第3話

夜の9時。締め切りまであと3時間。

~♪

あぁ、中里さんだ……。

「進捗どうなってる?締め切りまで残り3時間だよ?」

「はぁ……。あと3割くらいまでは来てますが」

「読み返ししとかしないでいいから、出来たら送ってな?」

「はい」

「もし間に合わなくても、明日の朝までに届けばこっちでなんとかするから」

「はい、わかりました」

「じゃあ頼んだ。待ってるよ」

「はい」

ピッ


……あと3割って、5時間コースじゃねぇか。

間に合うかどうかのレベルじゃない。

普通にやってたら完全に落とす。

ああ、やっちまうのか……。


ちゃぶ台の上の資料集を見てた彩花が気づいたらしい。

「先生、どしたの?」

「ああ、今度という今度はやばいかもなぁ」

「やばいって?」

「締め切りに間に合う気がしねえんだよ」

「ふーん」

……なんだその無関心な返事は。

また資料見始めたし。


僕より不安そうなのが、横に座ってるかえでだ。

見るからにオロオロして、かえって不安になるくらい。

仕方ない。僕のせいだもんな。

「……先生、大丈夫ですか?いざとなったら中里様におすがりしても」

「……かえで」

「はい?」

「中里さんに被ってもらうわけにはいかないんだ」

「ですが……」

「出来る自信はまるでないが、俺がやらなきゃならんのよ」

「そう……ですか……」


「先生?」

「彩花どうした?」

「ホントにやばいの?」

「ああ、ホントにやばい」

「大丈夫」


……は?

「先生、もっときつい時何度もあったじゃん」

「あの時とは状況が……」

ん?こいつ笑ってないな。

「あたしの彼氏はこんなことで折れるような人じゃないでしょ?」

う……。

「先生なら出来る。あたし信じてる。ね?」

こいつめ、最後に笑って逃げ道塞いだな?

……ため息ひとつ。出かかった愚痴と一緒に飲み込んで。

仕方ない、あれを使うしかないか。


「なぁ、かえで」

「いかがしました?」

「……後、頼む」

「頼むって……もしや!?」


「彩花ー」

「なに?」

「しっかり見ててくれよ」

「……うん。わかった」


締め切りまで残り2時間56分。

両手で頬をバンバンと張って。

それから、自分の口の中だけで小さくつぶやく。

「……よし、やれ」

その瞬間、頭から血が下るように感情が落ちていくのがわかる。

視界もモニターだけが見えるくらいに狭くなる。

そのうちキーボードを叩く音も聞こえなくなる。

そうして、物語を書き進めていく。


「……ちょっと彩花さん!先生から色んなものがこぼれて来ます!」

「かえでちゃん、それ拾うのが役目でしょ?」

「……これが?」

「それ、先生が捨てていった感情。全部拾って返してあげなきゃ」

「……先生……うぅ……」

「かえでちゃん泣いてる場合じゃないよ!」

「……ええ。そんな場合じゃありませんよね」

「うん。先生が託したんだから」

「先生、全部拾って差し上げますね……」


「“不安”とか“恐怖”って、こんなに大きかったのですね……」

「先生、それだけのもの抱えてあたしたちを送り出してくれてるの」

「彩花さんは知ってて……?」

「うん。あんまり大きいんで放ったらかしにしてたら先生に怒られたけどね」

「そんなものまで拾わなきゃいけないんですか……」

「それも先生だからさ。拾ってあげて」

「はい……」


締め切りまで残り1時間23分。

ようやく終わり見えたか?

いや、まだだな。

このまま走れ。

まだ行けるんだから。


「彩花さんはどうして拾ってくれないの?」

「あたしも託されてるから。先生に」

「先生に?何を?」

「最後どうなるか自分でもわからんから、最後まで見ててくれって」

「そう……ですか……」

「あんまりあたしがあれこれ残すから信頼されないのかもね。あはは」

「笑うところではございません!」

「ごめーん。でも、これがあたしの役目だからさ」

「彩花さん……」

「普段明るくバカみたいにしてるのも、不安や恐怖から先生を守りたくてさ」

「……」

「それでもこんなこと先生にさせちゃうんだもん。あたしもダメだよね」

「そんなことありません!それを言えばわたしだって」

「かえでちゃん……」

「あたしだって、先生をお支えすると言っておきながらこうですよ。一緒です」

「そっかぁ……。そうだね」

「はい。……ああまた何かこぼれて……」


……締め切りまで残り48分。

あと何行?

構造は見えてる?

一段とばしはしてない?

……よし。まだ走れる。

まだまだ。もっと行かなきゃ。


「……今度は先生から細かいものがいくつも!」

「かえでちゃん、それ大事なものだよ」

「はい。……“喜び”とか“幸せ”って書いてありますね」

「それ戻せなかったら、先生もとに戻らないからさ」

「わかってます。先生、全部拾いますからね。安心してくださいね……」


……締め切りまで残り12分。

読み返し……OK。

誤字脱字……見える範囲にはなし。

一段とばし……見える範囲にはなし。

よし。“送信”ボタンをクリック。

作業終了。

そう思った瞬間、僕のすべての意識が飛んだ。


「……ああ、またなにかこぼれ……え?」

「どしたの?かえでちゃん」

「これ……。これだけは彩花さんが先生にお返ししないと」

「あたしが?役目じゃないよ?」

「いいえ。これを返すことが彩花さんのお役目ですよ」

「えー?そんなの先生持ってるはずないじゃん」

「……よく見てください。これは彩花さんじゃないといけませんよ?」

「どれ?」


「……よく見て?“彩花への信頼”ってあるでしょう?」

「先生……」

「ちゃんと持って。あなたが先生に返さなきゃいけませんからね」

「うん……先生……うぅ……」

「彩花さん……」

「うわあああん……先生……先生……」


「……落ち着きました?」

「うん……かえでちゃんごめんね」

「いいんですよ。あ、先生気を失ってらっしゃる」

「あー。いつもなんだよね。これ」

「ふたりでベッドへお運びしましょう」

「うん。先生、ちょっとごめんね……」


「……ふぅ。さすが男の人は重たいよね」

「そうでしょうか。あれだけの物をこぼして……」

「あたしたちにしか見えないものだからね」

「そう……ですね。さ、彩花さん」

「うん」

「お預けしたもの、先生に返してあげてくださいな」

「うん……」


「先生の気持ち、一度あたしの身体にいれるからね」

「彩花さん……」

「あったかいなぁ……あたし、こんなに先生に信頼されてたんだ……」

「感心してる場合ではありませんよ?」

「わかってるよ。あたしの気持ちと合わせて先生に返すの」

「……?」

「先生。出来たら先生の意識がちゃんとしてるときにしたいけど」

「……」


「先生……んっ……」

「!!……彩花さんそれって……」

「……一番大事な気持ちはこうしなきゃ返せないの。かえでちゃんごめんね」

「いえ、彩花さんは先生の彼女ですから。そうする権利があります」

「そんなことないよ。かえでちゃんだって先生好きじゃん」

「いいんですよ。きっと先生の一番深いところに届いたでしょうね」

「だといいなぁ。かえでちゃん。小さいのから先生の周りに置いていこう」

「はい。先生、残りは全部揃ってますからね」

「あたしも手伝うよ。結構あるね……」

「全部置いたら朝になるかもしれませんね」

「そしたら先生と徹夜したってことで」

「ふふっ。それもいいかも知れませんね」

「あはは、じゃあそうしよっか!」


……次の朝。

「……生、先生!先生ってば!」

「……なんだよ彩花。ん?あれ?俺寝てた?」

「おはよ。そりゃもう、あたしがくすぐってもイタズラしても起きないくらい」

「……何をした」

「内緒!さあ起きて!ご飯作ったから食べよ?」

「ああ、そうするか……あっ痛っ」

「どしたの?腰?肩?」

「どこもかしこもよ……。ああそうだ。締め切り!!」

「先生おはようございます。コーヒーでもいかが?」

「そこ置いておい……そうだ、彩花スマホ取ってくれ」

「はいこれ」

「……中里さん、LINEに「おつかれさん。よく間に合わせたな」ってだけ」

「言ったでしょ?あたし大丈夫だって」

「はぁ~……今回も落とさずに済んだかぁ……」

「あたしの言った通り。だから今日はご飯食べたらあたしを甘やかす!いい?」

「えー」

「えーじゃないの。拒否権なし!」

そう言ってケラケラと笑う。

「たまには恋人同士でゆっくりなさっても」

「かえでまでそんな事言うなよぉ……」

「……わたしを甘やかしてもよろしいのですよ?」

「かえでまで!」

「ふふ、冗談です」

「さー先生!ゆっくりしてるヒマないよ?目一杯甘やかしてもらうんだから!」


……なんなんだよ、もう……。


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