雨見谷物語
谷の住人
第一章 谷をひらく
第1話 山深き雨見谷へ
永禄の末頃、飛騨と信濃の国境に程近い山間の集落、
その春、六騎の一行が細い山道へと分け入った。谷は険しく、空は狭い。雪解け水の落ちる小川が、音を立てて流れている。残雪の匂いを含んだ風が、頬を刺した。
先頭の若い武士が振り返り、明るく言う。
「皆、もうすぐだ。この谷は、蕎麦の花が秋には見事らしいぞ」
彼こそ雨見谷の領主・
後ろで頷いたのは、義時の傅役である
「殿、所領に赴くのは初めて。浮かれてばかりでは締まりませぬぞ」
「う……わかってるよ」
叱られても、義時は笑った。
三騎目。まだ二十歳に満たぬ
その後ろ、坊主頭の中年男、
「まあまあ周防殿。殿は谷の皆が困らぬよう、はりきっておられるのでしょう」
そして最後尾には、絵図を片手に谷の地形を観察し続ける一人の女性がいた。
その横では、太い眉の三十路武士がぽりぽりと頭をかいていた。
「しかしまあ、こんな山奥に殿が来るとは思われておらんだろうな。名前くらい覚えてもらえるやろか」
この男、
やがて雨見谷が見えた。
義時は笑う。
「良いところだな」
しかし周防だけは笑わなかった。
「殿」
「ん?」
「この谷は十年放置されました」
周防は遠くの田畑を見た。
「人の心もまた、十年放置されたのです」
義時の笑みが少しだけ消えた。
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