから――。

 

『運命じゃん……』


 この部屋で愛凛と再会したあの日。

 彼女の溢したこの言葉が、嬉しかった。

 あの時わたしは、何も言わなかったけど。本当は、わたしも同じことを思ってた。

 婚姻届が、またわたしたちを繋いでくれたんだって思った。

 なのに、なくしてしまった。


「はぁ……」


 ため息をこぼした。そのときふと、ここ最近の愛凛の様子が脳裏に浮かんできた。


 手を繋いだこと。

 抱きついてきたこと。

 黒猫のぬいぐるみ。

 なぜか、執拗に一緒にいたがる姿。

 そして、


『かわいい……』


 と、熱のこもった声で呟かれたこと。

 

「っ……」


 今思い出しても、顔がカァッと熱くなる。

 顔を伏せても、緩む頬は抑えられない。

 嬉しい。また、一緒にいられることが。

 そして愛凛も、同じようにそれを望んでくれていることが分かるから。

 でも、と。ふと考える。


 ――愛凛は、昔から優しかった。


 わたしにだけじゃない。

 誰にでも優しい。

 それは、今でも変わらない。

 でも、最近は少し違う気がする。

 明らかに、距離が近い。

 物理的にも、精神的にも近いと思う。

 しかも最近は、愛凛自身も様子が変だ。

 目が合うと逸らしたり、

 顔を赤くしたり、

 変なタイミングで硬直したり。

 あのまっすぐで素直な愛凛らしくない。

 思わず、眉を寄せた。


「……なんで」


 そう呟いて、ふと、ある可能性が浮かんだ。


 もし、婚姻届を拾ったのが――愛凛だとしたら? 


 瞬間、ひゅっ、と息が詰まった。

 そんなわけがない、と即座に否定する。

 もしあれを見たとしたら、愛凛ならすぐに話題に出すはずだ。

 だってあれには、わたしの名前も、愛凛の名前も書いてあるんだから。

 きっと愛凛なら、「懐かしいね」とか、「持っててくれたの?」とか。

 そんなふうに言ってくれるはずだ。

 そう考えて、ちら、と向かいのベッドに視線を向ける。相変わらず無防備な寝顔。

 安心し切ったようなその寝顔に、


「……まさか、ね」


 わずかに芽生えた嫌な予感を、無理矢理に押し込めて。読みかけの本に、黒猫の栞を挟んだ。

 電気を消して、自分のベッドに潜る。

 目を瞑っても、しばらくは眠気は来てくれそうにない。何も考えないようにつとめる。

 でも、胸の奥に生まれた小さな違和感だけは、消えることなく残り続けていた。

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