第4話 わがまま
「渡賃は六文――」
「倍払ってやる!だから俺を今すぐ生き返らせろ!!」
「……」
気がついたら、キャリーバックを引いて砂利の上を走っていた。
石ころばかりのここでは、小さなキャリーバックのタイヤはほとんど意味を成さない。ほとんど引きずるようにしていれば、窪みにタイヤを取られてキャリーバックが跳ねた。
「クソッ」
中身が溢れたら大変だ。
キャリーバックを両手で抱き込んで走ろうとすると、川のほとりについていた。
「こんにちは、近藤だいごさん」
不意にかけられた声に驚いて振り返った。
「私は三途の川の渡守。あなたを冥府へお送りしましょう」
若い女だ。
ぼろぼろの麦わら帽子にTシャツとショートパンツ、足元の靴は値が張りそうでチグハグだ。
「なんの冗談だ!なんで俺の名前を知ってる!?」
「近藤だいごさん」
高い女の声なのに、腹に響く。
「あなたは死んだんです」
俺は死んだ――。
その事実を染み込ますような声色だった。
「渡賃は六文――」
「倍払ってやる!だから今すぐ俺を生き返らせろ!!」
「……」
女が冷めた目で俺を睨め付けた。
クソッバカにしてやがるのか!
「聞いてんのか!」
肩を強く突いたのに、女はびくともしなかった。
「筋トレしてるんで。舐めないでくださいね」
女はそれだけ言うと、フンッと鼻を鳴らして川縁に座り込み釣りを始めた。
「……ば、倍払うって言ってるだろ!」
「へぇ」
気のない返事の女の側に大股に近づいた。
「金ならいくらでもある!」
そう言って、キャリーバックを女の前で開けた。
そこには札束が入っているはずだった。
「……は?」
入っていたのは紙屑だった。
くしゃくしゃの画用紙や古いチラシ、色紙……。
「クソ!なんでだよ!」
怒りに任せてキャリーバックを蹴飛ばして、その場にうずくまった。
小さな町工場が俺の職場だった。
ものぐさな工場長が金庫に現金を入れるけれど、ロックもかけないバカだったから……何ヶ月もかけてキャリーバックいっぱいに金を盗んだ。これを持って逃げるはずだったのに……。
「……やっと貧乏から抜け出せると思ったのに」
「そんなに貧乏が嫌ですか?」
「嫌に決まってんだろ!」
俺の両親は育てきれねぇのにぼこぼこ子供を作った。六人だ。
母親は大人しいバカで、父親は威勢がいいだけのバカだった。
俺は三人目だった。
「ちゃんと育って、働き口が見つかってるじゃないですか」
「はっ!だからって俺の惨めさがわかるかよ」
俺はテストだって良かった。生徒会長にもなった。部活は……部費が払えなくてできなかったけど。
学費免除で進学できた。出来るはずだった。
「親が推薦を蹴ったんだ」
誰も高校なんて行かせねぇ、金がねぇから。
母親も父親も、子供は平等にしやがった。
「親の愛はびょーどーなんだとよ、笑っちまう」
俺だけが進学するのは不平等なんだとよ。
俺は大学に行きたかった。
学歴をつけて、貧乏から抜け出したかったんだ。
「まぁ、学費は免除されたってかかるもんはかかるでしょうしね」
「オヤジ達と同じ事言いやがる」
六人兄妹の中で、出来るのは俺だけだった。俺にやらせれば良かったんだ。
「それで……だいごさん、なんで死んだんです?」
「…………は?」
そうだ、俺は金をキャリーバックにつめて、帰ったんだ。……どこに?
「ご実家からは出られてたんじゃないんですか?」
そうだ!ボロアパートを出て、家に帰ったんだ……。なぜ?
「お母さんは、先ほど彼岸に渡られましたよ」
「――!!」
そうだ。
大人しい母親は我慢強い人だった。病気が見つかったのに、心配かけたくなくて隠してた。倒れた頃には、病気はずいぶん進んでた。
母親が危篤だって連絡がきたから……。
俺は帰ったんだ、金を持って、家に――。
「オヤジに、この金で母さんを病院に入れろって……」
「お父さんは、そんなお金受け取らないでしょうねぇ」
威勢のいい父親は、気風のいい男だった。曲がった事は嫌いで、間違えればゲンコツ。でも、褒める時は首がもげるかと思うほど頭をなぜてくれた。
こんな金受け取るはずもねぇ。
そんな男の息子だから、馬鹿正直に、盗んだ金だと俺も話してた。
「金……突っぱねられて、飲んだくれて……俺死んだんだな」
初めて浴びるほど酒を飲んだ。飲まねぇとやってられなかったから。フラフラになるまで酔っちまって……駅のホームで、階段を踏み外した。一緒に落ちたキャリーバックが開いて、札束が舞ってたな……。
めちゃくちゃバカじゃねぇか。俺。
「ご両親のこと、嫌いだったんですか?」
「……嫌いにきまってんだろ。あいつらのせいで俺は!」
「そうは見えませんけどね」
ほら、と、女がキャリーバックから飛び散った紙屑を俺に見せた。
おとうさん。
やたらでかいおにぎりみたいな顔にごま塩みたいな髭がかいてあった。
おかあさん。
丸い顔に、三日月みたいな笑い顔がおたふくみたいだ。
他にも兄妹たちの下手くそな似顔絵。
紙の隅に読めるかどうかも怪しい字で書かれた『だいご』の文字。
俺が書いた。ずっとガキの頃に。
震える手で、紙屑を受け取ればポロポロと色紙が溢れた。
下手くそに折られた折り紙だった。
『だいごにいちゃんへ』
兄妹たちが俺にくれた、誕生日プレゼントだ。貧乏な俺たちが、贈りあったプレゼント。
みんな揃って不器用で、何を折ったかもわからねぇ……でも、誰が折ったかは見ればわかる。
俺は親を憎んでる。
俺の人生はあいつらのせいで曲がったから。
でも、そんな難しい事考えなくていいガキの頃は……俺は両親が好きだった。
両親が俺を好きだと疑わなかったから。だから、兄妹たちの事も安心して好きでいられた。
思い出してもまだ、腹の奥をすりつぶすような憎しみは消えない。
「渡賃は、どうなさいます?」
「……払わなかったらどうなる?」
「その辺の石になりますね」
周りを見渡せば、そこらじゅう石だらけだ。
俺に払えるものなんてねぇ。
あー…………クソッ。
似顔絵をぐしゃりと握りつぶした。
「何するんです!?」
女が声を上げるが気にしねぇ。
握り込んでもまだ紙屑は大きくて、開いて分けて、小さな塊にした。
「なにを…………!!」
女の声が引き攣ったように止まった。
俺は塊を一つ一つ飲み下していった。
似顔絵が終われば、折り紙を……。
地面に落ちたそれを這いつくばって拾っては体に入れていく。
「……っぐぅぅ」
紙の乾いたささくれが喉を掻いて吐き気が込み上がるけれど、両手で口元を力任せに抑えた。
飲み切った頃にはえづくのを堪えた涙とヨダレが顎から糸を引いた。
「気でもふれたんですか?大切な物じゃないんですか?」
「だからに決まってんだろ」
知らないから無邪気に好きだった。
知る事が増えて家族を憎んだ。
「俺は渡らねぇよ」
「へぇ」
間違ってたのは、親だったのか、俺だったのか…………わからねぇ。
「考え事する時間が欲しいからよ。石の上にも三年っていうだろ?」
「まぁ、三年どころじゃありませんがね」
上等じゃねぇか。
この座りの悪い腹がすっきりするには、ちょうどいいだろうよ。
だいごさんは、今にも割れてしまいそうなひび割れた石になった。
触れたら割れてしまいそうなほど繊細で、汚れたように色の黒い石。隣に座り、釣り糸を垂れた。
「……あなたに次の生があることを、祈っていますよ」
撫でるように石に触れれば、ほのかに暖かかった……。自分の体温がうつっただけかもしれないけど。
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