応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント


  • 編集済

    第1話 亡くした世界への応援コメント

    「🔰高校生が書いた小説を辛口評価して🔥〜part3〜【読み専歓迎】」から来ました。
    私自身、感想を書くのはあまり得意ではないのですが、いつも通り、作品の構造や奥に流れているものについて書きたいと思います。少し長文になりますがお許しください。

    読み終えてから、しばらく「温かい」という言葉が頭の中に残っていました。

    温かいのに、どこか空洞のような感触がありました。
    その空洞が何なのかを、この作品の奥を追いかけながら考えていました。
    この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。



    まず、冒頭の構造が印象的でした。

    本文は三つの声から始まります。

    「皆があなたを祝福し、世界はあなたを歓迎するわ。」
    「困っている人がいたら助けなさい。それはいつか自分に回ってくるからね。」
    「早く目を覚ましなさい。置いて行かれるわよ。」

    どれも、語り手の中に浮かんでいる言葉です。

    一つ目には「嘘だ」とすぐに返す。

    二つ目には「誰かが同じ事を言っていたんだ。何故だか、思い出せない。その人は、どんな顔で、どんな瞳で、これを語り掛けてくれていたのだろうか」と続く。顔も、瞳も、思い出せない。

    三つ目のあと、電車が止まって、語り手は街へ出ていきます。

    ここが大きいと思いました。

    語り手はこの時点で、言葉の出どころをうまくたどれなくなっている。
    声は残っているのに、それを言った人の顔が浮かびません。
    そういう状態で、街に踏み出していきます。



    そして、世界は最初から最後まで、決して語り手を無視しているわけではないと感じました。

    コンビニに入れば「いらっしゃいませ」と声をかけられ、
    「流れるようなフォークの目尻」の美しい微笑みに、
    「今日初めて人にあった実感が湧いた」と書かれます。

    電車の中では大勢の人と肩が触れ合っていたのに、ここで初めて人の実感が生まれます。

    コンビニを出れば、メロン牛乳の冷たさが首筋に沁みて、甘さと果肉が口に広がる。
    飲み込めば「どろりとしたメロン牛乳が胃にだらんとぶらさがる」という重みが残る。

    犬を撫でれば、「摩擦と体温で掌が温かい」。
    家には2000円と置き手紙がある。
    自室には夏の灼気がこもっていて、「温かい、温かい」と感じる。

    届いているものは、確かにある
    触れてくるものも、確かにある

    終盤の「この世界は、温かいけど温もりは無い」という一文が、遠いところからゆっくり届いてくるように感じました。



    この作品で一番鋭い一文は、「祝福、歓迎。僕に向けられているモノなのに、何一つ僕のモノではない」だと思いました。

    語り手は、世界から見捨てられているわけではない。
    向けられているものはある。
    ところが、向けられているものは、誰にでも向くものでもある。

    コンビニの「いらっしゃいませ」は、語り手の次に入ってくる人にも言われる。
    犬の尻尾は、語り手の後ろをたまたま通りかかった別の人にも振られる。
    部屋の夏の灼気は、その部屋にいる誰にでも等しく満ちる。
    2000円は、生きていくための最低限を確かに支えているけれど、「おかえり」にはならない。

    そして、語り手は帰宅したとき、置き手紙を読みません。

    2000円を財布に入れて、置き手紙をゴミ箱に捨てる
    お金は取る
    書かれた言葉は手に取らない
    何が書いてあったかは語られない

    それだけで充分に伝わってくるものがあると思います。



    冒頭には「嘘だ。祝福されている訳がない。歓迎もされている訳がない」とあります。

    終盤では、「祝福はあれど、歓迎はあれど」と変わっている。
    これは、単なる訂正ではないと思います。

    「あれど」という形で一般的な接触の存在を認めれば認めるほど、次に来る言葉との距離が開く感じです。

    「小言はない。おかえりはない。」

    世界に祝福と歓迎があることを語り手が認めることが、そのまま、自分だけに返ってくるものの不在を確定させていく。
    承認するほど、裂け目が広がる。

    ここが、この作品の一番静かで、一番痛い場所だと感じました。



    「おかえり」と「小言」が同列に置かれていることも、後から効いてきます。

    「おかえり」は分かりやすく温かい言葉です。

    「小言」は違います。

    うるさいと思う日もある
    わかってる、という気持ちで聞き流す日もある
    聞きたくない日だってある

    その「うるさい」は、ある関係の中でしか起きない「うるさい」です。

    心配しているから言う
    気にかけているから言う

    言われる側と言う側の間に、続いてきた時間がなければ出てこない言葉だと思います。

    失われたのは、優しさや温もりというものだけではなかったのだと、この一語で分かる気がしました。

    叱られることも、しつこく言われることも、心配されることも含めた、誰かと一緒に生きてきた手触り全体が消えている。
    母と子の関係の中でしか戻ってこなかった言葉の全部が、なくなっている。

    だから「温もり」という言葉では収まりきらないものが、この作品にはあると思います。



    迷子の外国人の男の子の場面は、読み返すと重くなります。

    「困っている人がいたら助けなさい。それはいつか自分に回ってくる」という声が冒頭にある。
    それを言った人の顔を、語り手は思い出せない。

    そのまま街へ出て、泣いている男の子を見かけます。
    「お母さんを一緒に探してあげようか」と思いながら、「方向を僅かに変え、また歩き出す」
    男の子の「Mom……」という声が、袖風に乗って後ろに残り、気づくと歩幅が大きくなっていた。

    語り手が冷たい人だとは読めません。
    思いはある。
    でも、体が動かなかった。

    助けに向かうための何かが、自分の中に残っていない。
    それが静かに苦しい感じを受けました。

    そして、「いつか自分に回ってくる」は、この作品の中では戻ってきません。
    語り手は男の子を助けないまま通り過ぎ、最後に自分が「お母さん……」と呼んで、返事はない。

    約束されていたはずのものが、どこにも返ってきません。



    最後の場面

    「灼気が充満した部屋の中、籠った空気が少年の声を響かせる。」

    「お母さん……」という声は、その籠った空気の中に留まります。

    外へ抜けていく感じがない
    誰かに届く気配がない

    さっき背後に残した「Mom……」と、形はよく似ていると思います。

    どちらも、母を呼ぶ声
    どちらも、返ってこない

    ただ、外国人の男の子のときは語り手が通り過ぎる側にいて、最後は語り手自身が呼ぶ側になっている。
    ここに単純な回収や救いがある、とは言い切れない気がします。
    むしろ、聞き流してしまった他人の声が、最後に自分の声として響き直してしまうような怖さがあります。

    それでも、その声は籠った空気の中だけに響いて、終わります。



    この作品がつらいのは、世界が冷たいからではないと思います。

    温かいものはある
    届いているものもある
    触れてくるものもある

    挨拶も、体温も、重さも、夏の熱も、お金も、全部ある。
    そのどれもが、誰にでも向く形のものです。

    自分にだけ返ってくる「おかえり」がない
    自分に向けて発せられた「小言」がない

    その差が、最初から最後まで一度も埋まらない。

    語り手が失ったのは、温かさを受け取れる自分ではなく、この自分だけに向けて言葉を返してくれた人だったのだと思います。

    それが分かると、部屋を満たしている夏の灼気の、どこか空洞のような感触が、言葉よりも先に伝わってくる気がします。



    追記として、少しだけ書かせてください。
    アドバイスというほど大きなものではありません。
    ただ、あくまで一読者としての感じ方なので、参考程度に受け取っていただければと思います。

    この作品は、感覚描写がかなり強いと思いました。

    メロン牛乳の冷たさ
    胃に残る重さ
    犬を撫でた掌の温かさ
    自室にこもる灼気
    線香の匂い

    そういう身体に触れる描写が、語り手の喪失をかなり自然に伝えてくれていると思います。

    なので、もし次に近い方向の作品を書くなら、私は「説明を増やす」よりも、むしろこの感覚描写をもう少し信じてもいいのではないかと思いました。

    終盤の「この世界は、温かいけど温もりは無い」は、この作品の核として強い一文です。
    ただ、その強さゆえに、少しだけ作品全体を言葉でまとめすぎてしまう危うさも感じました。

    もちろん、この一文があるから作品の輪郭がはっきりしているとも思います。
    なので削った方がいい、という意味ではありません。

    ただ、今回の作品で一番残ったのは、命題そのものよりも、そこへ向かう途中の感覚でした。

    冷たいものを飲み込んだあとに残る重さ
    犬の温かさが、すぐ別の人にも向いてしまう感じ
    置き手紙を読まずに捨てる動き
    灼気の中で声だけが籠る感じ

    そういう部分がとても良かったです。

    次に書くときは、最後に言葉で答えを置く前に、もう一拍だけ、身体や物の描写に任せる時間があっても面白いかもしれません。

    この作品は、悲しみを飾りとして扱う方向ではなく、喪失した人間の身体感覚をかなり丁寧に追っている作品だと思いました。
    そこが良かったです。
    悲しみを飾るというより、悲しみの中で世界がどう触れてくるのかを書いていると思います。

    その方向は、かなり大事にしていい気がします。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。

    ここまで丁寧に読み込んでいただけて、本当に嬉しかったです。

    冒頭の三つの声や、「祝福」「歓迎」が終盤で変化していく流れ、置き手紙を読まずに捨てる場面など、自分でも意識していた部分を一つひとつ拾っていただけて驚きました。

    特に、

    「世界は冷たいのではなく、温かいものは確かにある。それでも自分だけに返ってくる『おかえり』がない」

    という読み取りには、なるほどと思わされました。

    書いているときは喪失そのものよりも、「喪失したあとに世界がどう触れてくるのか」を描きたい気持ちが強かったので、その部分を感じ取っていただけたことがとても嬉しいです。

    また、感覚描写についてのご指摘もありがとうございます。

    自分でも、説明するより先に身体感覚や物の手触りから伝えたいと思いながら書いていたので、「もう少し描写を信じてもいいのではないか」という言葉はとても参考になりました。

    終盤の一文についても、作品をまとめる言葉として置いた一方で、説明しすぎてしまう危うさは確かにあるかもしれません。

    いただいた感想を読んで、読者に委ねる余白について改めて考えさせられました。

    長文で丁寧な感想、本当にありがとうございました。
    何度も読み返したくなる感想でした。