序章 『仕込まれたモノ』
第1話 『共感覚』
「ホラー映画はマジで絶対違うから。あれで吊り橋効果なんて、絶対狙えないから」
上着を脱いで白のブラウス姿になった
渡良瀬がふと視線を左に移す。綺麗に整えられたその長い黒髪が、手元のコーヒーの黒に溶け込んでいるようだった。左隣に座る千鏡の体重移動に合わせ、渡良瀬が座っているソファがわずかに沈む。
「なんでですか? ホラー映画って定番じゃないですか」
渡良瀬が呆けた顔で聞いた。
「渡良瀬くんはなんっにも分かっていない。映画見てたら画面ばっかり見ちゃって、隣りにいる人間への印象が薄れるでしょう?」
ほらきた、と渡良瀬は心の中でつぶやく。またいつもの掛け合いが始まることを面倒だと感じながらも、どこか自分の皮膚がこの部屋の空気に溶け込んでいくような感覚を覚えた。
「先輩って恋愛しないくせに、そういうのは詳しいですよね」
「恋愛しない、じゃなくて出来ないの。私、嘘つけないからさ。恋愛なんて嘘つき合戦みたいなものじゃん。それに――」
千鏡はコーヒーカップをテーブルに置き、ため息をつきながら渡良瀬を見た。
「お世辞を言ったり、心にもないお愛想笑いをしようとすると、気道が閉塞して死にかけるでしょ。この前も過呼吸起こしたし」
「ああ、あの時は本当に焦りましたよ。お祓いに行ったほうがいいんじゃないですか」
「それで治るなら苦労しないよ。これは脳がイカれてるか、あるいは呪いだね。感情が色で視えるだなんて」
「いつも思いますけど、勝手な能力の割に、代償がデカすぎますよね」
「ホントだよ。どうせなら美しい色を視ていたい。あの時みたいな」
「あの時?」
「ほら、私の話はいいから。もう来るんじゃない?」
現在の時刻は16時55分。『恋愛コンサル部』の目安箱に投函してきた依頼人が指定した時間は17時だから、そろそろくるはずだ。
「そういえば先輩。例の依頼の用紙、もう一度見てもいいですか?」
「いいよ。テーブルの上」
渡良瀬は投函されていた用紙を手に取った。
やはり何度見ても違和感がある。
まず第一に氏名の記載が無い。
氏名欄に書いてあったのは「2月14日の17時に伺います」とだけだ。
次にそこに綴られた文字。ボールペンで書かれているようだが、その字体はまるでロボットが書いたかのよう。インクの掠れもブレもなく、無機質に整えられている。
そしてその内容。
『彼氏の動向を探ってほしい。急に冷たくなったり、約束をドタキャンしたりする。浮気や何か悪いことをしていないか心配で。お願いします。何を隠しているのか調べて下さい。呼び出すために、「名無しのラブレター」を今朝渡したので、動きがあると思います』
呼び出すための手紙ってなんだ?
ていうか名無しのラブレターって?
渡良瀬はその紙を、光に透かすようにして見つめた。
「⋯⋯先輩。やっぱりこれ、変ですよ」
「何が?」
「なんというか……ボールペンで書いてるっぽいのに、どうみても人間が書いた文字には見えないですよね。まるで、手書風の文字って感じ。そうしなければいけない、強烈な理由があったんですかね?」
「私も気になってた。印刷物ではないのは確かだね。ペン先が紙を引っ掻いた筆圧の凹凸も残っているし」
千鏡がマグカップを両手で包みながら、不意に渡良瀬の顔を見つめた。
「……なんでしょうか?」
「君の色はいつも透明だね。実に退屈そう。私が隣に座っているんだから、もう少し笑ったりしてもいいと思うんだけど」
「笑えない性格なんです」
「なんで笑わないの?」
「いいじゃないですか。ていうか勝手に視ないでください」
「勝手に視えるんだから仕方ないよ。笑えないなんて……実につまらないなあ。ま、それが良いところでもあるけど」
千鏡が悪戯っぽい笑みを浮かべた。渡良瀬の左大腿部の横に手を沈めながら、顔を覗き込む。爪と爪がわずかに触れている気がした。
渡良瀬は心拍数を抑えるべく、気づかれないように三度、深呼吸をする。
感情に蓋をするように、色が透明となるように。
コンコン。
部室の扉がノックされた。
どうやら依頼人が来たらしい。
渡良瀬は頭のスイッチを切り替えた。
「どうぞ。開いてるよ」
千鏡が答える。
1拍置いて、ガラガラっという音とともに開き戸が開かれた。
その姿を見て渡良瀬は思わず目を見開いた。
立っていたのは明るい茶髪のボブヘアが特徴的な細身の女子。
だが驚いたのは、その服装――スカートの下に長ジャージを穿いていることだった。
部活に行くという雰囲気でもないのに。
ただの防寒だろうか。
「失礼します」
彼女が部室へと脚を踏み入れる。視線はブレることはなく、常に前方を捉えていた。まるで天井から吊られているのかと疑うほどの美しい姿勢と、一定のリズムで歩を進める。やがてソファの前で停止した。両手でしっかりとリュックを抱えながら、千鏡と渡良瀬を交互に見た。
「1年A組の
「この子ヤバい」
千鏡が渡良瀬へと耳打ちする。
「⋯⋯え? どういう意味ですか?」
「視える色がね、めっちゃくちゃ暗い⋯⋯それこそ深海みたいな青。でも、なんだろう。それでいて、矛盾するようだけどすっごい透明感がある。すごく奇麗」
千鏡の表情は嬉々としていた。
「それに⋯⋯似ている」
「似ている?」
「いや、まさかね」
そう言って千鏡は肩をすくめた。
だがその視線は、依然として架橋から離れなかった。
まるで、長い間探し続けた宝物を見つけたかのように。
「ま、死んじゃうかもだけど」
「⋯⋯は? え、どういう意味――」
「とりあえずお菓子でも買ってきてよ。特等席で視てたい」
「不謹慎の極みすぎます」
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