ベルムガンドの断章 箱庭のロゼッタ
金木一郎
第1話 少年の思い出
これは、数年前の事件の概要である。
7月10日未明、首塚神社境内において、鏑木中学校の生徒8名の集団遺体遺棄事案が発生。
当時、彼らの間では肝試しが行われていた。きっかけは、8人の中でも主導的立場にあった梅澤貴教が始めたことと推察される。
当初は、彼らの遺体があまりにも凄惨であった為、事件性が高いとして捜査が進められたが、調査をしていくごとに、捜査員はこの事件を既存の方医学的知見を逸脱した損害状況であると判断し、捜査を切り上げた。
彼らはこの事件を、事故として処理したのだ。
当時の捜査員総員の言葉を借りるならば、この事件は人間の手には負えない領域に入ってしまったという。
警察の不透明な処理方針に、世間で批判と非難の応酬が飛び交った。
ネット掲示板や、SNSにおかれては、この事件に関する内容に踏み込む若者が絶えず、一時は掲示板を閉鎖するという前代未聞の事態にまで発展する。
被害者家族は勿論、学校側からも波紋を呼び、多くの者が疑念を抱いた。
混乱の中、その事件の中でただ一人生存した学生がいたという事実がのちに判明する。
しかし、学校側からの圧力によって、メディアはその学生の正体も、事件の真相も暴くことは叶わなかった。
未だ学生は姿を現すことも、真実を語ることもない。
その口からは何も語られず、この事件は迷宮入りとなった。
*
かつての現実を見た。
それは遠く懐かしい、まだ彼がただ一人の人間として扱われていた時のことだ。
「いいかい、白郎。お前は生きているんだ。世界は既にお前を受容している。だから、お前にも居場所はちゃんとあるんだよ」
静かな声だった。木漏れ日に包まれたベランダで、男は使い古された書物を閉じながら眼鏡の奥に穏やかな光を宿す。
その瞳は過去や未来を慈しみながらも、現在を取り零さない強靭な意志が備わっていた。
少年は、その時なんと答えただろう。何かを訴えていたようにも、何も理解できずに首を傾げていただけなようにも思える。
彼はひたすら、男の言葉を待ち続けた。
「生命とは即ち循環だ。与えられたものは生き、その全てを使い果たしたものは死んでいく。そこに使命も責任も付き纏う必要はない。僕らは既に親というただ一人の人間から与えられて、この世界に存在しているんだ。…それをずっと繰り返しているんだよ。生まれてきた時点で、僕もお前も世界に存在する権利を与えられているんだ。気負う必要は、どこにもない」
少年は朧げながらも、男の言葉を記憶していた。
世界は既に全ての生命を許容しているのだということを。
しかし、少年はその話に僅かな疑問を抱いていた。
「でも、じゃあ悪いことをしている人や、誰かを傷つけるような人でも存在していいの?優しいのに病気で苦しんでしまう人は、居ちゃいけなかったの?」
少年は、己の言葉に引き裂かれるようだった。
仮に、男の言葉通りなのだとするならば、善行を成したとて弱者はその存在を許されず、悪行を尽くすものであったとて、強者であるならば許されると考えたからだ。
少年の身に広がる悲しみに、男は痛みに堪えるように眉を顰め、小さく首を振る。
「どちらかが存在して良くて、どちらかがいけないという訳ではないんだ。確かに世界は残酷で、悪人はのさばり、善人が打ち捨てられると解釈してしまうことは多いだろう。それぞれの努力の仕方で、喜劇にも悲劇にもなりうる。だけどそれは、今ここで生きている僕たちが踠き続けた結果であって、世界はどんな命も平等に受け入れているだけに過ぎないんだ。平等であるが故に、善も悪も存在しているんだよ」
男の言葉を、少年は理解することができない。
それとも、ただ受け入れることができなかったのだろうか。
この世界は善と悪が混在して成り立っているというのなら、いずれ自身は悪である己も受け止めなくてはならないということになる。
少年は、悪というものが恐ろしかった。
恐ろしいからこそ、自らが存在してはならないものなのだと強迫的に信じ込んでしまっていたのだ。
自然と唇に力が籠る。子供なのだから、素直に分からないと逃げてしまえば良いというのに。
「
男の手が少年の頭に触れられる。
行き場を失いそうな彼を、繋ぎ止めようとするかのように思われた。
「だけどね、僕は悪が根絶されて良いものだとは思わない。人は元来、他者の命を食らい続けることで生き繋いできた。全てが善きものではならない世界は破綻してしまうものだ。闇のないところに光は宿さない。未来永劫続いていきたいと願うなら、その暗澹も抱えていかなければ成り立たない。誰かを受け入れること、自身を受け入れてもらうということは、こういうことだ」
男は緩やかに、しかし強靭な意志を秘めた瞳で白郎を捉える。
「もう一度言うよ。白郎、お前はここに居て良いんだ。例え、お前がお前を許せなかったとしても」
男の言葉が深々と突き刺さり、息が詰まる。
それと同時に、徐々に日差しが強まったことで、少年の視界は光に覆われていった。
最後に男がどのような表情を浮かべていたのか、知ることは叶わなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます