第13話 黒燭商会の救いの灯り

 北門の前に、黒い荷馬車が三台止まっていた。


 朝の光の下だというのに、その一団の周りだけが妙に暗い。


 黒い布で覆われた荷台。


 黒い礼服を着た男たち。


 そして、荷馬車の側面に掲げられた看板。


『王都聖灯局公認 黒燭商会』


 その文字を見た瞬間、村人たちの間にざわめきが広がった。


「王都聖灯局……?」


「じゃあ、本物の助けなのか?」


「でも、昨日の黒い札と蝋燭は……」


「公認って書いてあるぞ」


 不安と期待が入り混じる声。


 無理もない。


 この村は長い間、王都から助けを待っていた。


 灯具が壊れても、魔石が足りなくても、夜霧が濃くなっても、王都からは誰も来なかった。


 そこへ、王都聖灯局公認を名乗る商会が、堂々と門の前に現れたのだ。


 信じたい気持ちはあるだろう。


 助けてほしいという願いも。


 だが、俺はその看板を見ても、胸の中に温かさを感じなかった。


 むしろ、冷たい棘のような違和感がある。


 荷馬車から漂う匂い。


 黒い蝋。


 消えたはずの黒蝋燭と同じ気配。


 ポルカが俺の肩の上で、低く鳴いた。


「ぽう……」


「分かってる」


 俺は小さく答える。


 セラは北門の内側で、黒燭商会の一団と向かい合っていた。


 腰には短剣。


 表情は村長代理としてのものだ。


 警戒はしている。


 だが、感情を表には出していない。


「ノクスヴェイル村長代理、セラ・ノクスヴェイルです」


「これはこれは、ご丁寧に」


 先頭に立つ黒礼服の男が、にこやかに頭を下げた。


 年は四十前後。


 細い体に、撫でつけた黒髪。


 口元には柔らかい笑みを浮かべているが、目だけが笑っていない。


「私は黒燭商会、辺境巡回部門の主任、バルドと申します。このたびは王都聖灯局の認可を受け、夜霧被害に苦しむ辺境各地へ救いの灯りをお届けしております」


「救いの灯り?」


「ええ」


 バルドは後ろの荷馬車へ手を向けた。


 部下らしき男たちが黒布をめくる。


 そこには、黒い蝋燭が木箱いっぱいに詰められていた。


 太いもの。


 細いもの。


 家庭用。


 門用。


 井戸用。


 箱には、それぞれ用途が書かれている。


『夜霧除け黒燭』


『悪夢避け黒燭』


『魔物退散黒燭』


『聖灯局認可品』


 村人たちが息を呑む。


 バルドはその反応を楽しむように、声を張った。


「黒燭は、王都貴族街でも採用されている最新の防夜具です。火をともすだけで夜霧を退け、影狼や黒蛾を寄せつけず、悪夢を軽減する。しかも複雑な灯具工事は不要。一本置くだけでよろしい」


「一本置くだけ……」


 誰かが呟いた。


 それは、とても魅力的な言葉だった。


 この村には壊れた灯具が山ほどある。


 修理には時間がかかる。


 魔石も足りない。


 ミリアの工房が動き出したとはいえ、村全体の灯りを戻すにはまだ遠い。


 そこへ、一本置くだけで助かると言われれば、心が揺れる人もいるだろう。


 ミリアが俺の隣で小さく歯噛みした。


「あんなの、灯具じゃない」


「はい」


「でも、村の人には簡単に見える」


「だから厄介です」


 俺はバルドの手元を見た。


 彼は一本の黒燭を掲げている。


 蝋燭の表面は滑らかで、商品としてはよく整えられている。


 だが、芯が悪い。


 見た目では分かりにくいが、灯火師の目で見れば分かる。


 あの芯は、火を宿すためのものではない。


 何かを吸うための芯だ。


「昨夜、この村の宿に黒い札と黒蝋燭が持ち込まれた」


 セラが静かに言った。


 バルドはわざとらしく眉を上げる。


「おや。それは初耳ですな」


「行商人の荷に紛れ込んでいた。宿の灯りを吸い、客に悪夢を見せた」


「それはお気の毒に」


「あなた方のものでは?」


「黒燭は非常に人気の商品ですからね。粗悪な模造品も出回っております。弊社の正規品とは限りません」


 バルドはなめらかに答えた。


 あらかじめ用意していた言い訳のようだった。


「では、こちらで確認させてください」


 俺は前へ出た。


 バルドの視線が俺に向く。


 にこやかな笑みはそのまま。


 だが、目の奥に一瞬だけ嫌な光が走った。


「あなたが噂の灯火師ですかな」


「ルカ・エルネストです」


「王都聖灯局を追放されたと聞いております」


 村人たちがざわつく。


 バルドはそこで少し声を大きくした。


「いや、失礼。追放された方が灯火師を名乗っているとなると、こちらとしても安全確認が必要ですので」


 言葉は丁寧だが、狙いは明確だった。


 俺を信用できない人間に見せること。


 王都から追放された無資格者。


 それに対して、彼らは王都聖灯局公認。


 村人たちにそう印象づけたいのだ。


 王都で断罪された時の空気が、一瞬だけ脳裏をよぎる。


 無能。


 外れスキル。


 灯りをつけるだけの雑用。


 だが、今は違った。


 俺の背後には、セラがいる。


 ミリアがいる。


 ロッテさんがいる。


 ニナがいる。


 ポルカがいる。


 そして、この村にともした灯りがある。


「安全確認なら、こちらも同じです」


 俺は言った。


「あなた方の黒燭が、本当に人を守る灯りか確認します」


 バルドの口元がわずかに歪んだ。


「よろしいでしょう。では、皆様の前で実演いたしましょう」


     ◇


 実演は、広場で行われることになった。


 セラは村人たちを一定の距離まで下がらせた。


 俺は宿から持ってきた隔離灯と、昨夜回収した黒蝋燭の破片を布に包んで持っている。


 ミリアは工具袋を抱え、ポルカは俺の肩の上。


 ニナは老婆に手を握られながら、少し離れた場所で不安そうに見ていた。


 広場の灯柱は、まだ小さいながらも金色の光をともしている。


 その下で、バルドは黒燭を一本取り出した。


「ご覧ください。これが黒燭商会の標準品です。一本で一軒家を一晩守ることができます」


 彼は部下に命じ、小さな鉄皿の上に黒燭を立てさせた。


 そして火をつける。


 火は、赤黒かった。


 昼間なのに、その火の周囲だけが薄暗くなる。


 村人たちが息を呑む。


 同時に、広場の端に漂っていたわずかな夜霧が、黒燭の方へ引き寄せられていった。


「おお……」


「霧が消えてる?」


「本当に効いてるのか?」


 村人たちの間に、期待の声が広がる。


 バルドは満足そうに頷いた。


「これが黒燭の力です。夜霧を吸い寄せ、燃やし、周囲を安全にする」


「燃やしてはいません」


 俺は言った。


 バルドの目が細くなる。


「何ですかな?」


「夜霧を消しているのではなく、芯に溜めています」


 俺は黒燭の足元を指さした。


「霧は薄くなっていますが、消えたわけではない。蝋燭の中に押し込まれているだけです」


「素人判断ですな」


「灯火師の判断です」


 俺はランタンを掲げた。


「ミリア、反射板を」


「はい」


 ミリアが小さな反射板を地面に置く。


 俺は【小さな灯】を細く伸ばし、黒燭の火ではなく、その足元を照らした。


 すると、黒燭から見えない糸のようなものが伸びているのが浮かび上がった。


 黒い糸。


 それは地面を這い、広場の灯柱へ向かっていた。


 村人たちがどよめく。


「何だ、あれ」


「灯柱に伸びてる?」


「黒い線……?」


 バルドの笑みが、ほんの少し固まった。


「光の屈折でしょう。黒燭の力を知らない者には、よくある勘違いです」


「では、切っても問題ありませんね」


 俺はそう言って、ランタンの光を糸へ落とした。


 金色の光が黒い糸に触れた瞬間。


 黒燭が、ぎしりと音を立てた。


 火が大きく揺れる。


 同時に、広場の灯柱の光がふっと明るくなった。


 やはり。


 黒燭は夜霧を吸っているだけではない。


 近くの灯りから力を奪おうとしている。


「今、広場灯から光を吸おうとしていました」


 俺が言うと、バルドは薄く笑った。


「それは相互干渉というものです。古い灯具が新式の黒燭に反応しているだけでしょう」


「なら、村の灯りの近くに置くべきではありません」


「逆です。黒燭を置けば、古い灯具など不要になる」


 バルドは村人たちへ向き直った。


「皆様、いつ壊れるか分からない古い灯具に頼る必要はありません。壊れた井戸灯、門灯、宿の灯り。そんなものを一つ一つ直すより、黒燭を置いた方が早く、安全で、王都でも認められています」


 早い。


 安全。


 王都公認。


 甘い言葉だった。


 村人たちの中に、迷いが生まれる。


 そこへ、ドルトンさんが宿から出てきた。


 まだ顔色は悪いが、自分の足で立っている。


「その黒燭で、私は悪夢を見た」


 彼の声は大きくはなかった。


 でも、広場にしっかり届いた。


「荷に忍ばされていた黒蝋燭のせいで、宿の部屋が冷え、灯りが吸われ、黒い狼の夢を見た。あれが救いの灯りだとは思えない」


 バルドは眉をひそめた。


「模造品だと申し上げたはずです。証拠は?」


 ドルトンさんは悔しそうに黙る。


 証拠なら、ある。


 俺は布包みを開いた。


 昨夜、宿で割れた黒蝋燭。


 その底にある聖灯局の認可印。


「これが昨夜の蝋燭です。底に、聖灯局の認可印がある」


 村人たちがざわめく。


 バルドは一瞬だけ目を見開いた。


 だが、すぐに笑みを取り戻す。


「なるほど。では、それは盗まれた正規品かもしれませんな。弊社としても被害者です」


「ずいぶん都合がいいですね」


 セラが冷たく言った。


 バルドは彼女に向かって、丁寧に頭を下げた。


「村長代理殿。我々は敵ではありません。むしろ、あなた方の村を救いに来たのです」


「救う?」


「ええ。黒森の夜霧は年々濃くなっている。壊れた灯具を修理しても、一時しのぎにしかならない。ましてや、王都を追放された灯火師の不確かな力に村の命運を預けるなど危険です」


 その言葉に、村人たちの視線が俺へ向く。


 俺は黙っていた。


 反論したい気持ちはあった。


 だが、ここで感情的になれば相手の思うつぼだ。


 俺は灯りを見る。


 黒燭の火。


 赤黒く、冷たい。


 人を安心させない光。


 それに対して、広場の灯柱は小さくとも温かく揺れている。


 ニナが俺を見ていた。


 不安そうに。


 でも、信じるように。


「黒燭は、人の恐怖を食います」


 俺は静かに言った。


 バルドが鼻で笑う。


「また妙なことを」


「今から見せます」


 俺はニナの方を見た。


「ニナ。少しだけ手伝ってくれる?」


「わたし?」


 老婆が心配そうにニナを抱き寄せる。


 俺はすぐに首を振った。


「危ないことはしません。黒燭に近づかなくていい。ただ、ニナの安眠灯を持ってきてほしい」


「うん!」


 ニナはロッテさんと一緒に宿へ走った。


 しばらくして、子ども部屋用の小さな卓上ランプを抱えて戻ってくる。


 ミリアの父の灯具を、俺とミリアでともしたものだ。


 ニナが初めて安心して眠れた灯り。


「これ、わたしの灯り」


 ニナは胸を張って言った。


 俺はその安眠灯を、黒燭から十分離れた位置に置いた。


 そして黒燭の火を指さす。


「このまま見ていてください」


 しばらく、何も起きないように見えた。


 だが、黒燭の火がわずかに揺れた瞬間、ニナの安眠灯の光が小さく震えた。


 ニナがびくりと肩を震わせる。


「……ちょっと、怖い」


 黒燭の火が大きくなる。


 安眠灯が弱くなる。


 ニナの顔から血の気が引いていく。


 老婆が慌ててニナを抱きしめた。


「もういいです」


 俺はすぐに黒燭と安眠灯の間へ灯りを入れた。


 金色の光が二つの間を遮る。


 安眠灯の光が戻り、ニナはほっと息を吐いた。


「今、黒燭はニナの安眠灯に反応しました」


「偶然です」


 バルドが即座に言う。


「偶然ではありません」


 ミリアが立ち上がった。


「安眠灯の光が吸われた。あたしが作った灯具だから分かる。黒燭は夜霧を払うんじゃなくて、近くの弱い灯りから先に食べる」


「職人娘の感想など」


「職人を舐めるな」


 ミリアの声が低くなった。


 普段の騒がしさはない。


 そこにいたのは、月灯工房の職人だった。


「黒燭を村に置けば、ルカが戻した灯りも、子どもたちの安眠灯も、宿の食堂灯も、井戸灯も、全部少しずつ食われる。最初は夜霧が薄くなったように見えても、最後には灯りそのものが死ぬ」


 村人たちの顔色が変わる。


 ニナを見たからだ。


 安眠灯が弱った瞬間、ニナが怯えたのを見た。


 それは、どんな説明より分かりやすかった。


 バルドの笑みが薄くなる。


「感情的な演出ですな」


「そう思うなら」


 セラが前へ出た。


「あなた方の黒燭を、井戸灯や宿の灯りの近くでは使わせない。村として正式に拒否します」


 村人たちの間に緊張が走った。


 王都聖灯局公認を名乗る商会を拒否する。


 それは簡単なことではない。


 だが、セラの声は揺れなかった。


 バルドはしばらく彼女を見ていた。


 やがて、ゆっくりと笑った。


「残念です。非常に残念です」


 彼は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。


 そこには、王都聖灯局の印。


 そして、黒燭商会への辺境夜霧対策委託許可書が記されていた。


「では、正式な手続きに移りましょう」


「手続き?」


「王都聖灯局公認の対策を拒否し、無認可の灯火網を用いて村民を危険に晒している。この事実を報告せねばなりません」


 バルドの声が、少しだけ低くなる。


「場合によっては、村内の無認可灯具を没収し、黒燭への置換を命じられるでしょう」


「そんな横暴が通るとでも?」


 セラが睨む。


「王都では通ります」


 バルドはにこりと笑った。


「特に、あなた方が頼っている灯火師は、聖灯局を追放された身。違法な灯火行為として扱うのは容易い」


 村人たちがざわめく。


 俺はランタンを握る手に力を込めた。


 来ると思っていた。


 相手は商品を売るだけの商人ではない。


 王都の権威を盾にして、村の灯りを奪いに来ている。


「明日の正午まで待ちましょう」


 バルドは羊皮紙をしまった。


「黒燭導入契約に署名してください。まずは北門、井戸、宿、広場の四か所。これで村は王都公認の保護下に入ります」


「断ったら?」


 セラが問う。


「王都に報告します」


 バルドは穏やかに言った。


「そして、無認可灯具の撤去命令が出るでしょう」


 撤去。


 北門守護灯。


 井戸灯。


 ロッテさんの宿の食堂灯。


 ニナの安眠灯。


 月送りの灯。


 この数日で、ともした灯りたち。


 それを奪うと言っているのだ。


 ニナが安眠灯を抱きしめた。


 ロッテさんが宿の方を見た。


 ミリアが拳を震わせる。


 ポルカが俺の肩の上で、小さく唸るように鳴いた。


 俺は前へ出た。


「明日の正午までに、こちらも答えを出します」


 バルドの目が細くなる。


「よろしい。賢明な判断を期待しております」


 黒燭商会の男たちは、荷馬車を引いて北門の外へ下がっていった。


 だが、完全には去らない。


 村の外れに天幕を張り始める。


 こちらの返事を待つつもりだ。


 あるいは、逃げ場を塞ぐつもりか。


 広場には、重い沈黙が残った。


 村人たちは不安げに俺とセラを見る。


 王都の権威。


 聖灯局の認可。


 黒燭商会の圧力。


 この小さな村には、どれも重すぎる。


 けれど、俺は広場の灯柱を見た。


 小さいが、確かにともっている。


 その灯りは、誰かを脅すためのものではない。


 守るためのものだ。


「セラさん」


「ええ」


 彼女はすでに決めている顔だった。


「今夜中に、証拠を集めましょう」


 ミリアも頷く。


「黒燭が灯具を食う証拠。図面に残す」


 ロッテさんが静かに言った。


「宿の証言も出すわ」


 ドルトンさんも震えながら手を上げた。


「私も」


 ニナは安眠灯を抱きしめながら、少し怖そうに、それでも言った。


「わたしの灯り、取られたくない」


 その一言で、胸の奥に火が入った。


 そうだ。


 これは権威の話ではない。


 誰かの眠りを守る灯りを、奪わせるかどうかの話だ。


 俺はランタンを掲げた。


「取らせない」


 小さな灯りが、広場で静かに揺れた。


「この村の灯りは、この村の人たちのものです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る