第6話 鉱床栽培
鉱石は、掘れば減る。
当たり前のことだった。
けれど、綾瀬結月がそれを本当の意味で理解したのは、百鉱晶洞を見つけてから、地脈の鼓動がいくつか巡った後だった。
フェラムの採掘量は増えていた。
鉄鉱石。
低純度魔鉱。
紅鉱片。
銀鉱片。
黒曜魔鉱片。
蒼晶と白晶の小片。
それらはルチルの金糸に束ねられ、第一蟻道を通ってアメシア本巣へ運ばれている。
鉱石台帳も整い始めた。
カルセが分類し、リラが記録し、ヴィオラが用途を整理する。危険な鉱石は封印棚へ。通常素材は備蓄区へ。食用鉱石は女王許可のもとで配分する。
アメシアは、確実に豊かになっていた。
だが、結月は胸の奥に小さな引っかかりを覚えていた。
このまま掘り続けていいのか。
鉱石は食料であり、建材であり、魔法触媒であり、進化素材だ。
だからこそ、ただ掘って食い尽くせば終わる。
鉄を取り尽くせば、建材がなくなる。
白晶を取り尽くせば、浄化と治癒が遅れる。
蒼晶を取り尽くせば、紅鉱火群の熱暴走を抑えられない。
ミスリルを取り尽くせば、蟻道通信の発展が止まる。
百鉱晶洞は巨大だ。
今のアメシアから見れば、底の見えない宝の海に見える。
けれど、宝の海にも限りはある。
『掘るだけじゃ駄目だね』
結月は、フェラム深部の作業区でそう言った。
周囲には、ヴィオラ、カルセ、モルカ、クリア、ガイア、フィーネ、ノエルが集まっている。
新しく生まれた専門個体たちは、まだ幼さを残していた。
それでも、すでに役割を持ち、働き始めている。
ガイアは地殻工匠蟻として岩盤補強を覚え、フィーネは晶糸織蟻として繭布と輸送袋を作り始めた。クリアは水晶浄水蟻として水脈の毒素を濾過し、モルカは菌床培養蟻として地下苔と菌類を育てる準備をしている。
ライカはシアンに伝令訓練を受けている最中だ。
落ち着きがないので、今は孵化室の外周を一定速度で走る訓練をさせられている。
ノエルはミントと一緒に、外殻の擦り傷や魔力疲労を治す練習をしていた。
そしてアルマは、結月の斜め後ろに静かに控えている。
王晶近衛蟻。
生まれたばかりとは思えないほど落ち着いていて、常に周囲の魔力を見ている。結月が少し動けば、アルマの触角もわずかに動く。
護衛としては完璧に近い。
ただし、結月が「休んで」と言わない限り本当に休まない。
そこは今後の課題だった。
『女王陛下』
ヴィオラが紫晶戦術盤を展開した。
『現在の採掘速度を維持した場合、フェラム周辺の低位鉄鉱脈は二十七地脈周期で枯渇します。紅鉱片はさらに早く、十三周期以内に採掘効率が低下する見込みです』
『思ったより早い』
『百鉱晶洞本体へ深く入れば資源量は桁違いですが、晶殻蜘蛛の巣域、古代女王因子、地脈過飽和の危険が残ります。現段階で深部採掘へ移行するのは推奨できません』
『じゃあ、入口周辺の鉱石を増やしながら使う方法が欲しい』
結月が言うと、モルカがぽてっと前に出た。
菌床培養蟻のモルカは、丸い腹部に淡い緑の菌糸袋を持っている。戦闘向きではない。移動も速くない。けれど、地下の匂いをよく感じ取り、毒と栄養の違いを見分けるのが得意だった。
『石、育ちます』
モルカの念話は、ゆっくりしている。
でも、その一言で周囲が静かになった。
『石が、育つ?』
結月が聞き返す。
『はい。石、粉にします。菌、食べます。魔力、水、混ぜます。小さい芽、出ます』
『鉱石の芽?』
『出ます』
モルカは当然のように言った。
結月はヴィオラを見た。
ヴィオラの紫晶板が高速で明滅している。
『本能記録を検索しています。該当概念あり。鉱甲蟲の古い巣では、鉱石粉、魔物残滓、地脈魔力、鉱食菌を用いた低位鉱床再生が行われていた可能性があります』
『鉱石農業……いや、鉱業? 農業?』
『分類不能です』
ヴィオラは一瞬だけ迷ったように言った。
『仮称として、鉱床栽培を提案します』
『それがいい』
結月は即答した。
鉱床栽培。
掘って終わりではない。
育てる。
増やす。
再生させる。
それができるなら、アメシアはただの採掘国家ではなくなる。
資源を食い潰す災害ではなく、地下に鉱床を育てる文明になれる。
『モルカ、何を育てられる?』
モルカは少し考えるように触角を揺らした。
『簡単なの、鉄晶芽。次、白晶苔。水あれば蒼晶滴。火あれば紅鉱粒。紫晶は、魔力たくさん。雷晶は危ない。ミスリル、まだ無理』
『なるほど』
結月は頷いた。
最初から高位鉱石を増やすのは無理。
でも低位鉱石や補助鉱石を育てられるなら十分だ。
鉄晶芽が育てば建材と通常兵の外殻強化に使える。
白晶苔が増えれば浄化、治療、衛生が安定する。
蒼晶滴が増えれば水脈管理と冷却に使える。
紅鉱粒が増えれば火力と保温、炉に使える。
紫晶は記録と演算に必要だが、魔力を多く使うなら少量から試験するべきだ。
『決めよう』
結月は戦術盤の上に前脚を置いた。
『アメシアが育てる鉱物は、まず五種類』
ヴィオラが記録態勢に入る。
『一つ目、鉄晶芽。建築と兵隊蟻用。二つ目、白晶苔。医療と衛生用。三つ目、蒼晶滴。水と冷却用。四つ目、紅鉱粒。炉と防衛用。五つ目、紫晶芽。記録と魔法研究用。ただし紫晶芽は少量試験』
『優先順位は妥当です』
ヴィオラが言う。
『生存基盤、生活基盤、軍事基盤、研究基盤の順に整備できます』
『場所は?』
結月が聞くと、ガイアが前に出た。
『地盤、見ます』
地殻工匠蟻のガイアが床に前脚を置く。
灰色の魔力が岩盤を伝い、フェラムの周辺地形が立体的に浮かび上がった。
『ここ、硬い。畑には向かない。ここ、湿りすぎ。崩れます。ここ、安定。水、近い。魔力、薄いけど流れます』
ガイアが示したのは、フェラムから少し南へ伸びた小空洞だった。
アメシア本巣とフェラムの中間に近く、蟻道からも外れていない。
水脈にも遠くない。
『そこを鉱床栽培区にする』
結月は決めた。
『名前は……第一晶畑』
リラがすぐに記録する。
新規施設候補:
第一晶畑
目的:
鉄晶芽、白晶苔、蒼晶滴、紅鉱粒、紫晶芽の試験栽培
担当:
モルカ、ガイア、クリア、フィーネ、ホムラ、ビアンカ、カルセ
『畑、作ります』
モルカの触角が嬉しそうに揺れた。
『柱、立てます』
ガイアが言う。
『水、引きます』
クリアが続く。
『糸で支えます』
フィーネが透明な晶糸を伸ばした。
『温度、見る』
ホムラが孵化室から念話を送る。
結月はみんなを見渡し、静かに言った。
『これは採掘と同じくらい大事な仕事。戦闘じゃないけど、アメシアの未来を作る仕事だからね』
モルカたちは一斉に頭を下げた。
『女王陛下の御意志のままに』
その返事を聞いて、結月は胸の奥が少し熱くなった。
第一晶畑の造成は、思っていたよりも大掛かりな作業になった。
まずガイアが地盤を整えた。
《地殻縫合》。
灰色の魔力が岩盤のひびへ流れ込み、脆い部分を縫い合わせる。岩と岩の隙間が閉じ、床が滑らかになる。
次に《岩柱生成》。
ガイアが前脚を打ち込むと、床から太い岩柱がゆっくりと伸びた。天井へ届く前に止まり、空洞全体を支える支柱になる。
大きな音はしない。
岩がうめくように低く鳴り、空洞が安定していく。
結月はその様子を見て感心した。
『ガイア、すごい。建築班の中心になれるね』
『支えます。落ちません』
ガイアは短く答える。
作業を続けるうちに、ガイアの甲殻が淡く光った。
ガイア
地盤補強作業により経験蓄積。
Lv18 から Lv20
生命力:820 から 910
魔力量:540 から 610
筋力:760 から 845
防御:1100 から 1250
敏捷:260 から 275
知力:420 から 455
感知:500 から 560
《地殻縫合》Lv1 から Lv2
新技能:《崩落予兆感知》を取得
『レベル上がった』
結月が嬉しそうに言うと、ガイアは少しだけ触角を揺らした。
『もっと支えられます』
『でも休むのも仕事だからね』
『休みも、支えます』
『休みは支えなくていいかな』
次にクリアが水脈を引いた。
水晶浄水蟻であるクリアは、青白い触角を岩壁に当て、水の流れを探す。
《水晶濾過》。
岩の奥から染み出した水が、クリアの水晶膜を通って清められる。毒性の鉱物成分は沈殿し、必要な魔力水だけが小さな溝へ流れた。
ガイアが作った細い水路を、クリアの水が通っていく。
フィーネが晶糸で水路の縁を補強し、コハクが樹脂で漏れを塞ぐ。
クリアの身体もまた淡く光った。
クリア
水脈浄化および水路形成により経験蓄積。
Lv17 から Lv19
生命力:620 から 690
魔力量:880 から 990
筋力:280 から 300
防御:500 から 545
敏捷:430 から 470
知力:610 から 690
感知:820 から 940
《水晶濾過》Lv1 から Lv2
《清流膜》Lv1 から Lv2
『水、増えました』
『水があると、白晶苔と蒼晶滴が育てやすいんだよね?』
『はい。水、命です』
『本当にそう』
フィーネは晶糸を張った。
ただの糸ではない。
《晶糸紡ぎ》。
透明な魔力糸が空洞の壁と岩柱を結び、鉱石の苗床を支える格子になる。細いのに強く、光を受けると虹色に輝いた。
さらに《繭布補強》を応用し、白晶苔が定着しやすい柔らかな繊維床を作る。
結月はそれを見て、思わず言った。
『これ、農業用ネットみたい』
『ネット』
フィーネが不思議そうに繰り返す。
『支える網ってこと』
『支えます。包みます。育てます』
フィーネの晶糸がさらに細かくなる。
フィーネ
晶糸支柱および鉱床繊維床の生成により経験蓄積。
Lv16 から Lv18
生命力:540 から 600
魔力量:760 から 875
筋力:250 から 275
防御:420 から 470
敏捷:520 から 585
知力:690 から 780
感知:650 から 735
《晶糸紡ぎ》Lv1 から Lv2
新技能:《晶糸支柱》を取得
モルカは、その中央で菌床を作った。
翠毒鉱の低毒片を粉にし、地下苔を混ぜ、白晶粉で毒を薄め、クリアの清水を加える。
それをモルカが腹部の菌糸袋で包むと、淡い緑の菌床が生まれた。
《菌床生成》。
床に敷かれた菌床は、ただの苔ではない。
鉱石粉をゆっくり分解し、魔力を濃縮し、結晶の芽を育てるための生きた土台だった。
『ここに、鉄粉。ここに白晶粉。ここ、蒼晶水。ここ、紅鉱粉。紫晶、少しだけ』
モルカはゆっくり指示を出す。
カルセが素材を渡し、リラが分量を記録する。
結月はその横で、真剣に見ていた。
これは戦闘ではない。
派手な魔法でもない。
けれど、アメシアにとっては戦いと同じくらい大事だった。
『魔力、ください』
モルカが結月を見る。
『女王魔力?』
『少し。芽、起きます』
『分かった。少しだけね』
結月は《王巣領域》を薄く広げた。
紫黒の魔力が第一晶畑の床へ染み込む。
モルカの菌床が淡く光った。
そこへ、クリアの水、ホムラの温焔、ビアンカの白晶浄膜、フィーネの晶糸支柱が重なる。
モルカが前脚を床に当て、スキルを発動した。
『《鉱食菌培養》』
翠色の魔力が広がる。
菌床が静かに脈打つ。
鉄鉱粉が沈み、白晶粉が光り、蒼晶水が冷たく輝く。紅鉱粉の周囲にはホムラの温焔が柔らかく灯り、紫晶粉の区画にはヴィオラが紫晶戦術盤から安定魔力を流した。
しばらく何も起きなかった。
全員がじっと見守る。
ライカだけが走り出しそうになって、シアンに止められていた。
やがて、鉄鉱粉の区画から小さな突起が出た。
黒灰色の芽。
植物の芽ではない。
鉱石の芽だ。
鉄晶芽。
結月は思わず触角を立てた。
『出た……!』
続いて、白晶粉の区画に薄い白い苔が広がる。
白晶苔。
蒼晶水の水路には、青い雫のような結晶が一粒、二粒と生まれる。
蒼晶滴。
紅鉱粉の温かい区画には、小さな赤い粒が火種のように灯った。
紅鉱粒。
紫晶区画だけは反応が遅かったが、やがて針のような小さな紫の結晶が一本だけ伸びた。
紫晶芽。
モルカの身体がふわりと光る。
モルカ
鉱床栽培の初期成功により大幅な経験蓄積。
Lv15 から Lv19
生命力:680 から 790
魔力量:720 から 910
筋力:260 から 300
防御:500 から 565
敏捷:240 から 260
知力:740 から 880
感知:880 から 1040
《菌床生成》Lv1 から Lv2
《毒素分解》Lv1 から Lv2
新技能:《鉱食菌培養》を取得
新技能:《鉱床芽吹き》を取得
モルカは小さく跳ねた。
『育ちました』
『すごい、モルカ! 本当に育った!』
『もっと育てます』
『うん。でも管理しながらね』
ヴィオラが即座に計画を更新する。
『第一晶畑の成功により、採掘依存度を低下できます。ただし成長速度は遅く、現時点では採掘の代替ではなく補助です』
『それでいい。最初から全部まかなえるとは思ってない』
『量産には複数の晶畑が必要です』
『ガイア、増設できる?』
『できます。地盤、探します』
『クリア、水は?』
『小水脈、二つあります。引けます』
『フィーネ、支柱は?』
『作れます。糸、足ります』
『モルカ、菌床は?』
『増やせます。でも翠毒、もっと必要』
結月は頷く。
『じゃあ、次の目標は翠毒鉱の安全採掘。ミントと組んで、毒を管理しながら取る』
ミントが本巣から答える。
『準備します。毒を薬と菌床に分けます』
第一晶畑は、小さい。
けれど、その価値は巨大だった。
アメシアはついに、鉱石を掘るだけではなく、育て始めたのだ。
鉱床栽培が成功したことで、アメシアの次の課題もはっきりした。
食料と鉱石は、少しずつ安定させられる。
施設も増やせる。
配下の役割も広がっている。
なら次は、外へ出る準備だ。
魔物を狩る。
ただし、闇雲に戦うのではない。
狩りは資源獲得であり、訓練であり、周辺安全確保でもある。
魔物肉は幼体や一部専門個体の栄養になる。
魔石は卵や魔法研究に使える。
外殻や牙は建材や装備になる。
そして、魔物を倒せば戦闘個体のレベルが上がる。
アメシアは守るだけでは足りない。
いつか人間や晶殻蜘蛛、他の鉱甲蟲群とぶつかる日が来る。
その前に、戦う準備を整えなければならない。
結月は女王中枢室で戦闘準備会議を開いた。
参加するのは、ヴィオラ、シアン、クロム、グラナ、ルビア、アルマ、アズル、オブシア、ノエル、ミント、ライカ。
戦術盤には、アメシア周辺の地下生態図が映っている。
『狙う魔物は?』
結月が聞くと、アズルが偵察情報を出した。
『北東外周に岩牙鼠の群れ。数、十五から二十。脅威低。魔石小。外殻なし』
『訓練にはいいけど、資源は少なそう』
『南側水脈付近に毒泥蛞蝓。数、不明。毒性高。ミント、モルカには有用』
『危険度が高い。今は避けたい』
『西の黒曜裂け目に晶爪蜥蜴。数、三。硬い外皮。魔石中。攻撃性中。単体戦闘訓練に適します』
ヴィオラが反応する。
『晶爪蜥蜴を推奨します。数が少なく、素材価値があり、現在のアメシア戦力で対応可能です。ただし爪に魔力切断効果があるため、前衛の防御訓練が必要です』
『晶爪蜥蜴か』
結月は戦術盤を見る。
黒曜裂け目はフェラムから少し離れた場所にある。
蟻道はまだ繋がっていない。
だが、アズルとオブシアが偵察済みで、帰路も確保できそうだった。
『狩りに行く前に、準備する』
結月は言った。
『まず戦闘班の編成』
ヴィオラが紫晶板に候補を表示する。
第一狩猟班候補
指揮:ヴィオラ遠隔補佐、シアン通信中継
前衛:クロム、バサルト
火力:グラナ、ルビア、フラム
奇襲:オブシア
偵察:アズル、ライカ
近衛:アルマ
医療:ノエル、ミント後方待機
女王:本巣より群体指揮、必要時のみ前線接続
『私は行かない方がいい?』
結月が尋ねると、ほぼ全員から同時に念話が返った。
『行かないでください』
『危険です』
『本巣にいてください』
『女王陛下は中枢です』
『我が行きます』
アルマまで静かにそう言った。
結月は少しだけ不満だった。
戦えないわけではない。
むしろ、結月本人のステータスは配下より圧倒的に高い。
だが、女王が直接狩りに出る必要はない。
配下が育つには、配下自身が経験を積む必要がある。
『分かった。今回は私は本巣から指揮。アルマは?』
『女王陛下の近衛として本来は御側にいるべきですが、初の実戦訓練として前線参加を希望します』
アルマの念話は落ち着いている。
『ただし女王陛下の許可がある場合のみ』
『ヴィオラ、どう?』
『アルマの実戦データは必要です。ただし単独突出は禁止。クロムと連携し、前衛補助として動かすべきです』
『採用。アルマ、無茶しないこと』
『御意。守るために戦います』
次に装備。
アメシアの鉱甲蟲たちは基本的に外殻そのものが武器であり防具だ。
だが、フィーネの晶糸とガイアの地殻技術で、簡易装備が作れるようになっていた。
フィーネが作った《晶糸帯》は、脚や関節を保護し、魔力を通す。
ガイアが作った《鉄晶爪覆い》は、前脚の爪を補強する。
クリアの蒼晶水を染み込ませた《蒼晶冷布》は、紅鉱火群の熱暴走を抑える。
ノエルとビアンカが共同で作った《白晶応急膜》は、外殻の小さな傷を塞ぐ応急処置用の薄膜だった。
結月は装備を並べて確認する。
『これ、もう装備工房だね』
『晶糸工房の正式運用を提案します』
ヴィオラが言う。
『フィーネとガイアの共同担当にすれば、戦闘班の生存率が上がります』
『やろう』
フィーネが嬉しそうに晶糸を揺らす。
『守る布、作ります』
ガイアも頷く。
『爪、強くします』
フィーネとガイアにも経験が入る。
フィーネ
狩猟用晶糸装備の作成により経験蓄積。
Lv18 から Lv19
魔力量:875 から 940
知力:780 から 830
感知:735 から 790
新技能:《晶糸防帯》を取得
ガイア
鉄晶爪覆いの作成により経験蓄積。
Lv20 から Lv21
筋力:845 から 890
防御:1250 から 1335
知力:455 から 490
新技能:《鉄晶補装》を取得
結月は表示を見て満足した。
戦闘に出なくても成長する。
これが大事だった。
アメシアの力は、戦場だけで育つものではない。
工房で、畑で、水路で、孵化室で、医療室で、みんなが成長する。
『次、訓練』
結月は防衛曲道の先にある訓練空洞へ移動した。
訓練空洞は、ガイアが補強し、トウカが照明を置き、セキラが熱結界を張った場所だった。
壁には硬い岩柱が並び、晶爪蜥蜴を想定した標的が作られている。オニキスが黒曜石を削って作った疑似爪も設置されていた。
クロムとバサルトが前に立つ。
グラナとルビアが後ろに控える。
フラムは火力を抑える訓練中。
アズルとライカは左右の壁を走り、オブシアは影に消えている。
アルマは中央後方。
女王を守る位置と、前衛を補助する位置の中間に立っていた。
『晶爪蜥蜴は、正面から爪で切ってくる。クロムは受ける。バサルトは押し返す。グラナとルビアは横から足を焼いて動きを止める。オブシアは背後から魔石位置を狙う。アズルとライカは敵の動きを報告。アルマは誰かが崩れた時だけ入る』
結月の命令が飛ぶ。
『全員、生存優先。討伐より帰還。魔石より命。いいね?』
『御意』
訓練が始まった。
ガイアが動かす岩の標的が、晶爪蜥蜴のように前進する。
クロムが受ける。
疑似爪が鋼殻に当たり、火花が散る。
バサルトが横から重く押し、標的の姿勢を崩す。
グラナが《紅蓮顎》を寸前で止め、熱だけを足元に流す。
ルビアが《紅晶指揮》で紅鉱火群の火力をまとめ、フラムの火が暴れないよう抑える。
オブシアが影から現れ、標的の背へ黒殻の一撃を入れる。
アズルが動きを報告する。
ライカは速すぎて一度標的を追い越し、シアンに念話で注意された。
『ライカ、戻りすぎです』
『速すぎました!』
『速度を落とすのも技術です』
『学びます!』
結月は思わず笑いそうになった。
けれど訓練は真剣だった。
アルマはほとんど動かない。
ただ、クロムの姿勢がわずかに崩れた瞬間だけ、静かに前へ出た。
《王晶護衛》。
紫黒の装甲が一瞬広がり、クロムの横に盾のような魔力壁を作る。
続いて《銀脈連携》。
アルマの白銀脈がクロムとバサルトへ繋がり、二匹の防御姿勢が整った。
結月の複眼が輝く。
『アルマ、今のすごい』
『前衛の崩れを補正しました。女王陛下の御身を守るためには、周囲の盾が崩れないことが重要です』
『考え方が近衛だね』
『近衛ですので』
訓練が終わる頃には、戦闘班にも成長が見えた。
クロム
防御訓練により経験蓄積。
Lv16 から Lv17
生命力:1200 から 1290
防御:1850 から 2010
筋力:980 から 1035
《鋼殻守陣》Lv1 から Lv2
グラナ
火力制御訓練により経験蓄積。
Lv15 から Lv16
魔力量:980 から 1060
筋力:1040 から 1115
感知:620 から 660
《紅蓮顎》Lv2 から Lv3
ルビア
紅鉱火群の統制訓練により経験蓄積。
Lv15 から Lv17
魔力量:1120 から 1260
統率:640 から 790
精神:700 から 805
《紅晶指揮》Lv1 から Lv2
ライカ
高速伝令訓練により経験蓄積。
Lv20 から Lv21
敏捷:1320 から 1480
感知:910 から 1005
精神:380 から 410
《雷脚疾走》Lv1 から Lv2
新技能:《急停止》を取得
アルマ
近衛連携訓練により経験蓄積。
Lv31 から Lv32
生命力:1850 から 1960
魔力量:2100 から 2240
防御:2600 から 2780
知力:1350 から 1425
感知:1420 から 1510
《王晶護衛》Lv1 から Lv2
《銀脈連携》Lv1 から Lv2
『ライカ、《急停止》覚えたんだ』
『止まれます!』
ライカが誇らしげに言った。
シアンが冷静に返す。
『まだ滑っています』
『もっと止まります!』
『よし。狩りに行くなら急停止は大事』
結月は訓練結果を見て頷いた。
まだ完璧ではない。
でも、準備は進んでいる。
兵力を貯める、というのは数を増やすだけではない。
役割を整え、装備を作り、訓練し、帰還方法を決め、負傷時の治療手順を作ることだ。
戦う前に、戦った後のことまで決めておく。
それがアメシアのやり方になる。
『ノエル、医療体制は?』
結月が聞くと、ノエルが静かに前へ出た。
『白晶応急膜、六枚。命脈安定薬液、三回分。外殻修復用白晶粉、少量。重傷時は本巣へ搬送が必要です』
『搬送はルチルとフィーネの晶糸担架かな』
ルチルが答える。
『運べます。二匹まで同時搬送可能』
フィーネも続く。
『担架、作りました。揺れ、少ないです』
『完璧』
結月は満足した。
『狩猟班には、絶対に無理をさせない。負傷したら撤退。倒せそうでも撤退。命令違反は禁止』
『御意』
全員が返す。
その時、アズルから偵察念話が入った。
『女王陛下。黒曜裂け目の晶爪蜥蜴、移動確認。三体のうち一体が単独行動。狩猟対象として適切』
ヴィオラの戦術盤が即座に更新される。
『好機です。単独個体であれば、初狩猟に適しています』
結月は少し考えた。
訓練はした。
装備も整えた。
医療体制もある。
晶畑の初期管理はモルカたちに任せられる。
なら、次は実戦だ。
ただし、今すぐ無理に突っ込むのではない。
作戦を決める。
『狩猟班、準備。対象は晶爪蜥蜴一体。目的は討伐だけじゃない。戦闘訓練、素材回収、負傷対応、帰還まで全部確認する』
結月は一匹ずつ見た。
『クロム、正面を受ける。バサルト、押し返す。アルマ、崩れた箇所を補助。グラナ、ルビア、足を止めるだけ。燃やしすぎない。オブシア、魔石位置を狙う。アズル、ライカ、逃走経路と敵増援を確認。ノエルは後方。ミントは毒確認。シアンは通信。ヴィオラは戦術補佐』
『御意』
アルマが前へ出る。
『女王陛下。必ず全員を連れて帰ります』
結月はその言葉に、ゆっくり頷いた。
『うん。勝つことより、それが大事』
狩猟班が動き出す。
第一蟻道を通り、フェラムを抜け、黒曜裂け目へ向かう準備が整う。
トウカの灯火が先を照らし、シアンの白銀念話が全員を繋ぐ。フィーネの晶糸防帯が脚を守り、ガイアの鉄晶補装が爪を強め、クリアの蒼晶水が紅鉱火群の熱を抑える。
ノエルは白晶応急膜を背に固定し、ミントは薬液を持つ。
モルカは第一晶畑に残り、鉄晶芽と白晶苔を見守る。
『モルカ、畑お願い』
『育てます。帰ってきたら、芽、増えてます』
『楽しみにしてる』
結月は本巣中枢へ戻った。
自分は前線には出ない。
その代わり、全員の感覚をつなぎ、魔力の流れを見守る。
《群晶女王権》を薄く開き、《蟻道接続》を通じて狩猟班へ意識を伸ばす。
アズルの視界。
ライカの速度。
クロムの重い足取り。
グラナとルビアの抑えた炎。
アルマの静かな警戒。
ノエルの優しい白晶魔力。
全部が結月の中へ流れ込む。
巣は一つの身体だ。
その身体が、初めて計画的な狩りへ向かう。
恐怖はある。
けれど、準備した。
みんなで考えた。
無理をしないと決めた。
結月は紫晶の複眼を閉じるように細め、念話を送った。
『第一狩猟班、出発』
アメシアの配下たちが、静かに動き出す。
地下の暗闇へ。
晶爪蜥蜴のいる黒曜裂け目へ。
鉱石を育てる国が、次に必要としたのは、魔物を狩る力だった。
そしてその力は、ただ奪うためではない。
巣を守るため。
仲間を育てるため。
帰る場所を、もっと強くするためだった。
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