05 困惑するエル
年末、黒の月、八の日になり、後
喜び勇んでタウンハウスを後にした直後、私と結婚する、とルイ・ロックウェル伯爵のタウンハウスへ連れて来られ、昨日エル・ロックウェルになってしまった。
除籍確認後に即入籍。
早業も良いところだ。
ルイは王立魔法局の局次長を務めている。
私が喉から手が出る程に欲しかった魔力が膨大で、空になった魔石を一月に五万個も補充出来る。
それをしても尚魔力が余るのだとか。
一般的には一月に百個も補充出来れば良い方だから、それがいかに膨大であるかが分かるだろう。
私は一個も出来ない。
私に少し分けて欲しい……。
ルイは私が名前を呼ぶと嬉しそうに微笑む。
そのルイは、距離の詰め方がとにかくおかしい。
モリシー伯爵家から放逐されたその日に手を握られる。
二日目には手を繋いでロックウェル伯爵家のタウンハウスを案内。
三日目には腕を組まされて温室を散歩。
四日目には肩を抱かれて庭を散歩。ちなみに入籍したのはこの日。
今日は五日目、種の曜日でルイの仕事が休み。
それもあって二人で街へ出て、今は腰を抱かれている。
腰を抱くって……。
肩も大概近かったのだけれども、腰も近過ぎる……。
顔を見上げると、何故か直ぐに顔を向けられて目が合う。
そして笑顔になる。
焼き尽くされて灰になりそう……。
「結婚指輪を買わないといけないから行こう」
そう言われて装飾品店と宝石店へ。
前はこういった物はなかったから少し新鮮。
ルイの手によってあれこれと試着され、ルイが私に必ず聞いてくれた。
私の意見を尊重してくれる事は素直に嬉しい。
けれども、情けない事に良く分からない。
首を傾げてばかりいると、結局はルイが選んでいた。
ごめんなさい。
買ってもらった指輪は宝石の嵌った物と、シンプルな結婚指輪の二個。
宝石の色は紫紺に近い赤味の強い紫色にした。
これは私がルイの目と見比べながら選んだ。
「紫にしよう」
ルイがそう言ったから従い、必死で選んでいると、目を細くされてしまって見比べ難くなって困った。
「私の目はこういう色に見えているのだね」
何故か嬉しそうに言われてしまった。
「婚約期間はなかったが、これは婚約指輪として持っていて欲しい。偶には着けているところを見せてくれるかい?」
そう微笑まれてしまうと着けざるを得ないのではないだろうか。
私に拒否権はない。
けれども、嬉しそうにされるとそれで良いと思えるから不思議……。
ルイと出会ってからの数日の間、ルイと話していて、私の中にいた別の人が起きてしまった。
ルイがあの顔も思い出せない画家さんと被ってしまう。
ルイの声が画家さんの声に聞こえる程に。
何故あの画家さんが私の中に住んでいたのか。
何故……?
答えは分かっている。
それもあって、ルイに対して罪悪感が芽生え始めた。
ルイが私に微笑む度に胸が痛む。
ルイが嬉しそうにすると、私も嬉しくなるのだけれども切なくなる。
ルイと雑談をしていると、画家さんと楽しく話した日々が思い出されて寂しくなる。
そういう気持ちがある事を隠すために、ルイに尽くそうと思ってしまう。
その動機が不純で、私は罪悪感に苛まれている。
私が過去の気持ちを知ったところで、もうどうにも出来ない。
また眠らせようにも、ルイが側にいる限りはきっと出来ないだろう。
思い起こさせる切っ掛けがルイなのだから。
ごめんなさい……。
まさか、それを知って過去の想いを地中に埋めようとして、ルイが感情を私に惜しみなく降らせているのだろうか。
……これはないか。
いつ私と出会ったのか、それを聞いたら寂しそうな笑顔をされた。
「エルの気持ちが私に向いた時に話そう」
抱かれていた肩にルイの温もりが伝わって、私の意識をさらって行った。
いつになったら話してもらえるのだろうか。
分かっている事は一つ。
それは、この話をしてもらう前に必ず過去の気持ちと決別しなければならない、という事。
ルイに掘り返されて重ねてしまっているのに、いつになったらそれが出来るのだろうか。
気長に待つ、と言ってくれたルイに甘えるしかない。
指輪の他に、衣類を沢山買ってもらった。
一点物を二十着と、春用に数着誂えてくれるのだとか……。
後は一点物のオーバーコートを十着。
それだけ着る機会があるのか?
……という疑問はさて置き、靴も帽子もバッグまで合わせて買ってもらった。
「伯爵夫人として、
そう言われてしまうと断れなかった。
ルイの表情を見るに、楽しそうに選んでいたから体裁だけではない……と思いたい。
衣類、なので当然ながら肌着も含まれる。
それにしても採寸に疲れた。
後、腰をずっと抱かれていて疲れた。
近過ぎて疲れた。
とにかく疲れた。
夜は一人で眠らせてもらえてありがたい。
義務の類は一切ない。
私の気持ちが向くまで待つのだそうだ。
ルイはそうならなければ、一体どうするつもりなのだろうか。
それでも私を想い続ける事が出来るのだろうか。
…………。
私は一体どうすれば良いのだろう……。
画家さんへの気持ちは忘れるしかないのだけれども、ルイの事を好きになれるかが分からない。
とても良い人ではあるのだけれども、押しが強くて引いてしまって……。
「私は名もなき画家ですから、画家とお呼び下さい」
彼にそう言われて画家さんと呼ぶ事になった。
顔がどうしても思い出せないのだけれども、思い出せない程に普通だったのか?
それは棚の上へ置いておき、とにかく聞き上手な画家さんとの会話は楽しかった。
私は画家さんの声をルイと重ねている。
もしかして、気持ちを重ねようとしているからそうなっている?
……となると、私はルイの声を聞いて、気持ちが好意へ傾いているのかも知れない。
それならば、このまま身を任せておいても良いような気がする。
既に夫婦になっているのだから。
翌朝、ルイと一緒に朝食をしていた。
二人で食事をする為にわざわざ二人用の小さなハイテーブルへ買い替えて、そこに着いてる。
やはり上座に私。
絶対におかしい。
けれども、テーブルが小さくなったからか、向かい合わせに座っているルイが近い。
ふと目を上げると、ルイのそれと合う。
そうすると必ず微笑んでくれる。
思わず口元が綻ぶ。
それを幾度となく繰り返す。
今日は芽の曜日で休みのはずなのだけれども、ルイは休日出勤。
玄関先に出て見送る。
「頬にキスをしても良いだろうか?」
気が付いたら目を瞠っていた。
ルイの寂しそうな笑顔で我に返った。
「どうぞ」
「良いのだろうか?」
「はい」
笑顔で頷いたつもりなのだけれども、上手く笑えているのだろうか。
ルイの表情が柔らかくなって近付いて来る。
目を閉じると、右の頬に柔らかい物が触れた。
「ありがとう」
吐息が頬に掛かってくすぐったい。
顔が熱くなった。
「今日も午後三時を少し過ぎた頃に戻る。それでは行くよ」
王立魔法局はここから馬車で約十分移動した場所にある。
「いってらっしゃい。お気を付けて」
私の左頬に手を当てて親指で撫でながら微笑んだ。
この眩い笑顔に目が潰れそうになる……。
ルイがキャビンに乗り込み、直ぐに馬車が動き始めた。
それが見えなくなっても佇んでしまう。
キスをされしまった!
頬なのだけれども、キスは初めて。
まだ顔が熱い……。
人の唇って、あれだけ柔らかい物なのか。
自分の唇を触ってみても良く分からない。
「エル様、そろそろお邸に入りましょう」
後ろからカティルに声を掛けられ、驚いて体が引き攣った。
「そっ、そうね。入りましょう」
振り返ってカティルを見ると、嫌らしい笑みを浮かべられた。
「そういう顔は止めて……」
また顔が熱くなって、カティルの横を擦り抜けてお邸へ入った。
私室に篭もって、あのキスを反芻している。
したくてしている訳ではない。
気が付いたらしていた。
そして思ってしまう。
これがあの画家さんならばどうなっていただろう、と。
私は……、私は何と馬鹿なのだろうか。
午後三時になって、エントランスへ移動する。
「旦那様がお戻りになられました」
「ありがとう」
外から戻ったカティルに言われ、買ってもらったばかりのオーバーコートを着て玄関先へ出る。
馬車が到着して、ルイが降りる。
「おかえりなさい」
「ただいま」
ルイの笑顔を見た途端、罪悪感でいっぱいになってしまった。
「嬉しいが、寒いから邸の中で待てば良いのに」
「買ってもらったコートを着る機会を得られるから」
「また頬にキスをしても良いだろうか?」
「はい」
ルイは手袋を外した右手で私の頬を撫で、空いている頬にキスをする。
顔を離して微笑み掛けてくれたのだけれども、また罪悪感でいっぱいに……。
するとルイが驚いて、私の両頬を手で覆って親指で撫でた。
「キスが嫌だった?」
「いいえ」
「それでは何故泣く? 悲しかったのではないのかい?」
泣く?
……ああ、涙が出たのか。
私の体は正直だ。
そうさせている心が、これ以上ルイを欺くなと言っているのか。
「ごめんなさい」
涙が出ていると自覚してしまうと、どうして良いのか分からなくなった。
悲痛な表情をしているルイの手を下ろし、一人で私室へ戻った。
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