第一章
第6話 正体
――私の名前は……そうだな、クロとでも呼んでくれ。
それが黒猫の第一声だった。ルナを助ける時に聞いた言葉を含めるなら第二声か。
いや、そんなことはどうでもいい。話の根幹には関わらないのだから。
硬転樹の植林場でルナを助けた後のこと。ひとしきり動揺し終えた俺は、ルナとユリスに「用事が出来た」と苦しい言い訳をしてその場を去った。
向かったのは寮の自室である。入学間もない俺には他に人目を気にせず話をできる場所が思いつかなかったのだ。
始業まで残り二十分。時間はないが、この問題を放置しておくこともできない。
問題とは黒猫のことに決まっている。
部屋に連れ帰り、ベッドの上に下ろす。その間も黒猫は落ち着いた様子でおとなしくしていた。
相手は喋る猫だ。いや猫かどうかすら怪しい得体の知れない相手だ。
挙動不審なのはどちらかと言えば俺の方だった。
部屋に完備された給湯の魔法道具でお湯を沸かす。こんな時はコーヒーでも飲んで心をなだめるに限る。
クローディア邸から拝借した高級豆がまだ残っていたはずだ。
豆を挽き、カップにコーヒーを淹れながらふと思った。「こいつ、もしかしてコーヒーを飲むのか」と。
普段なら野良猫にコーヒーを与えようなんて思いつくはずもない。だが、目の前にいるのは人語を介する不思議猫だ。
客人といえるかもしれない。客人であるならば何のもてなしもしないのは失礼か。……いやでも猫だし。
「コーヒー、飲むか?」
恐る恐るそう尋ねてみると、黒猫は小さい首を横に振った。こいつ、やはり人語を理解しているな。
ベッドの真向いに学習机がある。これも寮に最初から完備されていたもので、おそらく全生徒が所有している家具だ。
備え付けの椅子を軽く引き、ベッドに座る黒猫と向かい合う形にセットしてから腰を下ろす。
カップを口にすると、コーヒーの芳醇な香りが口いっぱいに広がった。よし、少しは落ち着きを取り戻せたと思う。
「それで、お前は一体なんなんだ?」
【私の名前は……そうだな、クロとでも呼んでくれ。少年、ことを大きくせずここに運んでくれたこと、まずは感謝する】
黒猫――クロはやはり人の言葉でそう言った。ルナを助けた時に聞いたのと同じ声だ。
紳士的で、落ち着いた声。猫なのにやけに大人びた印象を受ける。
「俺はノア。クロ、お前には聞きたいことがいくつかある。まず最初に、これが最も重要なことなんだが、お前、どうして俺の魔力を持っている?」
自己紹介をしたクロに対し、俺も名を名乗る。得体の知れないこいつを信頼したわけではない。
相手が名を名乗ったから俺も名乗った。それだけのことだ。
魔力に関しては、クロが俺の魔力を恐らく奪ったのだろうというある程度の核心があった。
一日経たなければ自分が魔力を失ったことにすら気づかない大マヌケだが、気づいてしまえばその原因には心当たりしかない。
昨日クロを撫でようとして噛まれた時、あの瞬間しか原因は考えられなかった。
人の魔力を奪う、そんなことが本当にできるのかどうかは置いておいて、事実として俺の魔力は無くなっている。
そしてルナを助ける時に俺に胸に飛び込んできたクロから確かに自分の魔力を感じた。
クロは俺の魔力を奪っておいて、ルナが危機に陥った時に力を貸してくれた。
悪い奴ではないんだと思う。そう思ったから俺はクロを自室まで運んだのだ。
クロは、俺の問いには直接答えずに身の上話から始めた。
それが俺の求める明確な答えではないとすぐに気づいたが、俺は黙って話を聞くことにした。
始業時間までに終わる長さの話だといいが……。
♢
私はここより遠い場所、恐らく未だかつて人間がたどり着いたことのない場所から来た。
行き方を教えることはできない。正直に言えば私自身もよくわかっていないからだ。
分け合って黒猫の姿をしているが、これは本当の姿ではない。
本当の私はもっと不定形なのだ。何にでも姿を変えられるが、決まった姿はない。黒猫の姿なのには理由があって、それはつまり――
なに? なるべく簡潔に話をまとめてくれ? 時間がない? ……わかった。そうしよう。
私の故郷には魔物が住んでいる。人間はいない。つまり、私も魔物ということになる。
なに、安心しろ私は人間を嫌ってはいないし、他の魔物の様に人間を襲うこともない。
だが、我々の長は違う。魔物を統べる者のことだ。恐ろしく強く、そして非情でもある。
人間を憎み、そのすべてを破滅させようとしている。
私の一族は代々人間好きとして有名だったから、長の企みに気付いた時それを止めようとした。
長は強すぎた。おまけにほとんどの魔物が長に従った。
少数だった私の一族は全て掴まり、そして殺された。父も母も兄も、全てだ。
私だけが奇跡的に助かった。
一族で最も濃い魔力を有していた私は長にとっていい餌だったのだ。
魔物は魔力を食う。知っていたか? 長にすべての魔力を食われた私は、最後の情けで生かされた。
全身ぼろぼろな状態で捨てられて、だが。
なんどか気を失ったと思う。それでも私は歩いた。長が恐ろしくて、その場から逃げ出したい一心だったのだ。
そしてとうとう力尽き、次に目を覚ました時にはすぐ近くの林の中にいたのだ。
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