第4話:他人の違和感


午後の会議は、いつもより長く感じた。


榊 恒一は資料の文字を追いながらも、ほとんど内容が頭に入ってこなかった。


視界の端では同僚たちが普通に頷き、普通にメモを取り、普通に議論している。


——全部が、普通すぎる。


それが逆に気持ち悪い。


榊は手元の資料をめくる。


そこには昨日見たはずのプロジェクト案が、整然と並んでいた。


ただ一つだけ違う点がある。


「コンビニ立地調査結果」のページがない。


あの“消えたコンビニ”に関する資料だ。


昨日の記憶では、確かにその調査が議題に上がっていた。


しかし今の資料には、その項目自体が存在しない。


榊は喉を鳴らした。


誰かが“消した”のではなく。


最初から“なかったことにされている”。


その時、隣の席の高橋が小さく肘でつついてきた。


「おい」


「……何だよ」


「さっきから顔、変だぞ」


小声。


しかしその声には、昨日までとは違う“距離”があった。


榊は無理に笑おうとした。


「別に普通だろ」


「普通じゃない」


即答だった。


高橋は資料から目を離さず続ける。


「お前、さっきからずっと“昨日の話”を探してる顔してる」


榊の指が止まる。


「……探してる?」


「そう。まるで、自分だけ違う日を生きてるみたいな顔」


その言葉に、榊は一瞬呼吸を忘れた。


違う日。


その表現は、冗談にしては鋭すぎる。


高橋はそこで初めて榊を見る。


だが、その目には昨日のような困惑はない。


代わりにあったのは、わずかな警戒だった。


「なあ榊」


「……何だ」


「お前、昨日のこと、どこまで覚えてる?」


その質問は、優しさではなかった。


確認だった。


テストのような、静かな検査。


榊は答えようとして、止まる。


昨日。


会議室。


コンビニ。


写真の男。


通知。


全部ある。


だが、そのどれもが“他人に否定されている”。


口を開いた瞬間、別の声が割り込んだ。


「高橋くん」


上司の声だった。


「その話は後にして」


空気が一瞬で切り替わる。


高橋は何事もなかったように視線を戻す。


だが、榊には分かった。


今の会話は“途中で切られた”。


そして、それは偶然ではない。


会議が終わった後、榊はトイレに立った。


鏡の前で手を洗う。


冷たい水。


現実の感触だけが、やけに鮮明だった。


顔を上げる。


鏡の中の自分は、少し疲れているように見えた。


その時。


鏡の奥の光が、一瞬だけ“ズレた”。


ほんの数ミリ。


しかし確かに。


榊は動きを止める。


鏡の中の自分が、ほんの一瞬だけ“遅れている”。


まるで別の時間軸にいるみたいに。


次の瞬間には元に戻っていた。


だが、その違和感だけは消えない。


背後から水音。


別の社員が入ってくる。


「お疲れっす」


普通の声。


普通の世界。


榊はゆっくり手を拭いた。


——自分だけが、この“普通”から外れている。


その確信が、少しずつ形を持ちはじめる。


午後、デスクに戻るとスマホに通知が一件。


《個体差検知:観測者適性あり》


誰からでもない。


また同じ“それ”。


その直後、もう一行が追加される。


《記憶補正耐性:中〜高》


榊は画面を見つめたまま動けなかった。


観測者。


補正耐性。


まるで自分が“人間”ではなく、何か別の分類に入れられているような言葉。


その時、隣から高橋がぽつりと言った。


「榊」


「……何だよ」


「今日の帰り、ちょっと時間あるか」


榊は顔を上げる。


高橋は画面を見たまま続ける。


「話がある」


その声は、いつもの同僚の声ではなかった。


どこか、決められた手順をなぞるような声だった。

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