僕が冷酷非情な人間かもしれない。
最初の書き出しでそう語られるこの物語の主人公には、等身大のリアルな少年像を感じます。
見える世界の視界の範囲がとてもいい、真っ直ぐな視野で、見ているもの、聞こえているものはその余裕のある範囲でしかないのはなんだかとても懐かしい感じがしました。
まだ途中のものなので正しいレビューになるとは思っていませんが、正面から受け取ることのできない親友の死別というものを描こうとしているのかなと理解しています。
違ったらごめんなさい。
途中、その死別の傷というものがとても希薄に描かれているのは、多分冒頭のこれにかかっているようにも思えますが、同時に彼の視点で今の親や友人などの人間関係と心情には普遍的な学生のそれを読み取れるような描写がされています。
例えば誰かの言葉を無視した事を気にしていたり、自分に向かって来る相手の感情を観察していたりはそういうところなのかなと思いました。
本物の心情は、地の文から滲んでいるようにも見えますね。
それはもしかしたら深読みかもしれませんが、今後、というかもうすぐ確信の一つであるその痛みや傷についての展開が深掘りされるような気配を感じているので楽しみにしています。
プリントの裏側に透ける「A判」の文字。その瞬間に指先がこわばり、紙の端がわずかに湿る。
中学生のころの、あの言語化できない優越感と後ろめたさが、ひりひりと肌を撫でていきます。
私たちはいつも、数字や判定という分かりやすい記号で、安心を買おうとします。
主人公の朗誠もそうでした。
けれど、親友の死によって、その記号はあっけなく意味を失う。
二学期の始業式。
まとわりつく脂汗。
生温い水道水。
道端に落ちた、もげた蝉の羽。
この作品は、悲しみや絶望といった安易な感情ラベルを使いません。
ただ、不快な体温と重い空気の連続だけで、主人公に空いた穴の深さを、読者の体に直接伝えてくる。その手つきが見事です。
親友は、なぜあの日、校門に立っていたのか。
残された彼が、これからどうやって本当の痛みに追いつくのか。
息をひそめて、最後まで見届けようと思います。