第9話 弟 神崎隼人



遺品整理は毎週土曜日と日曜日、午後五時まで。

余力があれば金曜の夜もやってもいいが、夜十時までという決まりが出来た。

ただし、絶対に一人ではなくやること……とも。

それは探し物を取られない様にするルールなのか、それとも、お互いを監視する為なのかはわからなかったけど、父さんも母さんも姉貴も承諾したのを見ると複数人いる事は都合が悪い事じゃないらしい。

家の中、しかも家族との話なのに、聞き耳を立てて探りをいれている探偵のような気分だった。いつもなら美味しい味噌汁の味が半分以上感じられなくて、なるべくなら次回以降作戦会議はやめてほしいな、なんて思った。

あと、必ずスリッパを履く事も追加された。

これは僕が怪我をしたからだとすぐにわかった。

傷は幸いにも生活にほとんど支障はでなかったけど、部活には少しだけ支障が出ている。

小学生の頃からやっている剣道。

友達がやっている剣道を僕はずっと、カッコいいと思っていた。

子供が木の枝を伝説の剣に見立てて勇者ごっこをする感覚、それに近かった。

母さんは僕を友達が通っている道場の見学に連れて行ってくれて、友達が技を決めた瞬間は、魔王を倒す勇者のように見えた。

先生に左目が見えない事を言っても、拒否をせず「困った事があれば何でも言いなさい」と言ってくれた事が入門の決め手になった。

片目が見えなくても出来る。

それが子供の頃の僕には嬉しくて、楽しくて、気がついたら大会にも出ていて、賞までもらっていた。

先生は歴史が好きだったみたいで、片目が見えなくて剣道をやっている僕を「伊達政宗」から名前をとって「政宗」と呼ぶようになる。

友達は「カッコいい!」って言って、学校でもそう呼ぶ様になったからその日から僕は白くてヒョロヒョロの「もやし」から「政宗」になっていた。

それが男心に火をつけたみたいで、剣道と僕を出会わせてくれた友達は「伊達政宗の事調べたら、相棒がいたらしいよ。俺その相棒の片倉小十郎になる!」って言いながらお互いを、政宗、小十郎、とニックネームで呼び合った。

小学六年生の時に老朽化で道場が解体されたものの、中学生になる時期だったからすぐに剣道部に入って、ほぼ切れ目無く剣道を続けている。

中学生なった今でもふざける時はそう呼んでいて、部活中はもっぱらその呼び名で呼び合っていた。

剣道は高校生になっても、もちろん続けようと思っている。

だからあのガラスが刺さった後の部活は、技を踏み込む時にチクリとして軸がブレた。

「政宗でもそんな事あるんだな」

始まってすぐは何ともなかったのに、後輩達と試合を続けるうちにどんどん痛み始めていて、体育館の壁に背中を預けて剣道着を一つずつ外していく。

歩くのだって、ついには足をかばいながらになっていた。

甲手、その後に面を外す。

顔から噴き出してる汗が一気に空気に触れて、冷たくて気持ちよかった。

足袋を脱いで確認すると母さんが大げさに巻いた包帯は、ほんの少し赤くなっていた。

「うわ、血ぃ出てんじゃん。保健室……は、土曜やってないよな」

「先生に言って、絆創膏だけ貼り替えてくるよ」

「いや早退した方がいいって。さっきだって、普通に歩けてなかったじゃん」

土曜日の午前部活練習。

この夏で三年は引退だけど、だからこそ二年生を指導するんだと先生は言っていた。本当は僕も遺品整理をしていたい。

剣道がしたくないわけじゃない。

大好きだし、片目さえ見えていれば今頃僕は部長をやっていた。

クソジジイが死んだあの日、二年生は強制的に全員参加のトーナメント戦をして次期部長を決める日だった。

通常ルールの三本勝負、二本先取りで進む形式。

順調に勝ち進んで、少しだけ嫌な予感がしていた。

決勝戦で対決した相手は小十郎。

最後の一本は時間ギリギリで僕がとって優勝して、小十郎は喜んでいたけど僕はかなり複雑な心境だった。

『片目が見えないヤツを部長にしてるなんて他校に知られたら、そいつより弱いんだって皆がバカにされるよ。そしたら新入生も入って来れないから、僕の代わりに部長になってよ』

正直なことを言えば、僕は部長になりたいわけじゃない。

強制参加じゃなければそもそも試合になんて出なかった。

高校進学で推薦とか面接でそれらしい事を言う材料になればいいなとは思ったけど、それでも優勝するとまでは想像していなかった。

『でも……勝ったのは政宗だし…………』

『僕を政宗って呼ぶなら、なおさら部長になってほしい。小十郎なんだから』

伊達政宗に仕えていた片倉小十郎、なら政宗の命に従わなければ。

『……じゃあ、副部長は?』

『それでも片目が見えないんじゃ、バカにされるよ』

その後渋々承諾してくれて、僕は三年生なのに何のポジションにもつけなかった人、野球で言うベンチになった。最終判断で先生にも判断を仰いでみたら『神崎がそう言うなら文句は無い。部長の座を引き継いだからには精進する様に!』と小十郎が正式に次期部長になる事が決定した。

小十郎はキョロキョロしながら顧問の先生を探して、見つけたのか手を挙げた。

「先生! まさむ……神崎を早退させてもいいですか?」

「何があった」

「足を怪我してるんです。血も出ていて、歩くのも辛そうで……」

「……そうだな。神崎、早めに治しておきなさい。膿みでもしたら部活どころじゃない」

「すみません……。ありがとうございます」

立ち上がる時に足が痛んでよろけた瞬間、小十郎が支えてくれた。

「これじゃ、ホントに政宗と小十郎みたいだな」

「剣で切られるのいやだなぁ」

「ホント、早く治せよ? 俺一人じゃ寂しいしさ」

「うん……ありがとう。ごめんね」

「いいって。午前部活だし、あと一時間ぐらいだしさ。マジで無理すんなよ?」

おとなしく小十郎の肩を借りて更衣室に行って着替える。

面に消臭スプレーをこれでもかって程にふりかけた。

そう、むせるぐらい、遠慮なく。

袴はなんとか洗えてもこの面だけはどうにも洗えない。

本当は良くないんだろうけど、僕の中学ではこのやり方で名ばかりの『清潔』を保っている。男子中学生の体臭がドラックストアで数百円の消臭スプレーで消えるなら、いくらでも噴射しようと思った。

隠し持ってきているスマホの電源を入れて、通知がないか見ると姉貴からメッセージが来ていた。

『今日の片付け終了! 自由時間だよー!』

その吹き出しの下には、姉貴が好きなクマだか犬だかよくわからないキャラクターがぴょこぴょこ跳ねているスタンプがあった。

『帰りに田村のおばちゃんのトコ寄って、お昼ご飯受け取ってきて。お金は夕方お母さんが持って行くって伝えといてねー』

田村のおばちゃん。

僕が生まれる前からある、お惣菜屋さんのおばちゃん。

きっと遺品整理でお昼を作る暇もなかったんだと思う。

お金が後払いなのは、良くも悪くも田舎だからだろうなと思った。

真っ黒な豆腐を大きくしたようなリュックを背負って、足をかばいながら駐輪場へ行く。駐輪場は体育館のすぐ横で、小十郎が僕の代わりに二年生の稽古に付き合っているのが見えた。

本当に、早く治さないと。

スタンドを寝かせて、怪我をしていないかかとを使ってペダルを漕いだ。

どんどんスピードが上がる。

もう春のにおいがしない風が僕を通り過ぎて、どこか少しだけ夏らしいにおいのする風が僕の肺いっぱいに酸素を届けて、二酸化炭素と交換してくれる。

僕は考えた。

『遺品整理じゃないのかも』と思ったあの日の疑念は、平日が一日、また一日と過ぎるごとに確証になっていっていた。

その証拠に平日のゴミの日に収集所に持って行っているのは、キッチンにまとめられた『僕達が』出したゴミだけだったから。

あの部屋の物は何一つゴミに出されていない。

部屋から玄関へ、ただ移動しただけだった。

何年も前の電気代や水道代の領収書ですら捨てずに取っているぐらい、何一つ捨てていない。あの部屋のゴミ箱だって、中身を捨てないでそのままにしてある。

あの部屋の中に、きっと父さん達が探している物がある。

それが僕が探しているものと同じなのかは分からない。

それと、少なくとも父さんと僕は、探しているものが違う事だけはわかった。

は、本や雑誌に紛れ込むぐらい薄くてペラペラなんかじゃない。何度かクソジジイに言われて掃除させられた事があったけど、軽そうな見た目に反して想像以上に重かった。

真夜中の捜索も相変わらず続いている。

父さんは、何を探しているんだろう。

母さんもだ。母さんも、何を探しているんだろう。

姉貴はどうして手伝ってくれているんだろう。

しかも、ずっと母さんと一緒に片付けている。

探しているものは、一緒なのかな?

「あー! 隼人ちゃん!」

大きな声に僕の体はビクッと震えた。

後ろから聞こえた声と、通り過ぎた建物を見て焦った。

『田村総菜店』。

いけない……考えすぎて、姉貴のお使いをすっぽかす所だった。

自転車を脇へ置いて、開けっ放しのガラス戸から入る。

「ごめんなさい、通り過ぎちゃった……」

「いいのよー。あと少しで出来るからね。そこ、座って待ってて」

「あ、お金は夕方に「夕方ね、りょーかい!」

僕が言い終わるより前に把握したおばちゃんは、ニコニコしながら「そこの飴ちゃん食べていいわよ」と指差した。小さい子供が来た時にサービスで渡している飴がカゴにどっさり入っている。

僕……もう、そういう年じゃないんだけどな。

でも、お腹減ってるし一つだけ。そう、お腹が減ってるから仕方なく。

おばちゃんの好意を無駄にしちゃ悪いし。仕方なく一つだけもらうんだ。

手作りのポンポンをつなげたような座布団がしかれた長椅子に座って、飴を口に放り込んだ。シャリシャリのイチゴミルク味。姉貴と僕でここへお使いに来た時は、必ずイチゴミルク味を食べていた。

一つしか無いときは姉貴は必ず僕に譲ってくれてたっけ。

『隼人、イチゴミルク味好きだからあげる。おねーちゃんは紅茶味!』

大人ぶって紅茶味の飴を食べた姉貴は次第に顔が渋くなって、おばちゃんが笑ってた。梅干しを食べてるような顔をして『おいしいよ』って無理して言っていて、そんな姉貴を見たおばちゃんが奥から新しいイチゴミルク味の飴を二つ、姉貴に握らせた。

『弟思いの茜ちゃんには、おばちゃんからサービスね』

紅茶味の飴は吐き出して良いんだよと言っていても『茜、お姉ちゃんだもん』って言って、結局家に帰るまで渋い顔をしていた。

「そういえば隼人ちゃん、今年受験生だっけ?」

「はい……あと、姉貴も」

「あらまぁ、二人とも? そっか三歳差だったね。よし、待ってな!」

「…………?」

「おーい帰ったぞぉ。おやハヤ坊か! あれまぁ色男になっちまって!」

「おじちゃん、足は大丈夫?」

「あぁこの通りさ。ほれ、見てみ!」

田村のおじちゃんは僕の前でスキップしてみせる。

おじちゃんは一ヶ月ぐらい前に転んで骨折して、お店に立てなくなっていた。

その間はおばちゃんが一人で全部切り盛りしていて、都会に行った息子さんが一時的に来てくれて何とかなったと、おじちゃんは教えてくれた。

「お父さん、隼人ちゃんね、今年受験なんですって!」

「あれま受験か! どこ受けるんかね」

「えっと……ここから通える高校の中で、一番剣道が強いところ」

「そうかそうか。あーんなに小さかったハヤ坊が、もう高校生かぁ」

「まだ中学生だよ」

「あっちゅー間に高校生になっちまうさ。タバコ……は、駄目だな、未成年の前だ」

タバコに火をつけようとしていたおじちゃんは、僕を見て火をつけるのを止めた。そうだ、おじちゃんなら何か知ってるかもしれない。

「おじちゃん」

「ん?」

「おじちゃんはタバコ吸ってるよね」

「おぉ。あ、駄目だぞハヤ坊。酒とタバコは二十歳からだ」

「お父さんが言ったって説得力無いですよ!」

「わしは今ハヤ坊と喋っとるんだ。母さんは黙っとれ、しっしっ」

ちょっと言葉が良くないのにニコニコしたやり取り。僕の家では絶対にない会話。仲が良くて羨ましいな。クソジジイだったら今頃灰皿を投げつけるか、湯のみを投げている。

…………止めよう『クソジジイだったら』なんて考えるのは。心に良くない。

「どうしたハヤ坊、何か悩んどるんか?」

「あ……えっと、おじちゃんは、ってどこに置いてる?」

「灰皿?」

心臓がバクバクする。

耳元で僕の心が焦るのを楽しんでる様に、嫌な心拍が響くのが分かる。

飴を奥歯で噛み砕いて、おじちゃんにまた聞いた。

「僕……美術の時間で、先生に言われたんだ。神崎君の絵はリアリティが無いって。ヘタクソなのは分かっていたから、どうリアリティが無いか聞いてみたら、灰皿は床に置かないでしょって言われた。じゃあどこに置くのかなって……」

美術の時間にリアリティが無いと言われたのは本当だった。

あと、絵が下手なのも本当。

猫一匹描くのだって姉貴は可愛らしいササッと描くのに、僕はどうしても捏ね回した粘度のような姿になる。姉貴はその出来に何度もドン引きしていた。

父さんに聞いても母さんに聞いても猫を宇宙人とかゾウとか言うぐらい、僕は絶望的にセンスが無い。

でも嘘をつくセンスはあるみたいで、少しだけガッカリした。

僕は灰皿の絵なんて描いてない。

クソジジイを思い出すような物を、僕はわざわざ描いたりなんかしない。

聞きたいが為に、即興で作った嘘だった。

「そりゃぁ床に灰皿置かないさね。ほれ、じーさんの……そうか、じーさん居なくなっちまったもんなぁ。真紀ちゃんもお父ちゃんもタバコ吸わんから、そりゃ分からんよなぁ」

「うん……。それで、先生を見返してやりたくて。灰皿ってどこに置くのかなって考えてたら、さっきお店通り過ぎちゃったんだ」

「そこをアタシが声かけたのよ。外見といて良かったわ」

「そっかそっか。床に灰皿置いたっちゅー事は、家の中の絵だな?」

「うん」

「そしたらやっぱ、机の上じゃないかねぇ。ほれ、ソファーの前とかにある低い机あるだろ。あぁいうのとか、勉強机みたいなデッカい机あるならそっちかねぇ。ほれ、漫画とかドラマで、新聞記者の机の上に灰皿あるだろ」

「あ……たしかに」

「床の上だとな、灰皿蹴っ飛ばしちまうから置かないんだ。いてぇし灰は飛び散って掃除大変だし。次先生に聞かれたら、総菜屋のジジイがそう言ってたんだって言ってやれ」

「うん。ありがとう、おじちゃん」

やっぱり……机の上にあるべきなんだ、灰皿は。

あの部屋には一人用のソファがある。その横に机。

机らしい机はソレしかない。

そういえば……クソジジイは頭をぶつけて、脳がどうこうしたから死んだって……。

…………まさか。

「はい、受験生二人のお夜食分もつけといたよ!」

「ありがとう……ござい、ます…………」

おばちゃんはわざわざカウンターから出てきて、僕に総菜を手渡ししてくれた。指先まで血の気の引いた僕に取って、温かすぎるソレは……熱すぎるぐらいだった。もしかして……。もしかして、僕は……とんでもない結論にたどりついたんじゃないだろうか。


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