第6話 婚約指輪
リオネとルーカスの婚約が決まって、一週間ほどが過ぎた。
今日も二人はいつもの部屋で、いつものソファに座って向かい合い、いつものようにチェスをした。ルーカスが勝って、リオネが不機嫌そうに解説を聞いた。それだけを見れば、婚約も告白もなかったかのようだった。
勝負を一つ終えて紅茶を飲んでいると、ふいにルーカスが切り出した。
「今日はリオネに、渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの?」
リオネはカップを置いた。
ルーカスが取り出したのは、手の中に納まるほどの小さな箱だった。……虹色の。
見る角度によってギラギラと色を変えるそれを見て、リオネは顔を引き攣らせた。
七歳の夏の記憶が、一瞬にして蘇ってくる。
「……ルーカス、それは何?」
いや、予想はつく。
大きさと形状からして、それは指輪の箱だ。状況から考えるならば、おそらく婚約指輪。
「婚約指輪だ」
ほら、やっぱり。
リオネはなんと言葉を返すべきか悩んだ。
嫌な予感しかしない。正直、中身を見たくない。
「婚約指輪って、必要かしら」
リオネの悪あがきに、ルーカスは不可解そうな顔をした。
「当然、必要だ」
「……そう。そうよね……」
ルーカスなんかに当然を説かれたリオネは、力無く答えた。
ルーカスの指が箱の蓋にかかる。
リオネはどんなゲテモノが出てくるのだろうと身構えた。
バネの勢いで、箱がぱかりと開く。
リオネはおそるおそる箱の中を覗いた。そして。
「……あら? 綺麗」
外側とは違い、箱の内側には黒いベロアが張られている。
その中に、透き通った宝石をそのまま指輪の形に削り出した、細い指輪が鎮座していた。
多面カットされた表面が、日の光を受けてきらきらと輝く。見ようによっては虹色とも呼べるが、ずいぶんと品の良い虹色だった。もし妖精が実在しているなら、きっとこんな羽の色だろう。
「これ、なんの石?」
ダイヤモンドとも違う、少し不思議な輝きだ。
「竜晶石だ」
「竜晶石!?」
竜晶石とは、古代に生きていたドラゴンの心臓が、化石になる過程で鉱物化したものだ。非常に美しく、魔力格納容量も高いが、ダイヤモンドの何十倍も硬く、普通の宝飾職人には扱えない。
そもそもその希少性から一般の市場に出回ることは皆無で、その多くは国や王家によって管理されている。
リオネも、実物を見るのは初めてだった。
「竜晶石なんてどこで手に入れたのよ」
「うちの領地の山だが」
「領地の山!?」
「探索魔法をかけたらあると分かったから、採りにいった」
「採りに!? 加工はどうやって!?」
「私が削った」
「…………」
リオネはもう、絶句するしかなかった。
「リオネ、手を」
「…………」
リオネは少しためらってから、ゆっくりと左手を差し出した。
ルーカスがその手を取り、そっと薬指に指輪をはめる。
指輪は、すっとリオネの指に馴染んだ。
「ぴったりだわ」
「リオネに合わせて、自動でサイズが調整されるようになっている」
「そう」
もう何にも驚くまい。そう思った。
リオネはしげしげと指輪を眺める。
虹色ルーカスの手から削り出されたとは思えないほど、指輪は美しかった。
「失くしたりしたら、怖いわね……」
なにせ、国宝級の価値の石だ。
「大丈夫だ。私以外、外せない」
「はい?」
「手を洗うときは実体が消えるようになっている」
「そこじゃないわ」
リオネはため息を吐いた。
ルーカスは首を傾げている。
「何か問題か?」
「……いいえ。なんでもないの」
気にしたら負けな気がしてきた。きちんと手が洗えるならば、外す理由もない。
リオネはもう一度指輪を見た。
「本当に、綺麗ね……。あなたにこんな美しいものを作る才能があるなんて知らなかったわ」
「リオネに似合うと思ったんだ」
「私に?」
「リオネを思い浮かべながら、どんなものが一番似合うだろうかと考えて作った」
「……そうなの」
ルーカスがじっと自分を見つめていることに気付いて、リオネは思わず目を伏せた。
「……ありがとう。とても気に入ったわ」
「うん」
ルーカスの笑顔に、少し胸が跳ねた気がした。
***
それから数日後のこと。神殿と王宮の連名で、大きな発表があった。
ここ十年空位であった聖女の座に、一人の少女が就くというのだ。
──少女の名は、アリア・エンダール。先代聖女、エウレアの娘。
古くから神殿に寄付を続けてきたベルナット家にも、聖女就任式の招待状が届いた。
「お姉様……」
シワが寄るほど強く招待状を持ちながら、リオネは沈んだ顔をした。
アリアは、リオネの双子の姉だ。リオネが六歳でベルナット公爵家に引き取られて以来、二人は一度も会っていなかった。
大好きだった、お姉様。
でも、今さら、どんな顔で会えばいいのだろう。
招待状の短い文章を視線で何度も何度もなぞってから、リオネはそれを白い封筒にしまい直した。
***
招待状は、ルーガス家にも届いていた。
聖女就任式は、リオネとルーカスが婚約者として初めて並んで参加する公の場となった。
式の参加者は白か銀、それか薄い青の服を着るのが慣わしで、リオネはシンプルな白のドレス、ルーカスは銀のコートを纏っていた。
いつも奇抜な格好をしているルーカスがまともな服を着ているせいか、今日はやたらと女性の視線が集まる。
リオネはルーカスの腕を掴む手にぎゅむっと力を入れた。
「リオネ?」
「なんでもないわ。ちょっと、緊張しているだけ」
「ようやく、姉君に会えるものな」
「……そうね」
神殿での、聖女就任の儀は無事終わった。
今は王宮で、立食パーティーの開始を待っているところだ。
アリアにどんな風に話しかけたらいいのか、リオネには未だにいい案が浮かんでいなかった。そもそも、聖女に気軽に声を掛けられるような雰囲気なのかも分からない。
そうしているうちに、聖女入場宣言が高らかに告げられた。
「第七十六代聖女、アリア・エンダール様ご入場です!」
会場がしんと静まりかえる。
参加者の出入り口とは反対側にある広い螺旋階段から、白いドレスを着た少女がゆっくりと降りてきた。
胸元から首と手首までは美しいレースに覆われており、エンパイアラインのスカートは後ろが少し長く、彼女の後を追うように階段を流れ落ちていく。
その後ろには、二人の聖騎士が静かに付き従っていた。
聖女は一番下の踊り場まで立ち止まると、伏せていた視線を上げてまっすぐ前を向いた。
優しい、こげ茶色の瞳。
きっちり編み上げられた、栗色の髪。
リオネの知っている、お姉様だった。
二卵性の双子のため、リオネと外見は似ていない。リオネは母親似、アリアは父親似だ。
聖女はその場で一礼すると、残りの数段を降りた。
聖女に乾杯用のグラスが渡される。
聖女が一歩脇へ寄ると、続いて国王が階段を降りてきて彼女の横に並んだ。そして同じようにグラスを受け取る。
王は祝辞を述べると、乾杯を宣言した。
それから聖女に二言三言声を掛け、階段を引き返していく。
王の姿が見えなくなると空気が緩み、聖女の周りにわっと人集りができた。
「行かなくていいのか?」
「だって、すごく囲まれているわ」
「皆、君になら道を空けてくれるだろう」
「みんな聖女様とお話ししたがってるのに、悪いわよ……」
リオネは、アリアに話し掛けることに対し、まだ少しためらいを感じていた。
「では、このまま人が捌けるのを待つのか?」
「…………」
聖女を囲む輪は大きくなるばかりで、人が減る気配はない。
しばらくすると、聖女のそばに控える複数の護衛が輪をまばらに散らした。そのおかげで、聖女の姿がわずかに見えるようになったが、距離はあまり変わらなかった。
この中を押し入っていってお姉様に話し掛けるなんて無理よ。
リオネがうつむきかけたとき、輪の中から数人の令嬢の話し声が聞こえてきた。
「──エウレア様のご息女というから、どんな華やかな方かと思えば……まあ、素朴な方ですこと」
「所作もなんというか………いえ、きっと、市井の方でしたら親しみを覚えるのでしょうけど」
「エンダール伯爵領はここ数年、何かとご苦労が多いと噂ですもの。慎ましくお育ちになるのも無理はありませんわ」
決して小さくはない声だった。
リオネは声のした方を見た。普段あまり交流のない令嬢たちだ。
──わたしのお姉様に、なんてこと言うのよ。
リオネは掴んでいたルーカスの腕を離し、背筋を伸ばした。
ルーカスは何も言わなかった。
リオネは輪の方へ近づく。
「まあ。聖女様の温かいお人柄に、みなさんもうお気付きになりましたのね」
リオネが口を開くと、喧騒がぴたりと止んだ。
自然と道が空いて、リオネは進み出る。
こういうとき、リオネの美しい外見や、公爵家の娘という立場は役に立った。
「リオネ様……」
令嬢の一人が、さっと顔色を変えた。
リオネはにっこりと微笑む。
「アリア様は、どなたにも分け隔てなく手を差し伸べられる思いやり深いお方。まさに聖女にふさわしいわ。みなさんも、そうお思いになるでしょう?」
「も、もちろんですわ」
令嬢は即答した。
「意見が一致して嬉しいわ」
リオネは頷いて、集まっている貴族たちの顔をゆっくり見渡した。
「聖女様にかかる重圧は、並ではありません。わたしたちで、聖女様をお支えしていきましょうね」
言ってから、ちらりとアリアを見る。アリアは、驚いたような顔でリオネを見ていた。
リオネははっとした。
やってしまった。
途端に、浮かんでいた言葉が全部喉の奥に引っ込んでいく。頭が真っ白になった。
「それでは、ごきげんよう」
表面上は穏やかな笑みを崩さぬまま、リオネは半ば逃げるようにその場を後にした。
***
ルーカスはリオネのすぐ後ろを追いかけてきていた。会場の隅っこの方で立ち止まったリオネに、ルーカスが声を掛ける。
「リオネ」
「ルーカス……」
リオネは暗い表情で振り返った。
「リオネ、なぜ姉君に話し掛けなかった? チャンスだっただろう」
リオネは眉の端を下げた。一度唇を引き結んで、それから口を開く。
「だって、さっきのわたし、すごく感じ悪かったわ。お姉様も驚いていたもの。どうしよう、わたし、きっとお姉様に嫌われてしまったわ……」
リオネは後悔していた。
清らかで心優しいお姉様の前で、あんな立ち回りをしてしまうなんて……。
落ち込むリオネに、ルーカスは首を傾げる。
「私はそうは思わないが」
「あなたは、でしょ」
リオネのことになると、ルーカスの判定は大概甘い。
納得していないリオネに、ルーカスはふむと頷く。
「……分かった。では姉君に聞いてくる」
ルーカスは踵を返した。
「えっ!?」
「リオネはここで待っててくれ。すぐ戻る」
リオネが手を伸ばすよりも前に、ルーカスはもう歩きだしていた。
「え、ちょ、待っ……ルーカス? ルーカス!」
その背中は、あっという間に小さくなっていった。
***
「行ってしまったわ……」
その場に一人ぽつんと残されたリオネは、周囲を見渡した。
普段であれば誰かしら話し相手がいるものの、さすがに今日はみな聖女へ挨拶をしに行ったようで、会場の隅近くになると人影はない。
こういう場で手元無沙汰になった経験のないリオネは、少しそわそわした。
「何か軽いものでもお腹に入れておこうかしら」
料理のスペースには誰もいないが、逆にいえば、誰もリオネが食事をしていても気にしないということだ。
そちらへ向かって数歩歩きだしたところで、柱の影からぬっと背の高い男が現れた。
何気なく視線を上げたリオネは、その人物の顔を見て思わず立ち止まった。
栗色の髪。こげ茶色の瞳。
記憶よりだいぶ草臥れてはいるが、間違えようもない。
男もリオネに気付いたようで、唖然とした表情でリオネを見る。
「お父……様……?」
「エウレア……」
その声を聞いた瞬間、リオネは凍りついた。
どうしてお父様がその名前でわたしを呼ぶの。わたしが一番、比べられたくない名前で。
ふいに、六歳の頃の記憶が蘇ってきた。
大好きなお母様が亡くなってしまって悲しかったこと。けれど、それからお父様がリオネをよくそばに置いてくれるようになったこと。
──今日はお母様の髪型にしようか。
──このお菓子はお母様が好きだったんだ。
……ああ、そうか。あのときも、お父様はわたしを見ていたわけじゃなかったんだわ。
唐突に気付いてしまって、心が冷えていく。嬉しかったはずの記憶が、絶望に塗り変わるのが分かった。
呼吸が浅くなる。息が苦しい。
立ち尽くすリオネに、父親ははっとしたようだった。
「あ、いや……リオネ、久しぶり。美しくなったな……」
「…………」
リオネは、腹の前で重ねていた手をぎゅっと握る。
そのとき、ふいに右手の人差し指の先に、硬いものが触れた。
左手の薬指にはめられた、婚約指輪だった。
──リオネに似合うと思ったんだ。
──リオネを思い浮かべながら、どんなものが一番似合うだろうかと考えて作った。
「……あ」
思い出したのは、ルーカスの顔。
冷え切った心に、じんわりと温かい感覚が戻ってくる。
……大丈夫。わたしはリオネ・ベルナットだ。
リオネは深呼吸を一つして顔を上げると、にこりと微笑んだ。
「お久しぶりです、お父様。お痩せになったようですが、お元気でいらっしゃいましたか?」
「あ、ああ……」
「わたし、このたび婚約いたしましたの。結婚式にはぜひご参加くださいね」
「え!? こ、婚約って……」
「申し訳ありません。用事を思い出したので、この辺で失礼させていただきますわ。それでは、ごきげんよう」
リオネは優雅に一礼すると、振り返らず、その場を後にした。
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