第20話 空間の楔

 ソルシエールにハーブティーを渡し終わって、精霊たちがディアラの部屋に戻って来た。

  

 ——コンコン。


「ディアラ様、ただいま戻りました!」


「入るよー!」


 元気な声とともに、ココとパルスが戻ってきた。


「どうでした?」


「……な、何がですか!?」


 ディアラは慌てて視線を逸らす。


 その反応に、ココは確信したように笑った。

 部屋の空気が少しだけ賑やかになる。


 一方、自室に戻ったクロノアは、床の上で胡座をかき、静かに目を閉じた。

 精神を研ぎ澄ませるための、瞑想を始めた。

 呼吸を整え、意識を内へと沈めていく。外界の気配が遠のいていく。

 しかし、その静寂は不意のノックによって破られた。


「クロノア、ちょっといいかしら」


「入れ」


 ソルシエールは中へ入り、わずかに表情を曇らせる。


「どうした?」


「相談があるのよ。魔道具だけど、一晩じゃ無理だから、あなたの力を貸してほしいの」


 ソルシエールは単刀直入に切り出した。


「あなたの【迅速】って、自分以外にも使えるのかしら。たとえば……私に」


 クロノアは少し考え込んだ。


「試したことがない」


 そう言いながら、意識を集中し、ソルシエールに向けてスキルの発動を念じた瞬間。


 空中に半透明なホログラムウィンドウがポンッと音を立てて展開された。そこに、無機質な文字が浮かぶ。


 【他者付与:失敗】


 【理由:レベル不足】


「制限か。どうやら無理なようだ」


「そう……」


 ソルシエールは小さく息をつき、深く肩を落とした。


「待て、他にも使えるものがないか確認する」


 クロノアはステータス画面のスキル欄をスクロールし始めた。


 ——そこで、ある項目に目が止まった。 


「……【異次元空間】? なんだ、これ」


 詳細を開くと、そこにはこう記されていた。


『時間の流れが現実と異なる、独立した異空間を創造する能力』


「これなら——いけそうだ」


 クロノアがそのスキルを選択し、魔力を練り上げると、ぐにゃりと空気が揺らぎ、小さな裂け目のようなものが現れる。そこには、薄暗い別の空間が広がっていた。


 クロノアはその裂け目から中を覗き込み、率直な感想を漏らす。


「……なんか狭いな」


 ソルシエールも隣に立ち、同じように覗き込む。


「……そうね。でも、なんとか作業はできそうだわ」


 クロノアはホログラムの数値を読み上げる。


「今の俺のレベルだと、中は外の3倍速か」


 ソルシエールの目がわずかに見開かれる。


「……十分すぎるわ」


 早速その空間の中へ足を踏み入れようとした、その時。


「ちょっと待った」


「なに? 急いでるんだけど」


「手ぶらで入ってどうする」


「あ……材料を持ってくるわ」


 踵を返しかけるソルシエールに、クロノアは続ける。


「いや、あんたの部屋に行って作り直す」


「なるほど、効率的ね」


「3日分の食料と水も用意しないとな」


 クロノアのあまりにも現実的で的確な指摘に、ソルシエールは思わず、クスクスと笑い出した。


「……ふふっ。本当に、あなたは隙がないわね。そういう細かい気配り、あの子が惹かれるのも頷けるわ。じゃあ、まずは厨房から保存食を分けてもらってくるわ」


「何の話をしてる?」


 クロノアは不思議そうに眉をひそめながらも、魔道具製作に挑む魔導士をサポートすべく、再び行動を開始した。


 ソルシエールの部屋へと移動した二人は、山積みになった素材を前に最終確認を行った。


 クロノアは再び魔力を集中させ、部屋の中央に歪んだ空間の裂け目——【異次元空間】を展開する。


 ソルシエールはその前に立ち、静かに息を整える。


「無理はするなよ」


「わかっているわ」


 ソルシエールは不敵に微笑むと、素材を抱えて光の向こう側へと足を踏み入れた。


「……頼んだぞ、ソルシエール」


 ソルシエールの背中が、異次元の中へと消えていく。クロノアはそれを見届け、その場を離れようと踵を返した。

 しかし、その瞬間——異変に気づく。

 背後で、パチパチと空間が爆ぜるような異音が響いてきた。振り返ると、空間の裂け目が、クロノアが距離を取るのに合わせて縮小していた。

 裂け目のそばまで戻ると、その揺らぎはピタリと収まり、再び静かに口を開けた。じっと、その現象を観察する。

 空間の維持が不安定になっているわけではない。ただ単純に、術者との距離に反応している。


「術者が離れると入り口が閉じるのか……」


 どうやらこのスキルは、発動させた本人が一定の範囲内に留まり、魔力を供給し続けなければ維持できない仕組みのようだ。今のレベルでは、空間を「設置」して放置することさえ許されない——。


「なら、ここで維持するしかないな」


 ソルシエールがその中で孤独な戦いを続ける間、クロノアはこの場所から一歩も動かずに空間のくさびとなり続けなければならなかった。

 ゆっくりと呼吸を整える。意識を研ぎ澄ませながら、空間の維持に力を注ぐ。

 その間も、異次元の中では時間が進み続けている。

 夜は静かに更けていった。


 現実世界で窓の外が白み始め、夜明けの光が街を照らし始めた頃。

 一晩中、極限の集中力で空間を維持し続けたクロノアの額にも、うっすらと汗が滲んでいた。

 その時、空間の裂け目からソルシエールが現れた。


「…………できたわ」


 ソルシエールの両手には「蒼氷の福音」と「鎮炎の鎖」が握られていたが、その手は震えていた。


「一晩でやり遂げたんだな」


「当たり前……でしょ……」


 クロノアが立ち上がり、魔力が尽きてふらつくソルシエールの肩を支える。

 衣装が少し大きく見え、思わず表情が険しくなった。


「無理し過ぎだ」


 ソルシエールの視界が揺らぐ。


「……」


 一瞬言葉が出ない。


「……平気……よ……」


 何か言おうとしたが、声は、そこで途切れた。そのままクロノアの腕の中に倒れ込む。


「おいっ……」


 反応はない。


「おい、ソルシエール」


 軽く呼びかけても——返事はなかった。

 規則正しい、浅い寝息だけが聞こえる。完全に意識を手放している。


「……仕方ない」


 そう言って、ソルシエールを抱き上げると、

 ベッドへと向かう。

 できるだけ衝撃を与えないように、そっと横たえる。


「……お疲れ様」


 ぽつりと呟く。返事は、ない。

 

 静かな朝の光が、部屋を満たしていく。


 その光の中で、完成した二つの魔道具だけが、淡く確かな輝きを放っていた。

  

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