「自分の言葉で書けるようになりたい」
そんな挑戦から始まったエッセイですが、読み進めていくうちに見えてくるのは、一人の書き手と“創作”との長い付き合いです。
幼い頃、自分の頭の中だけにあった物語。
高校時代、同じように空想を楽しむ友人と出会ったことで、それは誰かと語り合える「創作」へと変わっていきます。
その後、一度は創作から離れながらも、社会人になって誰かの創作に触れたことで再び火が灯る。
小説を書き始めてからは、主人公への自己投影、視点変更、総力戦の描き方、キャラクターの人数、プロットの作り方など、自分がぶつかった壁を一つずつ言葉にしながら考えていきます。
興味深いのは、ここに「正解」が並んでいるわけではないこと。
「自分はこう考えた。でも、皆さんはどうですか?」
そんな問いかけが多く、創作者同士でテーブルを囲み、作品について語っているような楽しさがあります。
そして私が特に心を惹かれたのが、長年、創作を語り合ってきた友人について語られた一篇でした。
かつて誰かと出会ったことで、一人の中にあった空想を誰かと語り合える「創作」へと変えていった人が、今度は自分の物語を最後まで紡ぐことで、立ち止まった誰かの創作への熱をもう一度灯そうとしている。
創作とは、自分一人の中から生まれるものかもしれません。
けれど、その火は誰かから受け取り、そしてまた誰かへ渡していけるものなのかもしれない。
試行錯誤も、迷いも、喜びも。
一人の創作者が歩いている“今”を、そのまま一緒に追いかけられるエッセイです。
「AIという補助輪を取り外し、自分の足で漕いで行けるように」という概要が、この作品の動機を端的に語っている。AIの添削を経て本編「想心の引き金」を書く一方で、その前段として自分の言葉だけで文章を紡ぐ練習場をここに作る、という発想の順序が誠実だ。
「創作の原点」「創作の断念」「創作の復帰」と続く話数構成からは、創作と距離を置いた時期も含めて隠さずに記録していく姿勢が見える。「作者は主人公に自己投影する?」のような創作論的な小さな考察も挟まれていて、単なる練習帳というより思考の足跡として読める。
ぶっつけ本番ではできないから、と公言する正直さに好感を持った。拙さが育っていく過程そのものが、この作品の魅力なのだと思う。