第13話 原因をさがせ
夜が明けても、メルの熱は下がらなかった。
朝一番にティナから聞いた。ハンナばあちゃんが昨夜も付き添っていたこと。沸かした水を少しずつ飲ませていること。それでも、唇の乾きが止まらないこと。
「ばあちゃん、一睡もしてないって」
ティナの声が、いつもより低かった。
「わかった。今日、もう一度、水源を調べに行く」
「一人で?」
「ソラに繋いでもらいながら。上流の倒木の場所を、直接見たい」
「私も行く」
「ティナは——」
「行く」
有無を言わせない声だった。
こういうときのティナに、反論しても無駄だということは、長い付き合いでわかっている。
「……じゃあ、一緒に来てくれ」
◇
「ソラ、センサーの結果は出た?」
工藤が朝から端末の前に座ったまま、画面を見て言った。
「はい。昨日ノアが送ってくれた水のサンプル、詳細な分析が完了しました」
「読み上げてくれ」
「大腸菌群の数値が基準の三十倍以上。加えて、土壌由来と見られる有機物が混入しています。嵐による上流の土砂崩れで、地下水脈に影響が出た可能性が高い」
「汚染の規模は」
「サンプルは一点のみですが、濃度から推測すると、井戸全体に影響が出ている可能性があります」
工藤は腕を組んだ。
「コラルの腹下しは、これの前触れだった。メルは、より多くの水を飲む機会があったか、あるいは免疫が弱かったか」
「五歳という年齢も要因として考えられます」
「柳瀬先生の見立て通りだな」
美緒が、ノートにまとめながら言った。
「つまり、原因はほぼ確定。問題は治療をどうするか、だけです」
「だけ、か」
工藤が、静かに繰り返した。
その「だけ」が、今一番重い部分だということは、全員がわかっていた。
◇
上流へ向かう道は、普段あまり入らない区域だった。
森が深くなって、地面が湿ってくる。昨日の夜露がまだ葉の上に残っていて、踏み込むたびに足元が滑った。
「ここか」
倒木が見えた。
太い幹が二本、川の方向へ傾いて倒れている。根が抜けたのか、根元に大きな穴が開いていた。そこから土がえぐれて、川へ向かって崩れているのがわかった。
「ソラ、今の状況を伝える」
「はい、聞こえています」
「大きな木が二本倒れている。根元から土がえぐれて、川に流れ込んでいる。川の色が、少し濁っている」
「川の濁りは、上流から下流へ広がります。村の井戸は、この川の地下水脈と繋がっている可能性が高い」
「この先に、もう一本倒れてる」
ティナが指さした。
さらに奥に、三本目の倒木があった。幹が川に半分かかっていて、腐りかけた部分が水に浸かっている。
「ソラ、腐った木が水に浸かっている場合、水への影響は?」
「有機物の分解によって、水中の細菌が増殖しやすい環境になります。腐敗が進んでいる場合は、特に問題になります」
「これが原因のひとつか」
「おそらく」
ティナが川の縁に屈んで、水を覗き込んだ。
「ノア、これ——村の人、誰も気づいてないよね」
「嵐の後は、外に出る人が減る。それに——川の上流まで見に来る人は少ない」
「こんな場所まで見に来るのは、ノアくらいだよ」
「……母さんに教えてもらったから」
母さんは、水のことをよく気にしていた。川の色が変わったときは特に、上流まで確かめに行った。なぜかと聞いたら、「水は上からやってくるから」と笑いながら言っていた。
「ソラ、もう一度サンプルを送りたい。今度はこの場所の水を」
「お願いします。比較データが取れれば、汚染の経路がより明確になります」
ティナが手の中に水を受けて、僕が持ってきた小瓶に入れた。
土の匂いがした。いつもの川の匂いとは、少し違う、重い匂い。
◇
「上流のサンプルが届きました」
ソラが言った。
「分析中です。……やはり。倒木付近の水は、井戸水よりさらに汚染が進んでいます。腐敗した有機物由来の細菌が大量に検出されます」
「感染経路、確定だな」
工藤が端末を閉じた。
「嵐→倒木→土砂と腐敗物の流入→地下水脈汚染→井戸→村人への感染。コラルが最初の感染者で、メルは重症化した」
「他にも体調を崩している村人がいる可能性がありますね」
楓太が言った。
「あります。ノアに確認してもらいましょう」
美緒がカメラに向かった。
「ノア、村で他に、お腹を壊している人や、体の具合が悪い人はいる?」
しばらく間があった。
「……エーラの家の子が、また少し腹を壊していると聞いた。それから、老人が二人、体がだるいと言っているらしい」
「やっぱり」
美緒は工藤を見た。
「メルだけじゃない。村全体の問題になっている」
「水源を断たなければ、感染が広がり続ける」
「でも、今すぐできることは——」
「水を沸かすこと」
工藤が言った。
「それと——柳瀬先生の話だ」
◇
昼過ぎ、柳瀬医師から折り返しの連絡が来た。
美緒と工藤が、教授の部屋に集まった。
「昨日の症例の件だが」
柳瀬医師の声は、落ち着いていた。
「症状の経過と水源の汚染状況から、腸管系の感染症と見て間違いないと思う。経口補水液の投与は正しい。脱水を防ぐ意味で、今すぐ続けてほしい」
「それで、回復しますか」
「それだけでは、難しいかもしれない。熱が三日以上続いていて、重症化しているなら——抗菌薬が必要だ」
教授が、静かに言った。
「子ども向けに、安全性の高いものは」
「アモキシシリンが一般的だ。子どもへの使用実績が多く、比較的副作用が少ない。ただし——体重によって量が変わる。その子の体重はわかるか」
「確認します」
「それと——アレルギーの既往歴も確認してほしい。ペニシリン系に反応する場合がある」
「わかりました」
電話が切れた。
誰も、すぐには口を開かなかった。
抗菌薬。体重。アレルギーの確認。
一つひとつは、理解できる。やるべきことも、見えている。
でも——。
「送るか」
工藤が、静かに言った。
「完成品の薬を」
「……」
「自分たちで決めた。子どもの体に合うかどうかわからない。副作用のリスクがある。だから送らない、と」
「状況が変わった」
教授が言った。
「そのときは、水の煮沸で事足りるケースだった。今は——命が、時間と戦っている」
「ルールを曲げる、ということですか」
楓太が、静かに聞いた。
「曲げるんじゃない」
教授は窓の外を見た。
「判断する。私たちが決めたのは、無思慮に送らないということだ。思慮を尽くした上で、それでも必要なら——それは判断だ」
美緒は手元を見た。
ノアが一日かけて送り続けてくれた観察記録。メルの呼吸の数。唇の乾き。体の震えのタイミング。
この子が、必死で集めてくれたもの。
「体重とアレルギーを、確認します」
美緒は顔を上げた。
「ノアに聞いてもらえれば——ハンナさんが付き添っているなら、わかるはずです」
◇
「ミオ」
「いる、ノア」
「メルの体重と——あるものに、体が強く反応したことがあるかどうか——ハンナばあちゃんに聞いてほしいんだけど」
「体重と、アレルギーのこと?」
「アレルギー?」
「特定のものを食べたり触れたりしたとき、体が過剰に反応することがあります」
ソラが補足した。
「肌が荒れる、息が苦しくなる、急に体が赤くなる——そういった反応です」
「……ばあちゃんなら、知ってるかもしれない」
「急いで聞いてもらえますか」
「わかった」
僕は立ち上がった。
ダグの家まで、走れる距離だ。
「ノア」
走り出す前に、ミオの声が聞こえた。
「今日一日——本当に、よく動いてくれた」
「まだ終わってない」
「うん。でも——言いたかった」
僕は走った。
原因はわかった。どうすればいいかも、少しずつ見えてきた。
でも——メルは、まだ熱の中にいる。
走りながら、ソラの言葉を思い出した。
「見て、伝えることが——今できる、いちばん大切なことです」
僕にできることは、走ることだ。
見て、聞いて、伝えて——その繰り返しを、続けることだ。
それが、魔法のない僕にできる、唯一の「力」かもしれない。
村の屋根が、夕暮れの光の中に見えてきた。
_______________
あとがき
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
第13話、いかがでしたでしょうか。
ノアにとって、今回の危機は特別な重さを持っています。水が原因だと直感した背景には、母から受け継いだ「上流まで確かめに行く」という習慣がある。あの記憶が、今、村の子どもを救う糸口になっている。
研究室のみんなも、「自分たちで決めたルール」と「目の前の命」の間で揺れています。正解は、簡単には出ません。それでも判断しなければならない人たちの話を丁寧に書いていきたいと思っています。
この作品が面白いと思ってくださったら、★評価やフォローをしていただけると、とても励みになります。ボタン一つで、ノアたちの旅を応援していただけたら——本当に、うれしいです。
次話も、森でお会いしましょう。
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