聖女になれなくて良かった! 週休2日・残業代全額支給の「ブラックダンジョン専門の救命救急冒険者」に転職します

塩塚 和人

第1話:聖女落選は、ホワイト人生へのファンファーレ


グランベルク王国の中心にそびえ立つ大聖堂。その大礼拝堂には、厳かなパイプオルガンの音が響き渡っていた。高い天井に嵌め込まれたステンドグラスからは、色鮮やかな光が差し込み、床に並ぶ大理石のタイルを美しく彩っている。


その神聖な空間の最前列で、十七歳のナターシャは深く頭を垂れていた。周囲には、同じようにして神への祈りを捧げてきた聖女候補の少女たちが並んでいる。今日この場所で、神託によって次の代の正聖女が選ばれることになっていた。


「――神託は下りたり。新たなる正聖女は、フェリシア・アルデバラン」


大司祭の重々しい声が響き渡った瞬間、ナターシャの隣にいた少女、フェリシアの体が歓喜に震えた。フェリシアの頭上に、神聖な黄金の光が降り注ぐ。それは神に選ばれた証だった。


周りの候補生たちから、一斉に溜息と、フェリシアを称える拍手が沸き起こる。それと同時に、選ばれなかった他の少女たちには、大聖堂の関係者から同情の視線が向けられた。


大司祭が歩み寄り、ナターシャの前で足を止める。


「残念だったな、ナターシャ。お前の魔力量も治癒魔法の精度も、フェリシアに引けを取らぬ素晴らしいものだった。だが、神が選ばれたのは彼女だ。お前には大聖堂の寄宿舎に残り、今後も聖女の補佐として生涯を神に捧げる道が用意されている。安心するが良い」


大司祭は慈悲深い笑みを浮かべて彼女の肩を叩いた。周囲の者たちも、それでナターシャが救われたのだという顔をしている。


しかし、深く頭を下げていたナターシャの顔は、誰も想像できないほど歪んでいた。泣きそうなのを堪えているのではない。笑い出しそうなのを必死に堪えていたのだ。


(よっしゃぁぁぁ! 合法的にこの超ブラック施設からおさらばできる!)


ナターシャの心の中は、今まさに大歓喜の嵐が吹き荒れていた。


大司祭をはじめとする周囲の人間は、彼女が聖女になれず、生涯を薄暗い大聖堂の奥で過ごす補佐役に格下げされたことを憐れんでいる。だが、ナターシャからすれば、正聖女落選こそが人生最大の幸運だった。


なぜなら、彼女は数日前、偶然にも大聖堂の機密書類を盗み見てしまっていたからだ。そこに書かれていた正聖女の労働環境は、まさに地獄そのものだった。


年間休日ゼロ。基本給なし、収入は信者からの気まぐれな布施のみ。神の声を聴くための二十四時間連続祈祷シフトあり。有給休暇という概念すら存在せず、病気になっても「神への信仰が足りない」の一言で片付けられる。挙句の果てには、王宮の貴族たちが催す夜会への強制出席という接待業務まで組み込まれていた。


そんな奴隷以下の環境に、誰が好んで身を投じるというのか。隣で涙を流して喜んでいるフェリシアを見ながら、ナターシャは心の中で(頑張ってね、過労死しないでね)と熱いエールを送っていた。


「大司祭様、温かいお言葉をありがとうございます。ですが、私は己の未熟さを痛感いたしました。一度大聖堂を出て、世間を知り、自らの力で生きていくことで、信仰のあり方を見つめ直したいと思います」


ナターシャは、これ以上ないほど清楚で儚げな聖女の微笑みを浮かべ、完璧な一礼をした。


「おお、なんと殊勝な。神の御加護があらんことを」


大司祭は彼女の決意を尊いものと勘違いし、涙ぐみながら送り出してくれた。こうしてナターシャは、念願の自由の身を手に入れたのだった。


大聖堂の重い鉄門を出た瞬間、ナターシャは背負っていた質素な荷物カバンを握り締め、王都ルミナスの大通りへと駆け出した。


青く澄み渡った空が、これほど美しく見えたことはない。吸い込む空気すら、大聖堂の線香臭い空気とは違って新鮮に感じられた。


「さて、まずは生活費を稼がなきゃ。大聖堂でタダ働きさせられていたから、手持ちの銅貨は片手で足りるくらいしかないし。でも、絶対に普通の仕事を探すんだから」


彼女が進んだのは、王都の商業区にある冒険者ギルドの建物だった。


冒険者ギルドといえば、荒くれ者が集まり、命懸けで魔物を倒す危険な場所というイメージが強い。しかし、最近のギルドは組織改革が進み、一部の部門では非常に近代的な雇用体制が整えられているという噂を耳にしていた。


ギルドの重い木製の扉を開けると、中には剣や杖を携えた冒険者たちが大勢いた。しかし、ナターシャが向かったのは討伐依頼の掲示板ではなく、一般受付の窓口だった。


窓口には、綺麗な制服を着こなした二十代前半ほどの女性が座っていた。名札にはペトラとある。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」


ペトラは丁寧なビジネススマイルで迎えてくれた。ナターシャはその前に立ち、少し緊張しながらも、はっきりと目的を告げた。


「あの、求人を見て参りました。私は治癒魔法が使えます。それなりの怪我ならすぐに治せますし、魔力の保有量にも自信があります。ただ、いくつか希望する条件がありまして……」


ペトラは手元の書類に目を落としながら、ペンを構えた。


「なるほど、ヒーラー様ですね。当ギルドでは回復職の専門人材を常に募集しております。条件とは、どのようなものでしょうか?」


「はい。まず、週休二日であること。土日、あるいは決まった曜日には完全に休みたいです。それから、一日の労働時間は基本八時間まで。夜間の緊急呼び出しには、相応の手当をいただきたいです。最後に、何より大切なことですが、働いた分の対価、つまりお給料をきちんとお金で支払っていただきたいのです」


ナターシャが真剣な顔で言い切ると、受付のペトラは少し驚いたように目を丸くした。


この世界において、治癒魔法の使い手は主に教会や大聖堂に所属し、「奉仕」という名目で無給、あるいは極めて低い手当で酷使されるのが一般的だったからだ。神の力を金銭に換えるのは卑しい、という古い価値観がまだ根強く残っている。


「……面白い条件を提示するお嬢さんだな」


ペトラが答える前に、受付の奥にある執務室の扉が開き、一人の男性が姿を現した。


仕立ての良い上着を着こなした、四十代半ばほどの男だった。鋭い眼光の中に、理知的な光を宿している。その人物の登場に、ペトラがすぐに立ち上がって一礼した。


「ギルド長、お疲れ様です」


エイドリアン・サマセット。王都ルミナスの冒険者ギルドを統括するトップであり、元は王宮の高級官僚を務めていたという異色の経歴を持つ男だった。


エイドリアンはナターシャの前に歩み寄ると、彼女の上から下までを観察するように見つめた。その目が、ナターシャの体に宿る膨大な魔力の残滓を捉える。大聖堂の厳しい修行で培われた彼女の力は、隠そうとしても隠しきれるものではなかった。


「お前、大聖堂の人間だな? なぜその若さとそれほどの力がありながら、あそこのぬくぬくとした環境を捨ててギルドに来た?」


エイドリアンの問いに、ナターシャは一瞬だけ躊躇したが、ここで嘘をついても見抜かれると判断し、本音を混ぜて答えることにした。


「あそこはぬくぬくなんてしていません。ただの地獄です。神への奉仕という言葉で飾り立てられた、底なしの強制労働施設です。私は自分の技術と労働に対して、正当な対価と休みをくれる場所で働きたいだけです」


その言葉を聞いた瞬間、エイドリアンは声を上げて笑った。


「ははは! 言うようになった。大聖堂の連中が聞いたら卒倒しそうなセリフだな。だが、気に入ったぞ。私は元官僚でね、あいつらの『やりがい搾取』の体質には反吐が出ていたところだ」


エイドリアンは懐から一冊の厚い書類を取り出し、受付のカウンターに置いた。


「お前の名前は?」


「ナターシャ、といいます」


「よし、ナターシャ。我が冒険者ギルドでは、今まさに新しい部門を立ち上げたばかりでな。名前は『ダンジョン内救急救命部門』。これまでは冒険者がダンジョンの中で怪我をしても、自力で戻ってくるか、高額なポーションを頼るしかなかった。だが、それだと死亡率が高すぎる上に、優秀な人材が育たない。だから、専門の知識と魔法を持ってダンジョン内に突入し、その場で治療と救助を行う専門職を作ったんだ」


エイドリアンは書類のページをめくり、ある箇所を指差した。


「条件を言おう。基本給は金貨五枚。これは一般的な文官の倍以上だ。週休二日制を徹底し、有休休暇は年に二十日支給する。そして、ダンジョン内への出動はすべて危険業務とみなし、一回ごとに特別手当を支給。さらに、定時である夕方五時を過ぎた場合の労働には、一分単位で【残業代を全額支給】する。どうだ?」


ナターシャはその条件を目にした瞬間、胸が高鳴るのを抑えきれなかった。


金貨五枚の基本給。これだけでも大聖堂での生活からは考えられない大金だ。その上、残業代が全額支給され、有給休暇まである。現代の社畜が見れば涙を流して環境の良さを称えるレベルの、超ホワイトな契約内容だった。


「――喜んで、お引き受けいたします!」


ナターシャはペンを取り、提示された契約書に迷うことなく自らの署名を走らせた。


「よし、契約成立だ。歓迎するよ、ナターシャ。我がギルドの記念すべき初代レスキュー・ヒーラーだ。お前のその高い治癒能力、大聖堂のためではなく、我々のまっとうな労働のために使ってもらう」


エイドリアンは満足そうに頷き、彼女の手を固く握った。隣では、案内嬢のペトラも「これからよろしくお願いしますね」と優しい笑みを浮かべている。


こうして、元聖女候補のナターシャは、大聖堂の暗いブラック環境を脱出し、冒険者ギルドという名の新たな、そして最高にホワイトな職場での第一歩を踏み出したのだった。



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