登場人物のそれぞれの行動、それ自体はそれほど不思議ではない少し変なくらいの行動ですが、その行動だけでは分からない、何か影のような、裏側のようなものが感じられます。
日常にあってもおかしくないようなトラブル。
でも、そこに関わる人がどんな人かでそのトラブルの意味が変わってくるのだなと考えさせられます。
日常に非日常を少し混ぜたようなテイストの物語ですが、読み進めると量より質の面で非日常を強く感じたように思える物語でした。
先に同著者の『日陰』を読んだのですが、それでよりコントラストが感じられたのかも知れません。
あのシーンの裏側かなと思えることも。
物語の中の登場人物の交錯だけでなく、物語間の交錯も織り込んでいるなら、すごい仕掛けだなと思いました。
双葉県に住むやんちゃな少年の小村正彦と、アイルランドからアメリカのマーシー州に引っ越してきた大学受験生のキャシディ・サリヴァン。
正彦くんは学校の枠に当てはまらない、いわば問題児タイプ。今はいろんなタイプの子供理解のある時代ですが、1980年代と言うこともあって、なかなか理解されにくいところはあると思います。
キャシディの方は、大学の試験を受けるつもりがあるアクシデントに見舞われ…!
生まれもタイプも全然違う2人の少年の物語がクロスオーバーしていきます。
この物語の素敵なところは、特にキャシディ編の雰囲気が、海外小説っぽくて、まるで洋画を見ているように感じられるところです。私はこの描写の仕方や、お話から感じられる空気感が素敵だなと思いました。
ダブル主人公などもいいなと思います!
まだ連載が始まったばかりの本作。
もう一つの小説と対にして作られているそうなので、読み比べてみるのも楽しいかと思います!
『陽だまり』というタイトルから、最初はもっと穏やかで優しい物語を想像していました。けれど読み進めるうちに、この作品にある陽だまりは、ただ温かいだけの場所ではないのだと感じました。眩しくて、少し痛くて、それでも誰かにとって確かに救いになる場所。その複雑な温度が、とても印象的でした。
小村の物語では、屋根の上を走る少年たちの危うい躍動感と、その裏側にある不安が強く胸に残りました。無茶をしているようで、実は誰よりも自分の居場所を守ろうとしている。その不安定さが、少年らしい強がりや笑みの奥からにじんでいて、彼をただの問題児としてではなく、一人の揺れている人間として見つめたくなります。
特に、坂本との関係がとても好きです。大げさな約束ではなく、少し変で、少し不器用で、それでも絶対に相手を失いたくないという気持ちがある。雨が止み、空が明るくなる場面まで含めて、二人の間にある言葉にならない安心感が、とても温かく描かれていました。
一方で、サリヴァンの話では、感覚が一気に氾濫していく描写に圧倒されました。紙の音、息遣い、時計の音、心拍。普通なら背景に溶けるはずの音が、本人にとっては耐えがたい世界の崩壊になっていく。その描写があまりにも鮮明で、読んでいるこちらまで講堂の空気に呑まれていくようでした。
さらに、この作品には、痛みだけではなく、誰かが誰かのそばへ走る温かさがあります。坂本が小村に向ける言葉、マルコムが倒れたサリヴァンへ駆け寄る瞬間。その一つ一つが、灼けつくような現実の中に差し込む、本当の意味での陽だまりのようでした。
各話は独立した短編として読めるのに、すでにそれぞれの人生が静かに響き合い、一つの大きな物語の輪郭が見え始めているように感じます。本編の前日譚でありながら、ただの補足ではなく、まだ何者でもなかった彼らの『始まり』が、確かな重みをもって刻まれている作品でした。
温かいのに痛い。優しいのに苦しい。それでも、この陽だまりにいる人たちを見届けたくなる。人物の揺らぎや痛みを、空気や音、温度として読者に届ける表現力がとても素晴らしく、深く惹き込まれました。