第4話 灯火師、村の地図を見る

 井戸の底から、黒い霧が滲み出していた。


 朝の光が広場に差している。


 夜は明けたはずだった。


 影狼たちは黒森へ退き、北門の灯りもまだ消えていない。ニナは朝まで眠れた。ロッテさんの家には、夫のランタンが再びともった。


 なのに。


 村の中央にある井戸だけが、まるで夜を引きずっているように冷たく沈んでいた。


「近づかないで!」


 セラが村人たちに鋭く声を飛ばした。


 水汲みに来ていた女たちが、桶を抱えたまま後ずさる。


 老人が不安げに呟いた。


「井戸までやられたら、終わりだぞ……」


「昨日まではこんな霧、出てなかったのに」


「灯りをつけたから、夜の呪いが怒ったんじゃないのか?」


 その一言で、村人たちの視線が俺に集まった。


 責めるような目。


 怯える目。


 期待していいのか分からない目。


 無理もない。


 俺は昨日来たばかりの追放者だ。


 俺の灯りで村が少し明るくなったのは事実でも、その直後に水源から黒い霧が出たとなれば、不安になるのは当然だった。


 俺は井戸の前で立ち止まり、ゆっくり息を吸った。


 黒い霧は、夜に見たものより濃い。


 ただ空気中に漂っているだけではなく、井戸の石組みにこびりつき、縁に黒い紋のようなものを描いていた。


 それは昨夜、黒霧や影狼から感じた気配とは少し違う。


 もっと深い。


 長く、長く、この場所に染み込んでいたものが、灯りに反応して浮かび上がってきたような感じだった。


「ルカ」


 セラが隣に立つ。


 短剣は抜いているが、井戸の霧に刃を向けても意味はないと分かっているのだろう。


 表情は険しい。


「分かる?」


「少しだけ」


「魔物?」


「魔物ではないです。たぶん、井戸の中に夜霧が溜まっている。水そのものに混ざっているわけではないと思いますが、このままだと危ない」


「水が使えなくなる?」


「可能性はあります」


 セラの顔がさらに強張った。


 村にとって、水源は命だ。


 宿を再開するにも、薬草畑を守るにも、子どもたちが暮らすにも、水がなければ何もできない。


 俺は井戸の縁に手を近づけた。


 すぐに、指先がひりつく。


 冷たい。


 まるで氷水に触れたような冷たさではない。


 体温ではなく、気力を奪う冷たさ。


 夜霧の呪いだ。


「井戸の周りに灯具はありますか?」


 俺が尋ねると、セラは井戸の向こう側を指さした。


「昔は、あそこに小さな井戸灯があったらしいわ。でも、今は土台しか残っていない」


 確かに、井戸のそばに石の台座があった。


 腰ほどの高さ。


 上部は割れ、灯具は失われている。


 ただ、台座の側面に薄い刻印が見えた。


 広場や北門で見た古い灯路の紋と似ている。


「この井戸、昔は灯りで守られていたんですね」


「井戸を?」


「はい。夜霧が水源に入らないように」


「そんなことまで、灯りでできるの?」


「普通はできません」


 俺は正直に答えた。


「王都の灯具なら、せいぜい魔物避けか足元の明かりです。でも、この村の古い灯路は違う。井戸や門や家を、それぞれの役目に合わせて守る仕組みだったのかもしれません」


 言いながら、俺自身も驚いていた。


 王都の聖灯局で学んだ知識には、こんな灯路は出てこなかった。


 聖灯局が重視するのは、大聖灯の出力、聖光魔法の規模、結界の強度。


 けれど、この村の灯りは違う。


 一つ一つが小さい。


 でも、暮らしに近い。


 門を守る灯り。


 眠りを守る灯り。


 家に帰るための灯り。


 水を守る灯り。


 まるで、人々の生活そのものに灯りが結びついている。


「直せる?」


 セラの問いに、俺は井戸の台座を見た。


「灯具が残っていないので、今ある道具だけでは完全には無理です」


「そう……」


「でも、応急処置ならできます」


 俺は工具箱を開いた。


 中から、細い銅線、予備のランプ芯、小さな反射板、古い魔石片を取り出す。


 王都を追放される時、持ち出せたものは少ない。


 それでも、灯火師として最低限の道具は鞄に詰めていた。


 オルドたちは笑っていたが、俺にとって工具箱は剣より大事なものだ。


「何をするの?」


 セラが聞く。


「簡易の井戸灯を作ります。持続時間は短いですが、霧の流れを一度押し返せれば、井戸の状態を確認できるはずです」


「手伝えることは?」


「村の人たちを井戸から離してください。それと、布と油を少し。できれば、清潔なものを」


「分かった」


 セラがすぐに指示を飛ばす。


「ロッテさん、布を! ガルム爺、子どもたちを下がらせて! 男手は井戸の周りに柵を作って。誰も霧に触れないように!」


 村人たちは一瞬戸惑った。


 だが、昨夜セラと俺が灯りを戻したのを見ている。


 すぐに動き始めた。


 ロッテさんが古い白布と油壺を持って走ってくる。


「これで足りる?」


「十分です。ありがとうございます」


「井戸、助かる?」


「助けます」


 そう答えてから、少しだけ自分で驚いた。


 昨日までなら、「やってみます」と言っただろう。


 でも今は違った。


 この井戸を失えば、村の人たちが困る。


 ニナも、カイも、ロッテさんも、セラも。


 だったら、助ける。


 それだけだった。


 俺は台座の上に簡易灯具を組み始めた。


 割れた石のくぼみに魔石片を固定し、銅線で周囲の刻印に触れさせる。


 反射板を井戸の内側へ向け、布を細く裂いて芯を作る。


 王都の規格から見れば、ひどく粗い。


 聖灯局の試験なら、間違いなく不合格だ。


 でも、ここには試験官はいない。


 必要なのは、今この井戸を守る灯りだ。


「【小さな灯】」


 俺は指先に光をともした。


 小さな金色の灯りが、芯へ移る。


 簡易灯具は一瞬だけ頼りなく揺れた。


 黒い霧がそれを呑もうと、井戸の縁から伸びる。


 俺は歯を食いしばった。


「まだだ」


 灯りを強めるのではない。


 強くしすぎれば、壊れた台座が持たない。


 水を煮立たせるような光ではなく、井戸の底まで静かに届く光。


 暗い場所に差し込む朝の一筋。


 水面に映る月明かり。


 渇いた喉を潤すために、誰かが桶を下ろす時の、手元を照らす明かり。


 そういう灯りを思い描く。


 簡易灯具の光が、ふっと落ち着いた。


 次の瞬間、井戸の縁に浮かんでいた黒い紋が薄れていく。


 霧が逃げ場を失ったように渦を巻き、井戸の底へ沈んだ。


 広場に集まっていた村人たちが、一斉に息を止める。


「水桶を」


 俺が言うと、近くにいた男が慌てて桶を渡した。


 井戸に縄を下ろす。


 ぎい、と古い滑車が鳴る。


 桶が水面に触れる音。


 引き上げた水は、透明だった。


 ただし、表面にうっすらと黒い膜が浮いている。


「飲まないでください」


 俺は桶の上にランタンをかざした。


 小さな灯りが水面に映る。


 黒い膜が、じわじわと端へ寄っていき、やがて煙のように消えた。


「……消えた」


 村人の誰かが呟いた。


 俺は水の匂いを確認する。


 冷たいが、嫌な気配はない。


「水自体はまだ生きています。井戸の底に夜霧が溜まっていただけです」


「使えるの?」


 セラが聞く。


「簡易灯が安定している間は。ただ、毎日確認が必要です。できれば正式な井戸灯を作った方がいい」


「作れる?」


「部品があれば」


 その瞬間、村人たちが顔を見合わせた。


 若い男が口を開く。


「古い灯具なら、うちの納屋にある。壊れてるけど」


「うちにもあるわ。夫が捨てようとして、そのままにしていたやつ」


「昔の祭りで使っていたランタンなら、倉庫に」


「北の空き家にも、たしか……」


 ぽつぽつと声が上がる。


 昨日まで、壊れた灯具はただの古道具だったのだろう。


 場所を取り、役に立たず、捨てるにも困るもの。


 けれど今は違う。


 それは、村を取り戻すための材料になる。


 セラはすぐに頷いた。


「午後から、壊れた灯具を全部広場に集めましょう。ルカが確認する。使えるもの、部品取りできるもの、危ないものに分けるわ」


「分かりました」


「それと、村の地図がいるわね」


「地図?」


「灯りを戻すなら、どこに何があるか把握しないと」


 セラは少しだけ苦笑した。


「村長代理なのに、情けないけど。私たちはずっと、夜にどこが危ないかだけを見てきた。どこに灯りがあったかなんて、もう誰もちゃんと覚えていない」


「それなら、歩きながら見ます」


「村中を?」


「はい。灯路の反応を見れば、昔の灯具の場所が分かるかもしれません」


 俺は井戸の台座から伸びる薄い金色の線を見下ろした。


 それは広場へ戻り、そこから複数の方向へ枝分かれしている。


 北門。


 ロッテさんの家。


 井戸。


 そして、まだ見ぬ場所へ。


 まるで村そのものが、眠りながら呼吸しているようだった。


     ◇


 午前のうちに、俺はセラと村を歩くことになった。


 ニナが「わたしも行く!」と元気よく手を上げたが、老婆に止められていた。


「昨日まで寝込んでた子が、何を言ってるんだい」


「もう元気だもん!」


「元気なら家で朝ごはんを食べな」


「えー」


 頬を膨らませるニナに、俺は笑って言った。


「午後に灯具を集めるのを手伝ってくれる?」


「ほんと?」


「危なくないものだけね」


「やる!」


 ニナは一瞬で機嫌を直した。


 その様子を見て、周囲の大人たちも少し笑う。


 たった一晩で村が明るくなったとは言わない。


 でも、子どもの笑い声があるだけで、空気は変わる。


 俺とセラは、広場から南の畑へ向かった。


 畑は広くはない。


 土は痩せていて、ところどころ黒く変色している。


「夜に何かが出ますか?」


「作物が朝になると枯れていることがある。獣に食われた跡はないのに、葉だけ黒くなる」


「夜霧ですね」


「やっぱり」


 畑の四隅には、低い石柱が残っていた。


 灯具はもうない。


 だが、石柱の根元には灯路の紋がある。


「ここにも灯りがあったんだ」


 セラが膝をつき、石柱を撫でる。


「知らなかった。子どもの頃から、ただの境界石だと思っていたわ」


「畑を囲む灯りだったんだと思います。魔物というより、夜霧除けですね。四隅に灯りを戻せば、作物の被害は減るかもしれません」


「……それができたら、村の食料が増える」


 セラの声が少し震えた。


「毎年、冬前になると足りなくなるの。王都から買うにも高すぎるし、商人は夜を嫌がって来ない。だから皆、少しずつ我慢していた」


 俺は黒く変色した土を指でつまんだ。


 冷たい。


 でも、完全に死んだ土ではない。


 灯りで夜霧を払えば、まだ戻る。


「ここは優先度が高いですね」


「井戸、北門、畑……もうこんなに」


「灯りは生活全部に関わりますから」


 王都では、それを誰も分かってくれなかった。


 大聖灯だけが偉いわけじゃない。


 人が暮らす場所には、それぞれに必要な灯りがある。


 畑には畑の。


 井戸には井戸の。


 家には家の。


 そして、人には人の。


 次に向かったのは、西側の閉ざされた宿だった。


 ロッテさんが夫と営んでいたという宿。


 木造二階建てで、看板は半分朽ちている。


 扉には鍵がかかっていたが、ロッテさんがすでに開けてくれていた。


「中は埃だらけだけど、見てくれる?」


「もちろんです」


 宿の中に入ると、古い木の匂いがした。


 長く閉め切られていた空気。


 けれど、不思議と嫌な感じは少ない。


 むしろ、かつてここに人が集まり、食事をし、眠っていた気配が残っている。


 食堂には大きな暖炉。


 壁にはランプの跡。


 天井からは、壊れた吊り灯具が下がっていた。


 俺は思わず足を止めた。


「いい宿ですね」


 ロッテさんが驚いたように俺を見る。


「埃だらけよ?」


「それでも分かります。きっと、夜に帰ってきた人を迎える宿だった」


 ロッテさんは口元を押さえた。


「……夫がね、よく言っていたの。旅人は、扉を開ける前に窓の灯りを見るんだって。灯りが温かければ、それだけで足が軽くなるって」


「その通りです」


 俺は吊り灯具を見上げた。


 古いが、作りは良い。


 中央の食堂灯として使われていたのだろう。


 ここを直せば、宿全体の灯りの中心になる。


 さらに客室ごとの小灯をつなげば、夜霧を防ぐこともできるかもしれない。


「この宿、直せます」


 俺が言うと、ロッテさんの目に涙が浮かんだ。


「本当に?」


「時間はかかります。部品も必要です。でも、灯りは戻せる」


「……そう」


 ロッテさんは食堂の椅子に手を置いた。


「また、誰かに温かいスープを出せるのね」


 宿。


 食事。


 灯り。


 夜に安心して眠れる場所。


 この村にそれが戻れば、商人も旅人も来られる。


 村は外とつながる。


 ただ守るだけではなく、暮らしが動き出す。


 俺の頭の中に、少しずつ地図が描かれていった。


 広場の灯柱を中心に、北門、井戸、畑、宿。


 それぞれに灯りを戻し、線でつなぐ。


 点ではなく、網にする。


 王都で俺が見続けてきた街灯網。


 でも、ここではもっと暮らしに寄り添った、小さな灯りの網。


「ルカ?」


 セラが声をかける。


「どうしたの?」


「村の地図を作りましょう」


「ええ。そのつもりだったけど」


「ただの地図じゃなくて、灯りの地図です」


 俺は宿の埃をかぶったテーブルに指で線を引いた。


「広場を中心に、北門、井戸、畑、宿。そこに灯りを戻す。家々にも小灯を置く。全部をつなげれば、村全体を夜霧から守れるかもしれません」


 セラの目が大きくなる。


「村全体を?」


「まだ仮説です。でも、北門では門灯同士がつながって膜のようなものができました。広場の灯りで子どもたちの悪夢も少し和らいだ。なら、灯りを増やしてつなげば、範囲を広げられるはずです」


「それって……」


 セラは言葉を探すように息を呑んだ。


「この村を、夜でも暮らせる場所に戻せるってこと?」


 俺は少し迷った。


 言い切るには、まだ分からないことが多い。


 灯具も足りない。


 魔石も足りない。


 黒森の夜霧の原因も分かっていない。


 でも。


 ニナは眠れた。


 カイは助かった。


 ロッテさんの家に灯りが戻った。


 井戸の水も守れた。


 なら、次もやるだけだ。


「戻しましょう」


 俺は言った。


「少しずつ。小さな灯りを、一つずつ」


 セラはしばらく俺を見つめていた。


 やがて、ふっと笑う。


「あなた、本当に不思議な人ね」


「そうですか?」


「追放されたばかりなのに、もう村全部を背負おうとしている」


「背負うというより……」


 俺は宿の窓を見た。


 埃で曇った硝子の向こうに、朝の村が見える。


 まだ暗さを抱えた村。


 でも、どこかに灯りを待っている村。


「灯りが消えているのを見ると、放っておけないんです」


 セラは小さく笑った。


「灯火師ね」


「はい」


 王都では馬鹿にされた言葉。


 でも、今は少しだけ胸を張れた。


     ◇


 昼前には、広場に壊れた灯具が集まり始めた。


 古いランタン。


 割れた街灯。


 祭りで使っていた飾り灯。


 農具小屋に眠っていた小型灯。


 誰かの家の壊れた寝室灯。


 驚くほど数があった。


 ニナをはじめ、子どもたちも小さな灯具を抱えて走り回っている。


「ルカ兄ちゃん! これは?」


「それは硝子が割れてるけど、金具は使える」


「これは?」


「芯を替えれば使えるかも」


「これは?」


「……それは鍋の蓋だね」


「ちがった!」


 ニナがけらけら笑う。


 周りの大人たちもつられて笑った。


 広場に笑い声が響く。


 昨夜、あれほど重く沈んでいた同じ場所とは思えなかった。


 俺は灯具を三つの山に分けていく。


 すぐ使えるもの。


 修理すれば使えるもの。


 部品取りにするもの。


 ミリアという名前のランプ職人が村にいると聞いたが、今は外れの工房にいるらしい。彼女が協力してくれれば、作業はかなり進むだろう。


 問題は魔石だ。


 使える灯具があっても、魔石が足りない。


 俺の【小さな灯】で火を入れることはできるが、灯りを長く維持するには核になる魔石が必要だ。


「魔石の在庫は?」


 俺が聞くと、セラは苦い顔をした。


「ほとんどないわ。王都から買うと高いし、商人も来ない。昔は近くの鉱山で少し採れたらしいけど、夜霧が出るようになって閉鎖された」


「鉱山……」


「危険よ。影蜘蛛が出る」


「でしょうね」


 新しい課題がまた増えた。


 北門、井戸、畑、宿、家々。


 そして魔石。


 やるべきことが多すぎる。


 けれど、不思議と重くはなかった。


 王都にいた頃、俺は毎日膨大な灯具を一人で点検していた。


 誰にも見られず、誰にも感謝されず、壊れたら怒られるだけの仕事。


 ここでは違う。


 灯りを直すたび、誰かの顔が変わる。


 それが、次の手を動かす力になる。


 俺が灯具を確認していると、ロッテさんが湯気の立つ椀を持ってきた。


「灯火師さん、お昼よ。簡単なスープだけど」


「ありがとうございます」


「昨日の夜は、ほとんど寝てないでしょう。食べないと倒れるわ」


 椀の中には、根菜と干し肉のスープが入っていた。


 香草の匂いがする。


 王都の食堂で食べていた薄い麦粥より、ずっと温かそうだった。


 俺は一口飲んだ。


 体の芯に、じんわりと熱が広がる。


「……おいしいです」


 そう言うと、ロッテさんは嬉しそうに笑った。


「宿を再開したら、もっとちゃんとしたものを出すわ」


「楽しみにしています」


「そのためにも、灯りをお願いね」


「はい」


 そのやりとりを聞いていたセラが、どこか満足そうに広場を見回した。


 村人たちが壊れた灯具を持ち寄り、子どもたちが走り、井戸の簡易灯が静かにともり、広場の灯柱が淡く光っている。


 まだ昼間だ。


 夜になれば、また怖さが戻るだろう。


 でも、昨日とは違う。


 村はもう、ただ夜を待つだけではない。


 夜に備えて、灯りを集めている。


「ルカ」


 セラが俺の隣にしゃがみ、小さな羊皮紙を広げた。


 簡単な村の地図だった。


 広場。


 北門。


 井戸。


 宿。


 畑。


 墓地。


 工房。


 空き家。


「ここに、灯りの場所を書いていきましょう」


「はい」


 俺は炭筆を受け取り、広場の中心に丸を描いた。


 そこから線を伸ばす。


 北門へ。


 井戸へ。


 ロッテさんの宿へ。


 畑へ。


 まだ薄い線。


 まだ頼りない地図。


 でも、確かに始まっている。


 この村を照らすための設計図だ。


 その時、広場の外れから、甲高い声がした。


「ちょっと待ちなさいよ! 誰が勝手に灯具をいじっていいって言ったの!」


 全員が振り向く。


 そこに立っていたのは、獣耳の少女だった。


 明るい金茶色の髪。


 ぴんと立った狐のような耳。


 腰には工具ベルト。


 手には油まみれの大型レンチ。


 尻尾を逆立て、こちらを睨んでいる。


 セラが「あ」と声を漏らした。


「ミリア」


「セラもセラよ! 村の灯具はうちの工房の管轄でしょ! どこの誰かも分からない男に触らせるなんて——」


 少女はそこまで言って、広場の灯柱を見た。


 次に井戸の簡易灯を見た。


 それから、ロッテさんの家の窓に残る小さな灯りを見た。


 大きな狐耳が、ぴくりと揺れる。


「……点いてる」


 ミリアと呼ばれた少女は、信じられないものを見るように目を見開いた。


「なんで? あれ、全部死んだ灯具だったのに」


 俺は立ち上がった。


「あなたが、この村のランプ職人ですか?」


 ミリアはレンチを握り直し、俺を睨んだ。


「そうよ。で、あんた誰?」


「ルカ・エルネスト。昨日から、この村の灯りを見させてもらうことになりました」


「灯りを見させてもらう?」


 ミリアは俺の工具箱を見て、集められた灯具を見て、最後に俺のランタンを見た。


 その瞳に、怒りとは別の光が宿る。


 職人の目だった。


「……そのランタン」


「これですか?」


「中、見せて」


 さっきまで怒っていたのに、急に距離を詰めてくる。


 俺は思わず一歩引いた。


「えっと」


「早く。見せて。今の灯り、普通じゃない」


 ミリアは俺の返事を待ちきれないように、尻尾をぶんぶん揺らしている。


 セラが小さく笑った。


「ルカ。紹介するわ」


 彼女は楽しそうに言った。


「この子が、ノクスヴェイルで一番腕のいいランプ職人。ちょっと騒がしいけど、灯具のことになると頼りになるわ」


「ちょっとって何よ!」


 ミリアが噛みつく。


 だが、その目はずっと俺のランタンに釘付けだった。


 壊れた灯具の山。


 古い灯路の地図。


 そして、村で一番のランプ職人。


 どうやら、灯りを取り戻すための次の一歩が向こうからやってきたらしい。


 俺はランタンをそっと差し出した。


「では、見てもらえますか」


 ミリアは両手でランタンを受け取り、目を輝かせた。


「……なにこれ」


 彼女の耳が、ぴんと立つ。


「こんな優しい灯り、初めて見た」

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