第35話 不器用な告白と、選んだ人

 翌朝、庭に出ると、アルクさんがもういた。

 早起きなのか、それとも眠れなかったのか。石造りのベンチに腰かけて、朝露に濡れた草を眺めている。俺が近づくと気づいて、少し目を丸くした。


「早いな」


「アルクさんの方が早いです」


「……眠れなかった」


 正直に言った。珍しかった。


「昨夜の「話がある」って、やっぱり今日ですか」


「今日だ」


 アルクさんが立ち上がった。俺と向き合って、少しの間黙った。

 朝の空気が、冷えていた。遠くで鳥が鳴いている。


「ミリアン、俺は」


 そこで、庭の塀をゼノンが乗り越えてきた。


◇


「……またか」


 アルクさんが、低い声で言った。


「朝から来るな」


「朝の庭は気持ちがいい」


「関係ない」


「まあ落ち着け、勇者殿」


 ゼノンが、俺を見た。黄金の瞳が、まっすぐに俺を捉える。


「ミリアン、少し話せるか」


「アルクさんと話していたところですよ」


「知っている。でも、私も話がある」


「両方、後にしてくれませんか」


「後にできない」


 二人が、ほぼ同時に言った。

 またか、と思った。また声が重なった。


◇


 三人で、庭のベンチに向き合う形になった。

 俺が真ん中で、アルクさんとゼノンが両側に立っている。


「順番に話してもらえますか」


「俺が先だ」


「私も先だ」


「アルクさんが先です」


 ゼノンが「なぜ」と言った。


「先に来ていたので」


 ゼノンが少しの間黙った。


「……それは道理だ」


 珍しく引いた。アルクさんが少し驚いた顔をして、それから前を向いた。

 深く息を吸う。


「ミリアン、俺は……お前と一緒にいたい」


◇


 朝の空気の中に、その言葉が落ちた。

 俺は、アルクさんの顔を見た。いつも真剣な顔をしている人が、今はその真剣さの中に、何か別のものを抱えている顔をしていた。

 不安、だと思う。こんなにも誠実な人が、不安そうな顔をしている。


「旅が終わったら、離れ離れになって、でもそれが嫌だった。王都から会いに来るのは、義務じゃない。来たいから来ていた。お前のそばにいたいから来ていた」


 一言ずつ、確かめるように言った。


「俺の気持ちは、そういうことだ」


 それだけ言って、黙った。頬が、少し赤い。耳も赤い。それでも、目を逸らさなかった。

 俺は、胸の中に何かが広がるのを感じた。温かくて、でも少しだけ苦しい。

 アルクさんのことが大切だと思う。一緒にいると安心する。旅の中でたくさん助けてもらった。この人がいなければ、俺は何度か折れていたと思う。


◇


「ミリアン」


 ゼノンが、静かに言った。


「私の番か」


「……はい」


「アルク殿の言ったことは、私も同じだ」


 アルクさんが「同じとはどういうことだ」と低い声で言った。


「同じという意味だ」


「言葉を尽くせ」


「……」


 ゼノンが、少しの間黙った。これだけ饒舌な人が、珍しく言葉を探している。


「私は最初、お前を利用しようとして近づいた。それは本当だ。でも、気づいたときには、そういう話じゃなくなっていた」


 ゼノンが、俺を見た。


「お前が転んで、それでも立ち上がるたびに、目が離せなくなっていった。お前が誰かのために一生懸命になるたびに、胸の中で何かが動いた。私は、お前を守りたかった。利用価値があるからじゃなく、お前が傷つくのが嫌だったから」


 声が、静かだった。でも、揺れていた。

 ゼノンが揺れた声で話しているのを、初めて聞いた。


「お前の隣にいたい。それが、今の私の本音だ」


◇


 俺は、二人を交互に見た。

 アルクさんが、まっすぐこちらを見ていた。ゼノンも、まっすぐこちらを見ていた。

 どちらも、大切だと思う。どちらも、失いたくない。

 でも、答えを出さなきゃいけないことは分かっていた。


 俺は少しの間、俯いた。

 胸の中を確かめるように。旅の間のことを、思い返すように。


 夜の焚き火のそばで初めて会ったとき。広場で結界を解いてくれたとき。砂漠の夕暮れを一緒に眺めたとき。仮面が落ちて、黄金の瞳が現れたとき。「君を失うわけにはいかない」という言葉が、利用価値があるから、という続きなしで終わったとき。


 そして、「立てるか」と手を差し伸べられたとき。


 その手を取ったとき、俺の中で何かが決まっていた気がする。気づいていなかっただけで。


◇


 俺は顔を上げた。

 アルクさんを見た。


「アルクさん」


「……ああ」


「俺は、アルクさんのことが大切です。旅の間、ずっと助けてもらった。一緒にいると安心できて、前に進める気がした。それは本当のことです」


「……うん」


「でも」


 アルクさんが、少し目を細めた。


「俺が、最初に怖いのに怖くないと思った人は、アルクさんじゃなかった」


 静かに言った。

 アルクさんが、少しの間黙った。それから、大きく息を吐いた。


「……そうか」


 声が、穏やかだった。傷ついているのに、穏やかな声だった。


「分かった」


 アルクさんが、ゼノンを見た。


「……大事にしろ」


 短く、でもはっきりと言った。

 ゼノンが、少しだけ目を見開いた。それから、小さく頷いた。


「ああ」


◇


 アルクさんが、俺に向き直った。


「俺はこれからも、友人として会いに来る。それは変わらない」


「……はい」


「お前が転んだとき、支えるのは今後も俺の役目だ」


「ゼノンが支えます」


「転ぶのはお前なんだから、多い方がいい」


 ゼノンが「同意する」と言った。アルクさんが「お前に同意されると複雑だ」と言った。

 俺は少しだけ、笑った。泣きそうでもあったけど、笑えた。


「アルクさん、ありがとうございました」


「礼を言うな。友人に言うことじゃない」


 アルクさんが、少し笑った。目の端が、赤かった。

 それを見て、俺の胸がきゅっとなった。この人は、本当に誠実だ。傷ついているのに、笑える。

 ずっと、友人でいたいと思った。これからもずっと。


◇


 アルクさんが屋敷の中へ戻っていった後、俺とゼノンが庭に残った。

 朝の光が強くなってきて、草の露が光っている。


「良かったのか」


 ゼノンが言った。


「良かったかどうかは、まだ分からないです」


「正直だな」


「でも、これが俺の気持ちなので」


 ゼノンが、少しの間俺を見た。


「ミリアン」


「はい」


「お前は、私のことをまだ怖いと思っているか」


「思っていないです」


「なぜ」


 俺は少し考えた。


「最初に会ったとき、怖いとは少し違う、って思ったんです。それから、ずっとそうです」


 ゼノンが、俺から少し目を逸らした。

 耳の端が、また赤かった。今日は気のせいじゃないと思う。


「……勘違いするな」


「何をですか」


「私が、その……お前を、だからといって、べ、別に」


「ゼノン」


「なんだ」


「素直になってください」


 ゼノンが固まった。

 俺は少し笑った。


「俺、ゼノンのそばにいたいです。それだけ言えば十分じゃないですか」


 ゼノンが、ゆっくりと俺を向いた。黄金の瞳が、珍しく揺れていた。


「……お前は、本当に」


「何ですか」


「規格外だ」


「褒めてますか」


「褒めている」


 今度は、間を置かずに言った。

 朝の光の中で、ゼノンが俺を見ていた。

 仮面がない顔で。黄金の瞳で。少しだけ耳を赤くしながら。


 それが、なんだかとても、大切な景色に見えた。

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