第12話 父の背中
「渡し賃は六文……まぁいくらか払ってくれたらいいですよ」
「飴ちゃんでいいか?」
「子供扱いしてます?」
目を開けたら霧の濃い河原に立っていた。
足元は砂も見えるが砂利が多い。
4号砂利か?粒が大きくて歩きにくいじゃねぇか。
よく見る砂利と違って角は少なく丸みがある。そのせいで石が滑って足を取られた。
「っと……しかしこりゃあ……」
ふわっと風が吹いて霧が割れた。
視線の先には、黒い大きな川が音もなく流れていた。
これはきっと三途の川というやつだろうな。
「こんにちは近藤まさみちさん」
川縁に若い女が座っていた。
苔の生えた麦わら帽子を被り、木の枝で釣りをしているらしい。
「よぉ嬢ちゃん。お前さんは死神かなんかか?」
「部署違いですね。まぁ似たようなものですが」
よく見れば血色のいい肌に浮いたそばかすが幼く見えた。
「私は三途の川の渡守、あなたを冥府にお送りします」
やっぱり死んだか……。
母ちゃんと同じ病を患った。
母ちゃんを早くに亡くした子供達がやれ健康診断だ病院に通えとやかましかったせいでずいぶん持ったが、ここいらが引き際だったんだろう。
目を瞑れば、死に際に集まった五人の子供達と、死んだもう一人の顔が浮かんだ。
「渡し賃は六文……まぁいくらか払ってくれたらいいですよ」
「飴ちゃんでいいか?」
「子供扱いしてます?」
どことなくむくれて見える表情に思わず笑っちまう。やっぱりこの嬢ちゃん幼い。まだ新米か。
「悪い悪い。子供が多かったもんでな。若いの見るとつい、な」
ポケットから苺ミルクの飴を取り出して嬢ちゃんに渡した。
むくれていた癖に、飴を口に放り込むと目をまんまるにして喜んだ。
「――!!!」
「はは!子供はみんな好きな味だよな」
「……子供扱いしてます?」
「悪い悪い」
子供らの事を思い出す。
仕事帰りに買った飴を、おかえりと寄ってくる子供らの口に一つづつ放り込んだ。
みんな揃って嬢ちゃんみたいな顔してやがった。可愛かったな。
「渡賃無かったらどうすんだ?」
「その辺の石ころになります」
「嘘だろ!?この石仏さんかよ?」
踏んづけちまった……罰当たりな事しちまった。申し訳ねぇ気持ちで、歩いてきた方に向かって手を合わせた。
「…………子供、お好きなんですか?」
「当たり前だろ、子は宝だ」
俺も母ちゃんも、子供好きだった。
大工仕事に恵まれて、若い頃は同年代より金回りが良かった。それもあって、どんどん子供を作った。どいつもこいつも愛おしかった。
「子沢山だったんですね」
「ああ……俺には六人子供がいる」
「……ほう」
だが、1番上が中学になった頃、好きだけではどうにもならない事に気づいた。
「だがなぁ…………子供ってのは金がかかる」
「……」
小学校のうちは工夫でなんとかなった。
市営プールに連れて行き、古い電子ピアノを買って……出来る限りやりたい事はやらせていた。
だが中学。勉強についていけなくなる。俺も母ちゃんも、学は無かった。塾に行かせてやる金も、無かった。
「本当に情けなかった……」
子供らはみんな、学はねぇが真面目で優しい。中学を卒業して、みんな就職してくれた。
「ならいいじゃありませんか」
「そんな事無い。俺は、そのせいで一人子供を亡くしてる」
だいご――。
「俺たちのせいで、死んだようなもんだ」
だいごは誰に似たのか勉強が出来た。それどころか、応援団では団長、合唱コンクールでは指揮、その上生徒会長までやった。
「三者面談でな、高校は推薦を勧められたよ」
成績もいい。部活は部費が払えなくてやってなかったが、それを補って釣りが来るほど内申もいい。学費免除で進学出来る推薦枠があった。
「行かせてあげなかったんですか?」
「高校は電車で通わないといけなかったんだ」
本当に情けねぇ。
学費が免除になろうと交通費はかかる。制服だって買わなくちゃならねぇ。
調べてみれば、結構な額だった。
そいつだけなら良かった。でもそいつは三番目だ。下にあと三人いる。もし、誰かが進学したいと言っても、叶えてやる余裕は無い。
俺や母ちゃんにかかる金をどれだけ減らしたってどうにもならなかった。
「母ちゃんとな、何日も寝ずに考えたよ」
だいごは自分から高校に行かせてくれとは言わなかった。
でも、行きたいだろう事は、顔を見てればわかってた。俺たちだって、子供がやりたいなら、なんでもやらせてやりたかった。
どの子にも……。
「だから、推薦は断った。あいつは中学を卒業して、町工場に就職したよ」
就職してすぐ、だいごは家を出た。
それから最後の日まで、帰ってくる事は無かった。
「なぜ、亡くなったんです?」
ドクっと、心臓が嫌な音を立てた。
強く握りしめた拳から、軋むような音が鳴る。
「あいつは――だいごは、母ちゃんが危篤になった夜に帰ってきた。カバンに札束を詰めてな」
『この金で母ちゃんを病院にいれろよ。母ちゃんを、死なせたくないんだよ……』
だいごは俺の目を見ずに言った。バツの悪い時の癖だ。だから、この金はどうしたんだと聞いたんだ。
「盗んだ金だった……。世話になってる町工場から、盗ってきたんだってな」
そんな金受け取れるかって、あいつをぶん殴った。すぐに返して詫びて来いと、それまでは母ちゃんには会わせねぇって……。
「だいごは母ちゃんの死に目に間に合わなかった……あの馬鹿は、酒に酔って階段から落ちて死んでやがった」
警察から、身元を確認するように連絡が来たのは母ちゃんが骨になってからだった。
「なぁ、嬢ちゃん……あんたがここの渡守だってんなら、だいごにも会ったのか?」
握り込んだ拳は感覚もないほどに力む。
俺の後悔は、たった一つ。
だいごに、あの馬鹿息子に言ってやりたい事があったんだ。
「会いましたよ」
息が、止まった。
「は?……」
あまりにもあっさりと言われた。
そのまま、嬢ちゃんは足元を指差す。
黒い石がぽつんと他の石を避けた砂地の上にあった。
「だいごさんです」
「――っ!!なんでだ!?」
「彼は渡らずに、ここで石になる事を選びました」
――は?
「間違っていたのが、親なのか、自分なのか、わからないと……」
何を言ってやがる。
ゆっくりとだいごのそばに膝をついた。
よく見れば、石はひび割れて、汚れたように汚かった。
目が熱い。たまった熱を振り払うように拳を振り上げた。
「なにを――!?」
「黙って見てろ!!親子喧嘩だ!!」
ガツッ――。
何度も何度もひび割れて汚ねぇ石を殴った。
ひび割れてる癖に、割れも崩れもしねぇ。
それに引き換え俺の拳は腫れて、裂けて、血が滲んだ。
振り上げた拳の放物線に血が舞った。
「起きやがれだいご!!お前に、俺は!!」
頬から飛んだ涙が血と混じった。
「俺はお前に詫びてねぇ!!」
ピシリ。小さなヒビが走った。
構わず、割れた拳を叩き込む。
「俺は不出来な父親だ。お前は不出来な息子だな!!」
ピシリ、ピシリ。
「似たもの親子じゃねぇか馬鹿野郎が!!」
ピシリ、ピシリ、ピシリ。
「お前の面見て詫びさせろ!」
拳からはだくだくと血が流れだした。
汚ねぇ石は俺の血を浴びて二目と見れたもんじゃねぇ。
でも、解る。
この汚ねぇ外側の中は。
お前の芯は、きっと綺麗だ。
「俺のせいで曲がったお前の人生に詫びさせろ!!」
ポロリと、汚ねぇ外殻が剥がれ落ちた。
「だがな――」
キラリと光っただいごの内側に向かって、渾身の力を込めて血まみれの拳を振り上げた。
「俺のせいで曲がったお前の人生は、それでもお前のもんだったろうが!!」
「目ぇ覚ませ!!この馬鹿息子!!」
石の芯に拳が当たった瞬間に、カッと強い光が瞬いた。
あまりの光に目が焼けてたじろいだその時だった。
「ぐはぁ!!」
ヒュッという軽い音と共に、子供の拳程になっただいごの石が頬にめり込んだ。
「えぇ!?だいごさん!?」
嬢ちゃんが素っ頓狂な声を上げた。
「っつー!!……起きやがったか。いいパンチしてるじゃねぇか」
割れた拳を振り上げた。
「だが!!オヤジのパンチを超えられると思うな!!」
バチン!と、音を立ててだいごが吹っ飛んだ。
石は二、三度地面に跳ねて、また飛び上がった。
「ぐぁ!!」
今度は鳩尾。ははっ……痛え。
「うぉおら!!こんなもん効きもしねぇぞ!!」
ぶつかって来いよ。
負けてやらねぇから。
「……えぇ……これ、親子喧嘩なんです?」
嬢ちゃんが何か呟いていた。
聞こえないくらい、だいごと殴りあった。
痛ぇし、ジジイになった俺には堪えるが……。
こいつの気の済むまで、殴って…………殴られたかった――。
「はぁはぁ…………やるじゃねぇか」
拳は血まみれの、顔はきっとぼこぼこ。左目は瞼が腫れ上がったのかよく見えねぇ。
上がった息を、膝に手を置いてなんとか吐き切る。
だいごも、石の癖になんだか震えて、息が荒れて見える。
「生きてるうちに、今の気合い見せろや……」
『知らねぇよ』
そう言う不貞腐れただいごが、石に重なった気がした。
俺の都合のいい幻のなのかもしれないが……。
「これは俺の独り言だ……」
本当は、今みてぇにぶつかって欲しかったんだ……一回でいい。
そしたら俺たちは何を投げ打ってもお前のやりたい事を叶えてた。
でもしなかった。お前は何も言わなかった。
だから、自分の甲斐性でどうにかするだろうと思ったんだ。
「俺はお前に甘えてた……本当に不甲斐ねぇ父親だ」
俺の返り血を浴びて、汚れちまっただいごの石を丁寧に拭って元の場所に据えた。
そして、その前に膝をついた。
「申し訳なかった。本当にすまない」
地面に額がつくほど頭を下げた。
もう取り返しはつかない。けれど、無かった事になんぞ出来ない。
ふわりと、さっきより優しい光を感じて目を上げた。
「――ッ」
おとうさん。
やたらでかいおにぎりみたいな顔にごま塩みたいな髭がかいてあった。
おかあさん。
丸い顔に、三日月みたいな笑い顔がおたふくみたいだ。
だいごの石から、花びらが開くようにはらりと現れる、チラシの裏に書いた下手くそな似顔絵。
だいごが書いたものだ。
震える手で拾いあげて、読めるかどうかも怪しい字で書かれた『だいご』の文字を撫ぜた。
「はは……いつ見ても美男美女に描いてあるじゃねぇか」
みんなまだガキだった頃の、あったかい思い出。
これを見せてくれるのか――。
「なぁ嬢ちゃん、俺が川を渡る時、だいごも連れて行けるか?」
そう言えば、嬢ちゃんはいたずらを見つけた母ちゃんみたいな顔で笑った。
「…………飴ちゃん、もう一個くれます?」
「はは!いくらでもやるよ!」
小さな水音と共に、船が川縁にやってきた。
「ちょっとだけ、だいごさんにお別れをさせて下さい」
船に乗り込もうかという時に、嬢ちゃんが声をかけてきた。
だいごを嬢ちゃんにそっと渡すと、両手で包むように受け取ってくれた。
「あなたの次の生を祈っていましたよ」
祈るように静かに目を閉じた嬢ちゃんは泣かないように耐えているようにみえた。
だから、髪が乱れるのもお構いなしにぐりぐり頭を撫ぜた。
「――っ!もう!子供扱いして!」
「はは!悪い悪い。世話になった、ありがとうな」
雑に嬢ちゃんの髪を整えて、だいごを受け取った。
返してもらっただいごの石は、暖かかった。
嬢ちゃんの体温が移っただけかもしれない。
外殻が割れて、子供の拳程になっただいごの石を握りしめる。
少し高い熱が、手のひらに伝わってくる。
『オヤジ…………とうちゃん、一緒に行こう』
だいごの声が、聞こえた気がした。
「だいごさんとまさみちさんの次の生に幸多からん事をー!!」
叫んだ嬢ちゃんの声は、やっぱり涙声だった。
「行っちゃいましたね……」
二人を見送って、川縁に座り込む。
「……ん?んん?」
だいごさんがいなくなった場所に小さな緑の点。
「……もしかして、芽がでるの?」
叶うといいと思っていた事が、二つも起こるなんて。
今日はいい日だ。
少しだけ…………寂しいけど。
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