夏と月のあいだで

ひらがなひめか

第一話 共鳴の季節

汗をかいたカフェラテが、テーブルの上に運ばれてきた。氷の入ったグラスから落ちた水滴が、丸い輪になって広がっていく。


高層ホテルの窓の向こうに、勤めているビルが小さく見える。来週、この場所で、私は花嫁になる。


ついさっきまで、ひとつ上の階で結婚式の最終打ち合わせをしていた。少し休んだら、ウェディングドレスの最後のサイズ合わせ。新郎になる彼には先に帰ってもらった。


進行表の時間軸の上に、「入場」「ケーキ入刀」「スピーチ」が並び、チェックボックスが順に塗りつぶされていく。そのきっちり埋まった進行表を思い返しながら、私は椅子の背にもたれた。


ドレスの胸元に合わせるアクセサリーを、そっと鞄から取り出した。その感触を指先で確かめていたとき、軽く跳ねるようなギターの音が流れ始めた。


イントロの数拍だけで、十年前の夏の日々が、瞬時に共鳴した。


ゆずの「夏色」。


胸の内側のどこか、触れてほしくない場所に、いきなり指を置かれた。


窓の下では、密集したビルのガラスが、強い光を反射している。博多の、初夏の、よくある風景。


──そのはずなのに。


曲が進むにつれて、ビルの輪郭が、ふと薄くなり、ガラスの壁が、水面みたいにゆらいで、別の色に置き換わっていく。


代わりに、濃い緑が現れる。山の斜面を覆う、むせかえるような田舎の緑。その上に、もくもくと立ち上がる入道雲。


サビに向かって、あの町の情景が、視界いっぱいに広がっていく。足元には、だだっ広い駐車場。日陰では、猫があくびをしながら、涼んでいる。


胸が針に刺されたように痛み、瞼の裏が熱くなる。


彼が向かいに座っていなくて、本当に良かった。きっと平然を装えなかった。


心を落ち着かせようと、カフェラテを一口飲んだ。冷たさは、たしかに感じる。それでも、胸にゆっくりと広がる温度が、私を余計に十年前に連れ戻す。


私はその情景の中で、恋をした。海へと向かう長い下り坂と、海岸に続く細い裏道のある港町で。


あの夏は、私の中で、止まったまま。


だから、曲が流れるたびに、当時の光景が歌詞に乗って蘇ってくる。


防波堤。青空。波音。夕日。もう十年が経っているのに、驚くほど鮮やかに再生される。


冷房の効いたカフェの窓際で、私はグラスの水滴を見つめながら──あの夏の入口に立っている。

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