押しかけヒロイン



 翌日。


 朝から嫌な予感がしていた。


 理由は簡単だ。


 昨日の茜である。


『荷物持ってくる!』


 あの一言。


 あれが気になって仕方なかった。


 ただの荷物ならいい。


 本当に。


 普通の荷物ならいい。


 でも茜は普通じゃない。


 昔からそうだった。


 良くも悪くも行動力がおかしい。


 思いついたら動く。


 止まらない。


 周囲は巻き込まれる。


 そしてなぜか僕も巻き込まれる。


 なんで?


 そんなことを考えながら朝食を作る。


 トーストを焼く。


 コーヒーを淹れる。


 香ばしい匂いが部屋に広がった。


 窓の外では初夏の風が木々を揺らしている。


 静かだった。


 穏やかだった。


 誰にも邪魔されない。


 最高である。


 たぶん今日まで。


 そんな気がしていた。


◇◇◇


 昼過ぎ。


 インターホンが鳴った。


 来た。


 絶対来た。


 僕は観念して玄関へ向かう。


 ドアを開ける。


「かえでー!」


 いた。


 予想通りだった。


 満面の笑みだった。


 そして。


 その後ろを見て。


 僕は固まった。


「……」


「えへへ!」


「……」


「えへへ!」


 笑って誤魔化せる量ではなかった。


 スーツケース三つ。


 ボストンバッグ二つ。


 段ボール六箱。


 さらに大きな紙袋がいくつもある。


 引っ越しだった。


 どう見ても引っ越しだった。


「茜」


「なに?」


「旅行?」


「違うよ?」


「海外移住?」


「違うよ?」


「夜逃げ?」


「違うよ?」


 全部違った。


 じゃあ何なんだろう。


 嫌な予感しかしない。


「荷物!」


「見れば分かる」


 問題はそこじゃない。


「なんでこんなにあるの?」


「持ってきたから!」


 会話にならない。


 知ってた。


 でも会話にならない。


「持ってきた理由を聞いてるんだけど」


 すると。


 茜は当然のような顔で言った。


「住むから!」


 思考が止まった。


「……え?」


「だから住む!」


「なんで?」


「だって一緒に活動するでしょ?」


「うん」


「効率いいよ?」


「うん」


「家賃も浮くよ?」


「うん」


「寂しくないよ?」


「うん」


「だから住む!」


 理論が雑だった。


 ものすごく雑だった。


 でも本人は大真面目だった。


 困る。


 こういう時が一番困る。


「いやいやいや」


 僕は首を振る。


「女の子だよ?」


「うん」


「僕は男だよ?」


「知ってる」


「分かってる?」


「分かってる!」


 分かっていない気がする。


 すごくする。


「世間体とか」


「大丈夫!」


「何が?」


「私たち幼馴染だから!」


 そういう問題だろうか。


 たぶん違う。


 絶対違う。


◇◇◇


 結局。


 玄関先で話していても仕方がない。


 とりあえず荷物を中へ運ぶことになった。


 なんで?


 本当に。


 なんで?


「重っ……」


 段ボールを持ち上げる。


 予想以上に重かった。


「何入ってるの?」


「グッズ!」


「多いね?」


「いっぱいある!」


 知ってる。


 見れば分かる。


 むしろ多すぎる。


 リビングには次々と段ボールが積まれていく。


 一人暮らし用の部屋だったはずなのに。


 急に狭くなった。


 圧迫感がすごい。


「よし!」


 最後の荷物を置き終えた茜が満足そうに頷く。


「完了!」


「完了じゃない」


「え?」


「え?じゃない」


 僕は深く息を吐いた。


 疲れた。


 まだ何も解決していないのに疲れた。


 帰りたい。


 ここ僕の家だけど。


◇◇◇


 ソファに座る。


 向かいには茜。


 なぜか嬉しそうだった。


 なんで?


「茜」


「なに?」


「本当に住む気?」


「住む気!」


 即答だった。


 迷いがない。


 恐ろしいほどない。


「ご両親は?」


「許可もらった!」


「早いね?」


「昨日電話した!」


 行動力の化身だった。


 本当に。


 昨日辞めたばかりだよね?


「僕の許可は?」


「これからもらう!」


 順番がおかしい。


 完全におかしい。


「普通逆じゃない?」


「大丈夫!」


「何が?」


「かえでは優しいから!」


 それは褒めているのだろうか。


 利用されているのだろうか。


 微妙だった。


 すごく微妙だった。


◇◇◇


 その時。


 茜のお腹が鳴った。


 ぐぅ。


 見事な音だった。


 一瞬沈黙する。


「……」


「……」


「えへへ」


「お昼食べてないの?」


「運んでたから!」


 威張ることじゃない。


 でも。


 確かに朝から動きっぱなしだったのだろう。


 少しだけ顔が疲れている。


 本人は元気そうだけど。


 長年の付き合いだ。


 それくらいは分かる。


「何か作るよ」


「やったー!」


 ぱっと顔が明るくなる。


 本当に分かりやすい。


◇◇◇


 三十分後。


 テーブルの上にはオムライスが並んでいた。


 湯気が立ち上る。


 ケチャップの香りがふわりと広がった。


「いただきます!」


「いただきます」


 茜はスプーンを持つとすぐに一口食べる。


 そして。


「おいしい!」


 ぱっと笑顔になった。


「よかった」


「やっぱり楓のご飯好き!」


 その言葉に少しだけ照れる。


 褒められるのは苦手だった。


「そんな大したものじゃないよ」


「大したものだよ!」


 即否定された。


 なんで?


「これ食べたら元気出るもん!」


 茜は本当に嬉しそうだった。


 子供みたいな笑顔だった。


 昨日まで色々あったはずなのに。


 ちゃんと前を向いている。


 強いな。


 そう思った。


◇◇◇


 食事を終える頃には。


 窓の外は夕暮れになっていた。


 オレンジ色の光が部屋を染めている。


 茜は満足そうにソファへ座った。


「ねえ」


「うん?」


「これから頑張ろうね」


 その声は少しだけ優しかった。


「そうだね」


 僕も頷く。


 不安はある。


 たくさんある。


 でも。


 一人じゃない。


 それだけで少し心強かった。


 すると。


 茜が当然のように言う。


「じゃあ私の部屋どこ?」


「まだ決まってないよ」


「え?」


 固まった。


 本当に固まった。


「え?」


 今度は僕の番だった。


「いや、なんで驚いてるの?」


「住むんだよ?」


「まだ決まってないよ?」


「え?」


 どうやら。


 本当に住める前提だったらしい。


 なんで?


「普通はちゃんと話し合うよね?」


「……住まないの?」


 茜が少しだけ不安そうな顔をした。


 肩が落ちる。


 耳までしょんぼりして見える。


 犬だろうか。


 大型犬だろうか。


 その顔はずるかった。


 反則だった。


 長年の付き合いだから分かる。


 この顔をされると弱い。


 ものすごく弱い。


「住まないとは言ってないけど」


「ほんと!?」


 ぱっと表情が明るくなる。


 忙しい。


 本当に忙しい。


「ちゃんとルールとか決める」


「うん!」


「生活費とかも相談する」


「うん!」


「それで問題なかったら」


 そこまで言うと。


 茜は身を乗り出してきた。


 近い。


 近かった。


「近い近い」


「それで?」


「それで問題なかったら考える」


「やったー!」


 飛び上がる勢いだった。


 まだ決定じゃないんだけど。


 たぶん聞いていない。


 絶対聞いていない。


 茜は嬉しそうに笑う。


 その笑顔を見ていると。


 まあいいか。


 少しだけそう思ってしまう自分がいた。


 たぶん。


 それが一番まずい。


 そして僕はまだ知らなかった。


 翌日。


 この家に新たな住人が増えることを

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