第17話 黒森の隠し小屋

 黒森の奥に、まだ子どもがいる。


 月灯狐も捕まっている。


 リオのその言葉で、北門の空気は一瞬にして凍りついた。


 助け出したばかりの少年は、ロッテさんの毛布に包まれている。


 足には応急の包帯。


 顔は煤と涙でぐしゃぐしゃだった。


 それでも、彼は必死に俺の袖を掴んでいた。


「明日の朝、黒い人たちが連れていくって言ってた。王都に運ぶって。ぼく、聞いたんだ」


「人数は?」


 セラがしゃがみ、リオの目線に合わせて尋ねる。


「子どもは……たぶん、三人。みんな、灯りの世話をさせられてた。月灯狐は、もっといる。白い檻に入れられて……毛を取られて……」


 リオの声が震えた。


 ポルカが俺の足元で、低く鳴く。


「ぽう……」


 怒り。


 悲しみ。


 その両方が混ざった声だった。


 ミリアは工具を握りしめ、肩を震わせていた。


「月灯狐の毛を黒燭に混ぜるって、そういうこと……? 優しい灯りに見せるためだけに?」


「おそらく」


 俺は答えた。


 黒燭は、本質的には灯りではない。


 だが、月灯狐の毛を混ぜれば、最初だけ柔らかい光を装える。


 人を安心させるように見せかけて、灯りを食う。


 なんて悪趣味な仕組みだ。


 ミリアの父が残した月送りの灯とは、正反対だった。


「すぐ行きましょう」


 俺が言うと、セラが俺を見た。


 その目は鋭かったが、止めるためのものではない。


「行くのは決定。でも、今すぐ全員で飛び込むのはだめ」


「分かっています」


「黒森の中に隠し小屋。黒燭商会の罠。捕らわれた子どもと月灯狐。こちらが焦るほど、相手に利用される」


「はい」


 俺は北門守護灯を見上げた。


 門の光は、静かに揺れている。


 この灯りの外へ出るということは、村の守りから離れるということだ。


 ならば、守りを持っていく必要がある。


「救出用の灯路を作ります」


 ミリアが顔を上げた。


「携帯灯路?」


「はい。北門から黒森の入口までは、さっきの導き灯でつながっています。そこからさらに奥へ進むために、簡易灯を増やします」


「材料は足りない」


「村の小灯を借ります。ただし、本体は持ち出さない。火種だけ分けてもらう形で」


 セラがすぐに頷いた。


「村人に声をかけるわ。窓辺の灯りを消さず、そこから少しずつ光を分ける」


「無理に大きな光にしないでください。家の灯りが弱ると危険です」


「分かってる」


 ミリアが工具袋を開ける。


「簡易灯の器なら、壊れた祭り灯の外枠が使える。月灯狐の毛はもう使わない。ポルカに負担もかけない」


「では、何を芯に?」


「人の灯り」


 ミリアは広場を見た。


 窓辺にともる小さな灯り。


 井戸灯。


 宿の食堂灯。


 北門守護灯。


 村人たちが守ろうとした灯り。


「あれを少しずつ受ける器にする。ルカの【小さな灯】で結んで、ポルカが道を読む。リオのランプは、黒森の奥で目印になる」


 リオは自分の古いランプを抱きしめた。


「ぼくの?」


「うん」


 ミリアはしゃがんで、リオに目線を合わせた。


「そのランプ、ずっと黒森で消えなかったんでしょ?」


「うん。お母さんが、どんな夜でも帰る家を忘れないようにって」


「じゃあ、すごいランプだよ」


 リオの目が揺れた。


「小さいよ」


「小さいのがすごいんだよ」


 ミリアはにっと笑った。


「うちの灯火師がそう言ってる」


 俺に振られて少し困ったが、頷いた。


「はい。小さい灯りは、帰り道を覚えています」


 リオは泣きそうな顔で、自分のランプを見た。


 その光が、ほんの少し強くなった。


     ◇


 救出に出るのは、少人数に決まった。


 セラ。


 ミリア。


 俺。


 ポルカ。


 そして、リオ。


 リオを連れていくことには反対もあった。


 当然だ。


 助けたばかりの子どもを、もう一度黒森へ連れていくのだから。


 だが、隠し小屋への道を知っているのはリオだけだった。


 黒森の道は夜霧で歪む。


 ポルカが灯りの流れを読めても、具体的な小屋の場所までは分からない。


 リオ自身も、震えながら言った。


「ぼく、行く。みんなを置いてきたから」


 その声を聞いて、誰も簡単には止められなかった。


 ただし、セラが厳しい条件を出した。


「リオは戦わない。走らない。私の合図なしに前へ出ない。怖くなったらすぐ言うこと」


「うん」


「それと、絶対に一人で戻ろうとしない」


「うん」


「約束できる?」


「できる」


 リオは頷いた。


 セラは少しだけ表情を緩め、彼の頭に手を置いた。


「なら、一緒に助けに行こう」


 広場では、村人たちが灯りを分けてくれた。


 水汲みの女たちは井戸灯の前で祈り、ロッテさんは宿の食堂灯から小さな火種を分けた。


 ガルム爺は墓地道で使った手灯を差し出した。


 ニナは安眠灯を抱きしめたまま、俺に小さな布袋を渡した。


「これ、持ってって」


「これは?」


「干し果物。助けた子が、おなか空いてるかもしれないから」


 俺は布袋を受け取った。


 胸の奥がまた温かくなる。


「ありがとうございます」


「あと、ルカ兄ちゃんも食べていいよ」


「はい」


「でも、全部食べちゃだめ」


「気をつけます」


 ミリアが横で笑いをこらえていた。


 ロッテさんは厚手の布と薬草水を渡してくれた。


「子どもたちを見つけたら、すぐこれを。冷えているはずだから」


「ありがとうございます」


「必ず戻ってきて」


「はい」


 ガルム爺は北門のそばで、古い手灯を掲げた。


「戻る場所は、わしらが守る」


「お願いします」


 村人たちは、もうただ怯えて見送るだけではなかった。


 誰かが灯りを貸し、誰かが布を用意し、誰かが門を守る。


 小さな役目を、自分で選んでいる。


 そのことが、俺には何より心強かった。


     ◇


 黒森へ入る前に、俺たちは北門守護灯の下で灯りを結んだ。


 ミリアが簡易灯を五つ並べる。


 器はばらばらだ。


 古い祭り灯の外枠。


 井戸灯の予備金具。


 宿の客室灯の余り硝子。


 ガルム爺の手灯の反射板。


 そして、リオの小さなランプに合わせて作った小型の導き灯。


 統一感はない。


 だが、それぞれに村の手が入っている。


「即席だけど、悪くない」


 ミリアはそう言って、一つ一つを撫でた。


「この子たち、今夜だけでも頑張って」


「灯具に話しかけるんですね」


「ルカも似たようなことしてるでしょ」


「否定できません」


 俺はランタンを掲げた。


 村の灯りから分けてもらった小さな火種を、簡易灯へ移していく。


 強くはしない。


 細く、切れにくく。


 帰る道を忘れないように。


「【小さな灯】」


 五つの簡易灯が、淡く光る。


 ポルカが尻尾を振った。


 月明かりのような白い光が、それらをふわりと包む。


 リオのランプも反応した。


 弱々しいが、確かな光。


 その灯りが黒森の方へ細く伸びる。


「道が……」


 リオが呟く。


「見える」


 俺にも見えた。


 黒森の闇の中に、かすかな白い線が浮かんでいる。


 きっと、リオが逃げてきた時に残した灯りの跡だ。


 それは今にも消えそうだったが、まだつながっている。


「行きましょう」


 セラが言った。


 北門が開く。


 俺たちは、再び黒森へ入った。


 さっきよりも、森は静かだった。


 静かすぎた。


 影狼の声も、黒蛾の羽音も聞こえない。


 その代わり、遠くで黒い火が揺れている。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 まるで道しるべのように。


 だが、あれは俺たちを導く灯りではない。


 迷わせ、誘い込み、閉じ込めるための火だ。


「黒燭の罠だね」


 ミリアが小声で言う。


「近づきすぎないように」


「分かっています」


 リオが俺の袖を引いた。


「あの火、見ちゃだめ」


「どうして?」


「見てると、声が聞こえる。お母さんの声とか、帰りたい場所の声とか」


 セラの表情が険しくなる。


「幻聴で誘うのね」


「うん。ぼくも一回、行きそうになった。でも、お母さんのランプが熱くなって、戻れた」


 リオはランプを抱え直した。


「だから、黒い火じゃなくて、この灯りを見る」


「いい判断です」


 俺は頷いた。


 黒燭の火は、相手の不安や願いを使う。


 怖いだけではない。


 会いたい人。


 帰りたい場所。


 欲しかった言葉。


 そういうものまで餌にする。


 ますます許せなかった。


 俺たちは一つ目の簡易灯を木の根元に置いた。


 北門との灯りの線が伸びる。


 二つ目は、倒れた石碑のそば。


 三つ目は、黒蝋の線が交差する手前。


 ミリアは灯具を置くたびに、周囲の黒蝋を記録していた。


「黒蝋の流れ、全部小屋の方に向かってる」


「黒燭の製造か、月灯狐の檻につながっているのかもしれません」


「どっちにしても最悪」


「はい」


 ポルカが立ち止まった。


 尻尾を低くし、耳を伏せる。


「ぽう……」


 前方に、古い小屋が見えた。


 木々の間に隠れるように建っている。


 外壁には黒い布。


 窓は板で塞がれている。


 屋根には黒燭商会の紋章が、雑に塗られていた。


 小屋の周囲には、黒い蝋燭が円を描くように立てられている。


 火はついていない。


 だが、どれも不気味な冷気を放っていた。


 リオが震えた。


「あそこ……」


「中に子どもたちが?」


「うん。裏に檻がある。月灯狐も」


 セラが周囲を確認する。


「見張りは?」


「正面に二人。裏に一人。中に黒い人が一人いる」


「黒い人?」


「顔に布を巻いた人。黒い蝋燭に火をつける人」


 バルドではない。


 おそらく、黒燭の製造を担当する術者だ。


「正面からは行かない」


 セラが言う。


「裏の檻を先に確認する。子どもと月灯狐を逃がすのが先」


「はい」


 ミリアが小声で言った。


「小屋の周りの黒燭、全部火がついたら厄介だよ」


「先に灯りの輪を作ります」


「簡易灯、残り二つ」


「裏手に一つ。撤退路に一つ」


「了解」


 俺たちは木々の陰を使って、小屋の裏へ回った。


 足元に黒蝋の糸が多い。


 ポルカが尻尾で危ない場所を示し、ミリアが工具で印をつける。


 リオは怖がりながらも、道を教えてくれた。


「ここ、踏んじゃだめ。鳴る」


「よく覚えてるね」


 ミリアが囁く。


「逃げる時、何度も失敗したから」


 その言葉に、誰もすぐには返せなかった。


 小屋の裏手に出ると、檻が見えた。


 木製の檻ではない。


 白い骨のような素材で組まれた、細い檻。


 その中に、小さな月灯狐たちが五匹。


 尻尾の光は弱く、毛はところどころ刈られている。


 ポルカが低く鳴いた。


「ぽう……ぽうっ」


 檻の中の月灯狐たちが、かすかに顔を上げる。


 そして、同じように弱々しく鳴いた。


 胸が痛くなる光景だった。


 その隣には、板で囲われた小さな小屋があり、中から子どものすすり泣く声が聞こえる。


 セラが見張りの位置を確認する。


 裏の見張りは一人。


 黒礼服ではなく、革鎧の男だった。


 腰に短剣。


 手には黒燭。


 眠そうに欠伸をしている。


「私が無力化する」


 セラはそう言うと、音もなく動いた。


 一瞬だった。


 背後から近づき、短剣の柄で首筋を打つ。


 見張りは声も出せずに崩れ落ちた。


 セラはその体を茂みに引きずり込み、手早く縛る。


 ミリアが目を丸くした。


「セラ、強……」


「村長代理は色々できるの」


 淡々と返すセラに、俺は少しだけ頼もしさを感じた。


 俺たちは檻へ近づいた。


 白い骨のような檻には、黒蝋が塗り込められている。


 月灯狐の光を封じるためのものだろう。


 ポルカが檻に近づこうとして、俺はそっと止めた。


「直接触らないで」


「ぽう……」


「必ず助けます」


 ミリアが檻の金具を調べる。


「これ、普通の鍵じゃない。黒蝋で固めてる。無理に壊すと中の子たちに呪いが跳ねる」


「灯りで黒蝋だけを溶かします」


「できる?」


「やります」


 俺はランタンを檻の前に置いた。


 リオのランプもそっと隣に置く。


 ポルカの尻尾が白く光る。


 金色、白、そしてリオの小さな灯り。


 三つの光を細く重ねる。


 強くしない。


 檻の中の月灯狐を怖がらせない。


 黒蝋だけをほどく。


「【小さな灯】」


 光が黒蝋に触れた。


 じわり、と黒い部分が溶ける。


 嫌な煙が出かけた瞬間、ポルカが尻尾を振り、白い光で押さえ込む。


 ミリアが工具を差し込み、緩んだ金具を外す。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 檻の扉が、きい、と開いた。


 月灯狐たちはすぐには出てこなかった。


 怯えている。


 ポルカが一歩前に出た。


「ぽう」


 優しい声だった。


 すると、一匹の月灯狐がよろよろと歩き出し、ポルカの鼻先に自分の鼻を寄せた。


 次にもう一匹。


 また一匹。


 五匹の月灯狐が、檻の外へ出る。


 どの子も弱っていた。


 ミリアは怒りを堪えるように、唇を噛んだ。


「あとで絶対、治療する」


「はい」


 俺は月灯狐たちを簡易灯の輪の中へ誘導した。


 その光に包まれると、彼らの尻尾がほんの少し明るくなる。


 次は子どもたちだ。


 セラが板囲いの扉を開ける。


 中にいたのは、リオの言った通り三人。


 女の子が二人。


 男の子が一人。


 皆、痩せて、汚れて、怯えていた。


 リオが前に出る。


「ミナ、トト、エリ!」


 三人の子どもが顔を上げる。


「リオ?」


「生きてたの?」


「逃げたんじゃ……」


「助けを呼んできた!」


 リオの声は震えていたが、誇らしげでもあった。


 俺はニナから預かった干し果物の袋を取り出した。


「お腹が空いていると思います。でも、少しずつ食べてください」


 子どもたちは最初警戒していたが、リオが一つ食べると、恐る恐る手を伸ばした。


 セラが素早く状態を確認する。


「大きな怪我はない。でも冷えている。すぐ戻る必要があるわ」


「はい」


 俺は最後の簡易灯を撤退路へ置いた。


 これで北門まで灯りの線がつながる。


 月灯狐五匹。


 子ども三人。


 リオ。


 俺たち四人。


 帰るには多い。


 だが、帰らなければならない。


「ミリア、月灯狐たちは歩けますか」


「ぎりぎり。ポルカが先導すれば」


「子どもたちは?」


「私とルカで一人ずつ背負う。ミリアは灯具。リオは歩ける?」


 セラが尋ねる。


 リオは頷いた。


「歩く。ぼく、道知ってる」


「無理はしないで」


「うん」


 その時。


 小屋の中から、拍手が聞こえた。


 ぱち。


 ぱち。


 ぱち。


 乾いた音。


 俺たちは一斉に振り向いた。


 正面の扉が開いている。


 そこに、顔の下半分を黒い布で覆った男が立っていた。


 手には、細長い黒蝋燭。


 その火は赤黒く、今まで見た黒燭よりも濃い。


「見事だ」


 男はくぐもった声で言った。


「辺境の灯火師が、ここまで黒蝋をほどくとは思わなかった」


 ポルカが毛を逆立てる。


 月灯狐たちが怯えて身を寄せ合う。


 リオが震えながら俺の背後に隠れた。


「あなたが、子どもたちを閉じ込めていた黒い人ですか」


 俺が問うと、男は目を細めた。


「閉じ込めていた? 違うな。保護していたのだ」


「保護?」


「月灯狐も、灯りの素質を持つ子どもも、正しく使われてこそ価値がある」


 ミリアが低く唸るように言った。


「価値って何よ」


「黒燭の素材としての価値だ」


 男の黒蝋燭の火が大きくなる。


 周囲の黒燭が、一斉に赤黒く灯った。


 小屋を囲む黒い火。


 夜霧が濃くなる。


 撤退路に置いた簡易灯が、ぎしりと揺れた。


「我が名はヴァルハイン。黒燭商会の灯術師」


 男はゆっくりと黒蝋燭を掲げた。


「ルカ・エルネスト。お前の小さな灯、局長殿が警戒する理由が少し分かった」


 グレゴールの名が、また胸の奥を冷やす。


 ヴァルハインは笑った。


「だが遅い。ここは黒森の腹の中。村の灯りは届かない」


 その瞬間、黒い火が一斉に揺れた。


 北門へ続いていた灯りの線が、闇に飲まれかける。


 子どもたちが悲鳴を上げた。


 月灯狐たちが身を寄せ合う。


 俺はランタンを握りしめた。


 届かない?


 そんなことはない。


 村の人たちが分けてくれた灯りがある。


 リオのランプがある。


 ポルカがいる。


 ミリアの簡易灯がある。


 セラが守っている。


 そして、帰りを待つ灯りが北門にある。


「届きます」


 俺は言った。


 黒い火の中で、ランタンの金色の光が静かに揺れた。


「小さな灯りは、帰る場所を忘れません」


 ヴァルハインの目が、わずかに細くなった。

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