最終章 『本当の狙い』

第27話 『むっちゃん万十』

「なあ聞いたかよ。体調不良って嘘らしいぜ」


 購買部で並んでいると、後ろから男子の声が聞こえてくる。

 その瞬間、渡良瀬の手に、ぐっと力が込もった。ポケットから取り出したばかりの使い込まれた革の2つ折り財布。その表面に右の親指が容赦なくめり込む。ギチィっという鈍い音が悲鳴にも聞こえた。


「何の話?」


「今やってる月9ヒロインの降板だよ。夫婦円満で有名だったのに、旦那さんへのDV発覚だってさ。まじショックだわ。あの女優さんめっちゃ好きだったんだけど」


「へえ。裏の顔って分かんないもんだね」


 対象が渡良瀬が知っている範囲でないことを悟った瞬間、肩の力がストンと抜けた。指にも力が入りすぎていたようで、緩めたとたんに血が巡る熱が指先を走る。財布を右脇に挟み、右手でグーとパーを繰り返した。


 指の間を吹き抜ける風が冷たい。もう3月の上旬だというのに。見上げると、冬の名残を残したような淡い青色がどこまでも広がっていた。ふと、隣の佐賀県では雨予報が出ていたことを思い出す。あの綺麗な青い空は、いつどこで雨雲に変わるのだろうか。


「こっち空いとるよー!」


 購買部のおばちゃんの声で、渡良瀬はハッと我に返った。前に並んでいた生徒が、メロンパンをひったくるようにして走り去っていく。財布を取り出そうと慌ててズボンのポケットに手を突っ込んだが、空振る。右脇に挟んでいたのを忘れていた。1人で苦笑いを浮かべた。


「何1人でにやついてんのさ。ほら、何にする?」


 どうやら見られていたらしい。目を合わせないようにして、焼きそばパンとコロッケパンの2つを手に掴む。お代の280円を払って、渡良瀬は踵を返した。


 ブブッ。


 お尻のポケットに入れていたiPhoneが短い振動を告げた。制服の生地越しに臀部へ伝わる短い震え。片手に持ち替えたパンが潰れないよう細心の注意を払いながら、iPhoneを取り出した。


『わたぴー。もう購買出た?』


 LINEの相手は架橋からだった。嫌な予感がするが、無視しても面倒だ。


『もう出た。部室向かってる』


『お茶買ってきてくれない?』


 ⋯⋯こちらのLINEは届いていないのだろうか。質問した返答に対する返事の文脈が合っていない。つまり架橋にはやはり見えていないのだろう。うん、そのとおりだ。ならば、こちらもメッセージが見えていないと主張しても問題ないだろう。うん。



 ***



 ガラリと部室の引き戸を開けた瞬間、こもった熱気がこぼれる。同時、ソースの甘辛いニオイが鼻をくすぐる。


「おっそーい。何してたの?」


「さすがわたぴー。お茶ありがと」


 中にいたのは千鏡と架橋。テーブルを挟んでそれぞれのソファに座っている。架橋が食べているのは、お手製の弁当。千鏡の手元にあったのは⋯⋯、何だ? 弁当箱の中に、ムツゴロウの形をした、たいやきみたいな生地がドーンっと2個並んでいる。


「⋯⋯なんですか、ソレ」


「福岡県民のくせして知らないの? これは『むっちゃん万十』だよ」


「いや『むっちゃん万十』は知ってますけど、普通弁当で持ってこないですよ」


「相変わらず頭が硬いなあ」


 ムツゴロウの頭をかじりながら千鏡が言った。非常に可哀想。たいやきもそうだが、いきなり頭部から食べ始める人間はどうかとも思う。それを意に介さず、架橋はお茶のペットボトルを開けていた。


「架橋さんも随分馴染んだね」


「もう1ヶ月くらい来てるしね。昔からのメンバーみたいでしょ?」


 たしかに、と呟きながら、架橋とは反対の千鏡の隣へと腰を下ろす。

 持参していた水筒と、先程買ったパンをテーブルに並べた。


「でも早いね〜。もうあれから1ヶ月か。浮島くんはどうしているの?」


 千鏡が架橋へと尋ねる。


「正直なんとも……って感じです。色々落ち着かない部分もあるみたいで。学校に戻るのは春休み明けになるかも」


 渡良瀬が電子カレンダーへと目を向ける。表示されていた日付は3月12日。修了式まで2週間もない。


「まだ保護所にいるの?」


「いえいえ。結局一週間くらいで退所できて今はおばあさんのところにいますよ」


「あれ? 最低でも2週間はかかるって話じゃなかったっけ?」


「早めに出来たみたいですよ。警察と家庭裁判所が調査して、おばあさんの養育環境に問題がないと判断されたみたいで」


「ふうん。浮島くんのとこの病院は、普通にやってるみたいだね」


「ああ。まあ⋯⋯病院を潰すのは全然目的じゃなかったからいいんです。あくまで私達の目的は、あの父親からの解放だったんで」


 浮島親子の件がニュースになることは無かった。院長の姿はあれから見ていないから分からないが、病院が普通に開いているところをみると、なんとか大丈夫なのだろう。


 千鏡は架橋の顔を見ながら、何かを考えているようだった。

 まさか、また感情の嫌な色でも視えたのだろうか。


 渡良瀬は立ち上がり、コーヒーマシンの電源を押し込んだ。眠りから覚めるかのように、低く小さなモーター音が唸り始める。


「⋯⋯そろそろさ、聞いてもいいかな?」


 いつの間にか『むっちゃん万十』を2個とも完食した千鏡が、凛とした表情で架橋を見つめる。室内には、コーヒーマシンの駆動音だけが鳴り響いていた。


「なんで私達を巻き込んだの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る