第23話 悪鬼・羅刹(四) 憑合の変遷

空間が不自然に引き裂かれ、隔離された泥の荒野へと完全に分断されたその瞬間、伏見蓮ふしみれんを包囲したのは、逃げ場皆無のだった。



「くそっ!なんだこれ!」



伏見は舌打ちしながらお紺を呼び出す。



「ハハッ! 分断すればただの雛鳥だ! まずは名門の跡取りから、その誇りごと圧殺してやる!」



羅刹らせつ――三が吼えた瞬間、泥の中からおびただしい数の不気味な人形たちが這いずり出してきた。



それは羅刹がこれまで喰らってきた死者の怨念に莫大な妖力を注ぎ込み、個々に凄まじい敏捷性を宿らせた高機能な操り人形の軍勢。



その数、数百。さらに羅刹本体の背中から、空間を叩き据える無数の黒い触手が噴き出し、全方位から鞭のように蓮へと襲いかかった。



「お紺……!」


蓮の呼び声に応じ、白銀の毛並みを持つ式神が彼の影から躍り出る。



お紺は人語を話さない。



だが、琥珀色の美しい瞳に宿る意志は、蓮に語りかけていた。



蓮にとってお紺は、歴史ある名門の霊術というだけではない。



物心がつく前から、ずっと自分の傍らに寄り添い、厳格な親族たちの冷ややかな視線や、跡取りとしての孤独をすべて分け合ってきた、長年連れ添った家族そのものだった。



しかし、幼い頃からお紺を寸分の狂いもない一直線の刀として扱う訓練を何万回と繰り返してきたその経験の長さが、最大の呪縛となっていた。



押し寄せる無数の操り人形。



死角から襲い来る触手の弾幕。



一振りの刃をどれだけ完璧に振るおうとも、物理的なリーチが、手数が、圧倒的に足りない。



バキィンッ! と激しい火花が散る。



迫る触手の嵐を青い霊刀で叩き落とし、地を這う人型を切り伏せるが、全方位からの同時波状攻撃の前に蓮の衣服が裂け、頬や肩に生々しい血の一線が走る。



確実に、肉体的な限界へと追い詰められていく。



(……切ることだけが、お紺の仕事じゃない)


泥を啜りながらも、蓮の脳裏には特訓で織田から突きつけられた言葉が鮮烈に響いていた。



ずっと自分を支えてきてくれた、唯一無二の家族。



その本当の力を解き放つ。



切るためではなく、



そののために、蓮の全霊力が青い霊刀へと収縮した。



蓮はお紺の琥珀色の瞳を見つめ、脳内で、その温かい魂のすべてと深く、深く同調した。



言葉など必要なかった。



お紺は蓮のすべてを理解し、その意志を受け入れるように、優しく、短く鳴いた。



「お紺を昔からの役割に縛りつける必要はない。……!」



蓮の手の中で、青い霊刀が一振りの刃の形を完全に脱ぎ捨てて激しく爆ぜた。



二十日間の精密操作訓練が、お紺との魂の相互理解によって、今、完璧な奇跡を結ぶ。



お紺の霊力は、鋭い一線の解釈を止め、蓮の五体を包み込むように全方位へ引き伸ばされた。



「――式神武装霊術・『布瑠部武装ふるべぶそう』・大盾『蜂振はちぶり』!」



蓮の周囲を隙間なくドーム状に囲う、強固な青い霊力の障壁が展開される。



ドガガガガガッ!!



押し寄せていた何百体もの操り人形の突撃、そして頭上から容赦なく振り下ろされた無数の妖気の触手が、蓮を包む青いシールドに真っ向から衝突し、激しい火花を散らして一斉に弾き飛ばされていった。



熊倉の『大嶽羆おおたけひぐま』の剛腕すら受け止めた絶対防御。



上級妖怪の放つ圧倒的な手数の暴力を、蓮はお紺との絆による壁で、ただ一歩も動かずに完全無効化してみせたのだ。



「なぁっ……!? 式神の形状を、防壁へと変形させただと……!?」



羅刹――三が驚愕に戦慄する。



だが、防ぐだけでは、懐には届かない。



ならば、次の目的は敵を討つこと。



蓮が蜂振を解除した刹那、お紺の青い霊力は霧散することなく、蓮の両手へと瞬時に収束・可変した。



これまでは一振りのみだった霊刀が、彼の渇望に応えるように、左右の手へと完全に分裂・固定される。



。――双刀武装『比礼振ひれぶり』の顕現。



「伏見の力を、舐めるなよ」



お紺との憑合の深度を極限まで深めた蓮の肉体に、人外の同調速度が宿る。



研ぎ澄まされる五感と霊力から繰り出す神速のステップ。



ここから、蓮の圧倒的な反撃が幕を開けた。



二振りの霊刀を交差させて泥を駆けると、蓮の姿は青い残像となり、圧倒的な手数の前に、羅刹の操り人形たちが紙切れのように次々と両断され、霧散していく。



爽快で圧倒的な無双戦。



左手の霊刀で地を這う人形の群れを円を描くように一網打尽に薙ぎ払い、生じた死角から迫る触手を、右手の霊刀が正確無比な速度で一瞬にして叩き斬る。



青い霊力の軌跡が荒野に閃光となって走り、あれほど蓮を包囲していた数百の軍勢が、まるで草刈りのように爽快に、悉く切り伏せられていった。



「小童があぁぁっ!」



軍勢をすべて消し飛ばされ、狂乱した羅刹――三が、残されたすべての妖力を触手に変え、全方位から退路を断つように一斉に刺し貫きにくる。



蓮の憑合の制限時間も限界が近かった。



全身の筋肉が軋み、視界が白むほどの過激な消耗。



だが、蓮の足は止まらない。



お紺の魂が、蓮の肉体を内側から力強く支えていた。



迫り来る触手の嵐の隙間を、二振りの霊刀で力任せに弾き飛ばしながら、正面突破の神速の踏み込みを仕掛ける。



最後の触手が蓮の太腿を浅く切り裂くが、蓮はその痛みを無視し、羅刹が肉体や妖力で防壁を張り直すコンマ数秒の猶予すら与えず、その本体の懐へと肉薄した。



交差する、二振りの青き一閃。



「が、あぁっ……!?」



蓮の放った十字の斬撃が、羅刹――三の強固な肉体を深く切り裂いた。



「これで…終いだ。」



鮮血の飛沫が泥の大地へと激しく飛び散る。



魂を切り裂かれた羅刹――三が、信じられないものを見る目で蓮を睨みつけながら、赤黒い泥の中へと激しく転がっていった。



同時に、空間の歪みが解除され、蓮を閉じ込めていた結界が霧散していく。



「……は、ぁ……っ」



お紺との極限の同調による反動が、蓮の肉体を襲う。



二振りの霊刀が静かに青い光となって消滅し、蓮は息を激しく荒くしながら、泥の床に崩れ落ちるように倒れ込んだ。



指一本動かすことすらできない極限の脱力。



その傍らに、元の姿に戻ったお紺が、心配そうに鼻先を蓮の頬に寄せて寄り添った。



蓮は辛うじて動く手でお紺の頭を優しく撫で、その温もりにフッと不敵な笑みを浮かべた。



(……終わったか。神崎、光矢崎、無事なんだろうな……)



二人の身を案じ、蓮が完全に意識を失う寸前。



視界の先で、最後の隔離空間を覆う悍ましい妖気の壁が激しく弾け飛んだ。



そこには、姿



『衣織、死ぬぞ! だが、その前にあの無礼な小僧を灰にしろ!』



脳内で、酒呑童子が凄まじい歓喜と共に吼える。


最高に熱い最終決戦の引きと共に、空間は衣織の禁忌の戦いへと収束していくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る