第5話「王都の使者、農園に来る。魔王、五度目の朝食を要求する」

◆ 第一幕 農園の朝、完璧になる ◆


「お腹すいた。五度目の朝食を要求する」


「はい、どうぞ」


「……え?」


イリスが、珍しく固まった。


いつもはアレンが「おはようございますが先では」と返すところだ。

今朝は、すでにパンケーキが皿に乗って、目の前に差し出されていた。


配膳したのはセリアだった。

エプロンをつけ、髪をきっちりまとめ、完璧な笑顔で立っている。


「SR魔力イチゴのパンケーキです。アレンさんが今朝ガチャで引きました。焼き立てです」


「……」


イリスはパンケーキを見た。

淡い桃色の光が、ふわふわと漏れている。


一口食べた。


「…………うまい」


「ありがとうございます」


「新入り」


「セリアです」


「セリア。手際が完璧」


「聖女訓練の成果です」


「これでもう一生引きこもれる」


「それはどうかと思いますが」


アレンはパンケーキを食べながら、農園を見渡した。


魔法のクワが畑を耕している。

神泉じょうろが、台に立てかけてある。

温泉からは今朝も湯けむりが上がっている。


三日前、ここには自分一人しかいなかった。


「アレンさん、今日のデイリーガチャは?」


「さっき引きました。Rランクの【虫よけハーブの種】です」


「用途は?」


「植えると農園全体に結界が張られて、害虫だけじゃなく、害意を持った人間も近づけなくなるそうです」


セリアが帳簿に素早く書き込んだ。


「完璧ですね」


「地味なRランクのくせに効果が頭おかしい」


イリスが三枚目のパンケーキに手を伸ばした。


穏やかな朝だった。

鳥が鳴き、風が吹き、農園は今日も黄金色に輝いていた。


その平和が崩れたのは、昼前のことだった。


---


◆ 第二幕 使者、農園にたどり着く ◆


農園の境界線の外側で、人の気配がした。


セリアが最初に気づいた。


「……アレンさん、北の端に誰かいます」


アレンが顔を上げる。

結界の境界線ぎりぎりのところで、二人の人間がこちらを見ていた。


一人は文官服を着た中年の男。

もう一人は——


「……レオン」


アレンは静かに呟いた。


見る影もなかった。


三日前まで王都に君臨していたSランク勇者の姿は、泥だらけの作業着に変わっていた。手のひらに泥がこびりつき、爪が割れている。目の下に深い隈、頬がこけていた。

称号剥奪の後、草むしり労働刑に処されたのだろう。


文官の方も似たようなものだった。

王都から農園まで歩いてきたらしく、靴は泥水を吸ってぐずぐずになっている。


二人は結界に阻まれて、農園の中に入れなかった。


境界線の向こうから、農園の光景を呆然と眺めていた。


常夏の緑。黄金の麦畑。色とりどりの実り。

岩風呂からは白い湯けむり。

完璧に整備された畝、自動で動くクワ。


そしてエプロン姿のセリアと、パジャマ姿でパンケーキを持ったイリスと、農作業中のアレン。


文官が震える声で言った。


「……あ、あそこが、噂の……」


「天国だ」


レオンが、掠れた声で言った。


「あいつ一人で、天国を作りやがった……」


王都は今、どうなっているか。


魔界草に飲まれた街路、腐った農地、底をついた備蓄、瘴気で倒れる市民。

毎日、草むしり労働を科された元勇者が泥の中で膝をついている場所。


こっちは、パンケーキだった。


レオンの奥歯が、ぎりっと鳴った。


---


◆ 第三幕 傲慢な要求と、完全論破 ◆


「おいアレン!」


レオンが結界の外から叫んだ。


「王命だ! 今すぐ王都に戻って草をむしれ! 戻るなら……戻るなら、荷物持ちで再雇用してやる! ありがたく思え!」


農園に、静寂が落ちた。


文官が続けた。


「そうだ! これは国家の危機であるぞ! 王命に背けば反逆罪だ! わかっているのか!」


アレンは口を開こうとした。


一歩、前に出る者がいた。


セリアだった。


エプロンをはずし、帳簿を脇に抱え、まっすぐ二人を見据えていた。

聖女見習いとしての、完璧な立ち姿で。


「申し上げます」


凛とした声だった。


「無能の極みですね」


「な——」


「アレン様をゴミのように追い出しておきながら、都合が良すぎます。荷物持ちへの再雇用。あなたはそれを『恩赦』のつもりで言ったんですか?」


文官が「こ、この小娘が……!」と声を荒げる。


セリアは一ミリも表情を動かさなかった。


「あなた方の無能が招いた魔界草の瘴気は、王都を越えて隣国まで達しました。私の国は、滅びました。私はその生き残りです」


場が、凍った。


「国家の危機というなら、その危機を作ったのはあなた方です。私が命令を聞く理由は、どこにもありません」


レオンが「お、おい、そんな話は関係——」と言いかけた。


もう一人が、前に出た。


イリスだった。


パジャマのまま、パンケーキを持ったまま、ゆっくりと境界線まで歩いてきた。


レオンと目が合った。


「……アレンを連れていく、って話してる人」


「そ、そうだが……お前は誰だ」


「イリス」


「……それだけか」


「元魔王」


沈黙。


「……は?」


「魔王イリス。三百年前に世界の半分を更地にした、あれ。今は引きこもり中だけど」


イリスは首をかしげた。


「アレンの朝食の創造主を奪う人、殺していい?」


「え?」


「あたしのキャベツと、パンケーキを、毎朝作ってくれる人を。連れていく、ってこと?」


声は平坦だった。

怒ってもいない。脅してもいない。


ただ、確認しているだけだった。


それが、余計に恐ろしかった。


イリスの指先が、ほんの少し動いた。


それだけで、空気が変わった。


気温が二度、下がった気がした。

鳥の声が止まった。

風が、消えた。


指先の爪の先に、黒紫の光が、ちろ、と灯った。


「世界ごと塵にするのは、三秒もあれば足りるから」


「——っ」


レオンの膝が、がくりと折れた。


文官は声も出なかった。

二人そろって、その場にへたり込んだ。


がたがたと震えが止まらない。

顔から血の気が引いて、白を通り越して土気色になっていた。


二人の足元に、小さな水たまりができた。


だれも、指摘しなかった。


---


◆ 第四幕 完全なる決別 ◆


アレンは境界線まで歩いてきた。


泥まみれで地面にへたり込んだレオンを、静かに見下ろした。


三年間、見上げ続けてきた男だった。

今は、目線が逆になっていた。


「というわけなので」


アレンは穏やかに言った。


「僕の農園のシステムは、魔王と聖女と独占契約を結んでいるので、王都の依頼はお受けできません」


「ま、待て……! アレン、頼む、俺は……」


「手作業で頑張ってください」


アレンは神泉じょうろを持ち上げた。


「あと、ここは虫よけ結界が張ってあるので」


「え?」


「害意を持った方には、少し効果が出ます」


じょうろを、傾けた。


結界の境界線に沿って、水が流れた。

金色の光を帯びた水が、地面を伝い、レオンたちの足元へ向かった。


「ちょ——待て——待ってくれ!」


水がレオンの足に触れた瞬間、ふわりと浮いた。


そのまま、ゆるやかに、押し流された。


悲鳴を上げながら、二人は坂を転がり落ちていった。

水は不思議と彼らを傷つけず、ただ丁寧に、農園から遠ざけた。


泥水の中に、どぼん、と着地した音がした。


遠くで、レオンの声がした。


「そんな……嘘だろ……あいつ、魔王と聖女を従えてやがる……!」


「うわああああ、なんだあれは……! 何者なんだあの男は……!!」


「アレンぇぇぇぇ……!!!」


声は次第に遠くなり、やがて聞こえなくなった。


農園に、静寂が戻った。


イリスがパンケーキの最後の一切れを口に入れた。


「……おいしかった」


「よかったです」


セリアが帳簿を開いた。


「アレンさん、今日の午後の収穫予定ですが——」


「はい、聞いてます」


風が吹いた。

麦が揺れた。

温泉の湯けむりが、青空に溶けていった。


アレンは農園を見渡した。


追放された日のことを、少しだけ思い出した。

あの日、荒野の真ん中に一人で立っていた。


今は、ここがある。


「……悪くない」


小さく、呟いた。


「何か言いましたか?」


セリアが顔を上げる。


「いいえ。さ、午後の収穫を始めましょう」


「はい!」


「ご飯は?」


イリスが言った。


「夕方です」


「早めにして」


「考えます」


農園の一日が、また始まった。


---


第1章・完 「第6話・新章へ続く」


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