第2話
わたしが水鳥さんを呼び出すのは、もう三回目のことだった。水鳥さんは毎回気のない返事をするくせに、声をかけるとおおよそ来てくれた。暇だからというのが彼女の言だが、暇にしても嫌いな相手と会うわけがなかろう。水鳥さんは多かれ少なかれ、わたしに好感をもっているといえるのではないか。そう言ってみると、水鳥さんは露骨に顔をしかめてみせて、眉間に愛らしく皺が寄った。
「何にします?」
「カルボナーラに、食後にコーヒー、ブラック。」
「そういえば、ピンクお好きなんですか。」
「は? べつに。」
「水鳥さんは選ばなさそうな色だと思ってました。ああ昔塗ってた、爪の色。」
わたしは店員を呼び止めて二人分を注文した。新人なのだろう店員は、たどたどしくメニューを復唱する。
「いや、あれは……昔のが出てきたから、塗ってみただけです。サンダルの時期だから。もう。」
水鳥さんは誤魔化すようにグラスの水を飲んだ。水鳥さんの手のうちで、角張った氷がぶつかり合って、涼しげな音を立てる。結露の浮いたグラスを握るものだから、水鳥さんの手のひらはずいぶん汗ばんでいるようにみえた。
「ああそう。いまは?」
「落としちゃった。」
今日は水鳥さんはスニーカーを履いていた。白地のそれは嵩の低いつくりをしていて、水鳥さんによく似あうと思う。
「それは残念。わたしこんど、塗ってさしあげてもいいですよ。」
「不器用なのに?」
「なのにね。」
水鳥さんは頬杖をついた。貧弱な睫毛がそろって窓の外を向いている。薄い唇がもの言いたげにひらかれると、その上下が離れがたげに吸いついた。そうしてやわらかく、何の音も立てずにピッタリと閉じ合わされるのだった。そうしてゆっくりと躊躇ってから、水鳥さんは、
「すずさんは、なんでわたしを誘うんですか。我ながら、楽しい人間じゃないでしょう。」
と問うた。水鳥さんはこちらを見なかった。水鳥さんはきっと孤独な人なのだと思う。
「ええ? 考えたこともなかった。気があるのかな。」
「ふざけてます?」
「いや……思いついたことを言っただけで、そんなに深く考えてもないのですが。なんなんでしょうね?」
水鳥さんはきっと癖なのだろう、ため息と相槌のないまぜのような息を漏らした。
「まあ、うーん……好意をもって誘ってくれてるのだと、思っておきますよ。」
「はい。そうしてください。」
店員が料理を持ってきて、水鳥さんは軽く会釈した。皿を差し出す指先は淡いピンクベージュに塗られており、この店は爪を塗っても良いのだと思った。水鳥さんは嬉しそうに小さく息を吐いた。
「水鳥さんって、パスタ好きですよね。」
「いや……そうかな? そうかもしれませんね。……いただきます。」
水鳥さんは愛らしく手を合わせて、フォークを手に取った。麺を巻き取る手つきは器用である。爪もていねいに指のラインに沿って切り揃えられている。指は華奢だが長くなく、少女みたいだと改めて思う。そうすると、こうして何度も連れ出すのはよくないことのような気もしてくる。
「そんなに見ないでくださいよ。食べにくい。」
「あら。気づいてましたか。」
そりゃあ。そう言って、水鳥さんは俯いてパスタを口に運ぶ。目を伏せると、瞼のなだらかな曲線があらわになる。水鳥さんは起伏の少ない顔立ちをしている。小さなパーツがめいめいにあるべきところに嵌め込まれているようだ。象嵌細工だと思う。
わたしもいただきますと呟いて、ナポリタンの山にフォークを突き立てる。いただきますだなんて、水鳥さんと会うときくらいしか言わない。ぎこちなく響いている気がして、いつも恥ずかしい気持がする。
「あれ……水鳥?」
よく通る声が降ってきた。金管楽器だと思った。よく日焼けしたショートカットの女が立っていた。だいぶ上背があって、首も長い。姿勢が良いのだろう。
「……サワイ?」
水鳥さんは訝しげに眉根を寄せたのち、目を大きくひらいた。無防備にひらかれたその目は常よりもさらに幼なげに見える。やはりやわらかい茶色をしているとわたしは思う。
「ああ、いまはタワラ。久しぶり。……ごめん、友達?」
「いや、友達ってわけじゃ。」
「じゃあ勧誘かなにか? 気をつけなよ。」
タワラと名乗った女は、いかにも朗らかにそう笑った。やや犬歯が鋭すぎるような気もするけれど、整った歯並びをしている。笑うことに慣れているようで、自然な表情だった。
「いや、すみません。そんなんじゃないですよね。あたしタワラっていいます。水鳥とはなんで?」
タワラさんは人懐っこくわたしのほうに向いた。前傾してたわんだ服の裾が料理につきそうだった。オリーブ色に脂がしみたら目立つろうと眺めていると、タワラさんは俯いて裾を直した。
「ええと……ナンパ? かも。」
「それこそそんなんじゃないでしょう。」
水鳥さんはすぐさま否定した。ゆるやかに閉ざされた唇は三角形をして、いかにも不満げである。水鳥さんは静かだけれど、思いのほかわかりやすい人だということを、わたしは知っている。
「あは、ナンパあ。」
「だから今、デートかもしれません。」
「だから、そんなんじゃないですって。タワラも、信じないでね。」
水鳥さんが生真面目な顔つきでそう言うので、わたしは
「わたしがそのつもりだったら、どうするの。」
と問うた。
「それならば、そう言ってください。」
水鳥さんは表情をいっさい変えずに言った。切り結ばれた唇は、表面が引き延ばされて突っ張って見える。瞳が大きくわたしを映して、この人が何を考えているのかわからない。
「…………水鳥、またこんど、お茶でも行こうよ。連絡先交換しとこ。あたし、まえのアカウント消しちゃってさ。」
「ううん。大丈夫。」
取りなすように声をかけるタワラさんを水鳥さんはにべもなく断った。タワラさんは困り笑いした。
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