空籠邸の殺人Schrödinger Estate

秋夜

プロローグ

 大学の講義が終わり、足早に講義室を後にする。学友たちに別れを告げ、あらかじめ呼んでおいたタクシーに乗り込んだ。

 季節は六月上旬。蒸し暑さが増し、少し歩くだけで額に汗が滲む時期だ。タクシーの中はクーラーが利いているようで、心地よい風が火照った頬をなでる。行き先を伝え、ふうと一息つきながら、私は父からの伝言について考えていた。

​ 父の名前は、九条繁晴(くじょう しげはる)。九条不動産の経営者である。

 元々は祖父が興した会社で、今では全国でも有数の規模を誇る。ゆくゆくは、私――九条玲奈(くじょう れいな)が父の跡を継ぐことになっているのだ。

 そのために私は大学で建築学を専攻し、九条不動産H支店でアルバイトをして現場の経験を積んでいる。今の生活には不平も不満もなく、親の影響か建築学にも強い興味があり、楽しく毎日を過ごしていた。

 父からの伝言は非常に興味を惹かれるもので、そのことを早く葛城(かつらぎ)さんに伝えるために、私は少し急いでいた。

​「お客さん、着きましたよ」

 そんな事を考えている間に目的地に着いたようで、運転手から声がかかる。

「ありがとうございます」

 料金を払い、タクシーを降りる。車外に出た途端、茹だるような暑さが襲い、汗のせいでシャツが肌に張り付いて気持ち悪い。私は逃げるように、九条不動産H支店の入り口に向かった。

​ 建物の外観は、綺麗とは言えないがそこまで古いわけでもない。全面がガラス張りでできているが、少し汚れていて薄っすらとしか室内の様子が見えない。

 事務所にはいるとすぐ受付カウンターがあり、その奥にはデスクが並んでいる。受付に目をやると、佐々木さんがパソコンを睨みながら仕事をしていた。

​「おはようございます! 佐々木さん」

「おはよう、玲奈ちゃん」

 顔の向きを変えずに、目だけをこちらに向けた佐々木さんが答えた。顔立ちは整い、クールな印象をもつ美人だが、その切れ長な目の下には薄っすらと隈ができている。

「すごくお疲れなようですけど、大丈夫ですか?」

「少し仕事が立て込んでいるけれど、もうそろそろ終わりそうだから大丈夫よ。ありがとう。……なんでH支店だけこんなに従業員が少ないのかしらね。年中人手不足よ」

「それが葛城さんの要望ですから……。父も何回か声をかけてるんですけどね」

​ H支店は、従業員数五名の少人数で運営している。

 H市はそこまで都会というわけではないものの、それなりに人口がある街だ。この人数だと自然と一人一人の負担が大きくなるのだけど、「少人数の方が動きやすい」という支店長である葛城さんたっての希望で、少数精鋭で運営されているのだ。

 葛城さんはすごい変わり者で、時々変な行動をとることがあり、その度に父が手を焼いている。だが、仕事が出来る人ゆえにあまり文句が言えないらしい。

 私と葛城さんは中学の時からの付き合いだ。父の部下としてよく実家に来ており、私はよく彼に勉強を見てもらっていた。

​「葛城さんって今いますか?」

「葛城さんね、今さっき丁度帰ってきたばかりで奥にいるわよ」

 そう言い奥の扉を指した佐々木さんは、仕事を再開し、またパソコンと睨み合っている。

​ 仕事の邪魔をしないよう静かに奥へ移動し、扉の把手に手をかけ中へはいる。

 奥の窓際に置かれた椅子にもたれかかりながら、デスクのファイルを眉根を寄せて気難しそうに睨み、珈琲を飲んでいる葛城さんが居た。

 全体的に整った精悍な顔立ちをしているが、整えられている髪から、抑えきれていない寝癖がバネのようにぴょんと跳ねている。しきりに顎に手を当て、考え込んでいるようだ。

​「おはようございます! 葛城さん」

 葛城さんはゆっくりと顔を上げると、より一層眉根を寄せこちらを見てきた。少し機嫌が悪そうだ。

「おはよう玲奈くん。まだ出勤時間には早いと思うけれど、大学の方は大丈夫なのかい? 課題があるとか言ってなかった?」

「課題はもう終わってます。それに、私は九条不動産を継ぐことになるんです。一分一秒でも現場で経験を積むのが、次期社長としての責任ですよ」

「後者はいいとして、前者はウソだね」

​ ギクッ、と肩が跳ねた。

 ばれた!? 課題に手を付けたはいいものの、提出期限がまだ先だったこともあり後回しにしていたのだ。

「ど、どうしてそう思うんですか?」

「簡単なことだよ。君が課題があると言っていたのは数日前の話だ。それに、その時の君の様子と、近々一週間仕事を休むそうじゃないか。その点を踏まえ推測するに、君の課題はそれなりに時間のかかるものだろう」

​ 葛城さんには嘘が通じない。細かいところにまで目を配り、聞いたことを忘れない。彼の洞察力には目を見張るものがあり、仕事でもその力を遺憾無く発揮している。周りから信頼も厚く、父も葛城さんに目をかけている理由だ。

「さすがですね、葛城さん」

「大したことじゃないよ。それより、課題に追われている君がそれを顧みずにここにいるって事は、よほどの要件があるんだろう?」

 本当に隠し事ができないなと思う一方で、ここまで自分のことを理解してくれていると思うと、自然と口角があがってしまう気持ちのほうが大きい。

​「父からの伝言なんですが、ぜひ葛城さんにこの案件を引き受けてほしいそうなんです」

 顎に手を当て、訝しげな視線を向けてくる葛城さん。

「ほう。その案件とは、何?」

「はい。建物を売りたいとの事なんですが、その依頼内容に変わった条件があるんです」

「変わった条件?」

「そうです。その建物、天才建築家として名高い『階堂 陽(かいどう よう)』という建築家の建てたものなんですが、普通なら約三億以上の価値のある建物を、条件を達成すれば五千万で取引しても構わない、というものでした」

​「その話が本当ならいい取引だと思うが……」

 怪訝さを増した葛城さんがさらに質問する。

「その階堂陽という建築家は、そんなにすごい人なのかい?」

「すごいなんてものじゃないですよ!! 知らないんですか!?」

 長い間不動産業界で働いている葛城さんが知らないことに驚きながら、私は前のめりになって説明を続ける。

「階堂陽。芸術性、独創性に優れ、数多の賞を取っているすごい建築家ですよ。建築学を学んでいる者からすれば、知らない人がいないほどの有名人です! ただ、その功績とは裏腹に表舞台には一切出てこず、その顔を知る者は誰一人いない。経歴も不詳みたいです。建築学を学んでいる身としては、神のような存在なんですよ!」

「聞いたことはないが、君がそこまで言うなら余程の人なんだろうね。それで、条件とはどんなものなんだい?」

​ 葛城さんが階堂陽を知らないことが衝撃で、すっかり本題の条件について忘れてしまっていた。私は急いで居住まいを正し、話を続ける。

「条件とは、その建物内に隠された『階堂陽の資産』を見つけ出してほしいというものなんです」

​ 私の言葉を聞いた葛城さんは、少し呆れたように短く息を吐き、冷めかけた珈琲を一口飲んだ。

「ちょっと待ってくれ玲奈くん。論理的に考えよう」

 葛城さんはデスクの上で両手を組み、私をまっすぐに見据えた。

「その依頼人は、当然その建物の持ち主なんだろう? なぜ、自分の持ち物であるはずの建物の、しかも資産の場所を自分自身で把握していないんだい?」

​ 当然の疑問だと私も思う。父からこの話を聞いたとき、私も同じことを思った。

 大方、どこかの金持ちが道楽で買ったはいいものの、持て余して手放すってところだろうが……と葛城さんが渋い顔をする前に、私は言葉を継いだ。

​「そこなんです! 実は現在の所有者は、階堂陽本人じゃないんです。数年前にこの建物を買い取った、ある資産家からの依頼なんです」

「……資産家? だったらなおさら不自然じゃないか。なぜ自分の家にある資産の場所を知らない」

「探してほしいのは、その資産家自身の財産じゃないんです。設計者である『階堂陽』が、館のどこかに隠したとされる幻の資産なんですよ。階堂陽本人は数年前から行方不明なんですが……」

「なるほど。その資産家は、階堂の隠し資産目当てでこの家を買ったものの、結局自分では見つけられず持て余した。だから不動産屋に探させようというわけか」

​ 葛城さんは呆れたように息を吐いたが、私はさらに前のめりになって頷いた。

「はい! その家主はこう条件を出しています。『この空籠邸(からかごてい)に隠された階堂陽の資産を見つけ出した者にのみ、この家を破格の五千万で譲り渡す』と。……つまりこれ、ただの物件査定じゃありません。現在の所有者が持ちかけた、宝探しなんです」

​「はい、そのことについて私なりに少し調べてみたんです」

 私は、猫の可愛いアクセサリを下げた手提げ鞄からファイルを取り出し、葛城さんに手渡した。

「階堂陽という建築家は、携わった建物すべてに、所有者にも知らせず、設計図にも書かれていない『何か』があるみたいなんです」

​ 葛城さんは、ファイルのページを捲りながら目を通している。

「よくここまで調べることができたね。経歴不詳の階堂陽が、過去に手掛けてきた特異な建築物とその間取りについて、細かく書かれている」

 私は嬉しくて飛び跳ねそうになる気持ちを必死に抑えた。普段葛城さんはめったに人を褒めることはせず、私に関してもアルバイトを始めたときからずっと子供扱いだったのだ。少しは認めてくれているのかもしれないと思うと、高揚感に心が満たされる。

「私もやるときはやるんですよ! これからは何かあれば私に相談してください」

「そうさせてもらうね。取り敢えず、珈琲淹れてもらえる?」

​ 照れ隠しをするように、私は珈琲を淹れるため、入り口横にあるシンクに向かい葛城さんに背を向ける。

 少しだけ頬が熱くなるのをごまかしながら、マグカップに湯気を立てるブラックコーヒーを注ぎ、葛城さんのデスクへと戻った。

​「どうぞ、葛城さん」

「ありがとう」

 葛城さんはマグカップを受け取ると、ゆっくりと一口飲んだ。そして、開いていたファイルをパタンと閉じ、ふうと短く息を吐く。

​「……さて。君の用意してくれた素晴らしい資料のおかげで、この『階堂陽』という人物の異常性や、物件の厄介さはよくわかったよ」

「はい!」

「だが、まだ最大の謎が残っている」

「最大の謎、ですか?」

 葛城さんはデスクの上で両手を組み、その鋭い目を私に向けた。

​「なぜ、この依頼が『僕』に回ってきたのか、ということだよ。本来なら、三億円もの価値がある物件の取引だ。しかも相手は欲深い資産家で、条件は宝探し。どう考えても、うちのようなH支店に来るような依頼じゃないだろう」

 葛城さんの言う通りだ。H支店が扱うのは主に一般的な物件ばかり。こんな途方もない案件が回ってくること自体、明らかにおかしい。

「それをわざわざ、こんな地方のH支店にいる僕を名指しで押し付けてきた。社長は君に、なんと説明したんだい?」

​ 私は数日前に実家で父からこのファイルを渡された時のことを思い返した。普段は温厚な父が、その時だけは不動産会社のトップとしての鋭い顔つきになっていた。

「父はこう言っていました。『こんな得体の知れない案件、普通の部署には回せない。どんな裏があろうと、葛城になら安心して任せられるんだ』って」

​ 私の言葉を聞いた葛城さんは、少しだけ嫌そうな顔をして、また前髪を掻き毟った。せっかくの寝癖がさらに跳ねる。

「……あのタヌキ社長め。厄介事を丸投げする気満々じゃないか」

「でも、父は葛城さんの力を誰よりも信頼していますよ!」

「厄介事を押し付けるための常套句だね。……やれやれ、これじゃあ断るに断れないじゃないか」

​ 葛城さんは深くため息をつくと、デスクの上のファイルをパタンと閉じた。

「……わかった。社長の命令とあらば仕方ない。早速、明日向かおうか」

 淡々と告げるいつものトーンに戻った葛城さんに、私はパッと表情を輝かせた。

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