第二話
紫苑は人の姿に戻って、まず始めにしたのは、倫の祖母である梅の肩を揉むことだった。何とも心地良さそうに、梅は瞳を糸状に細めた。今にも喉を機嫌よく鳴らしそうな穏やかな表情は、紫苑の久しぶりの肩揉みで自信がなく、不安だった心を晴れさせた。
「いい力、力加減ですよ。ありがとうねえ、紫苑」
昔、紫苑は肩が重くつらそうな母親の肩を揉んだら、そう褒められていた。心の中で望んだ言葉を、思いがけず梅から貰えて、紫苑はとても嬉しくなった。
かつて、倫も祖母の肩を揉んでいた。子供が持っている能力で、今できる範囲の幸せを探して、健気に実践していた。梅はそれを思い出して、孫の成長が少し寂しくなった。
忘れもしないあの事件が、梅の脳裏に鮮明に思い出される。まだ、孫を守っていたかった。屋敷を空けていた己を責めた……弱い五歳の子供が強くなるのは早すぎる、と梅は胸を痛めていた。家族の愛情を疑わず、己を何よりも愛している大切な時期、強くなろうと真っ直ぐに前を見つめる倫は、梅にとって痛々しく見えた。
「……梅の肩にはたくさん、想いが乗っかっている。僕はずっと、何もしなかったから、出来ることをしたい。何でも手伝うよ。雑巾掛けしようか?」
恐ろしい外見をしていた鬼の呪いがとけると、紫苑は大人しくも柔らかい微笑みを浮かべるようになった。
倫、知慧、梅は紫苑にとってかけがえのない家族だ。
瞳が生き生きと輝いている。自分を迎えてくれた恩返しをしたくて堪らない様子だった。喜んで欲しい、という気持ちがよく分かる。
それがいじらしく愛おしく、梅は微笑んだ。過去を思い返して寂しがる柄ではない。梅は声を明るくした。
「それじゃあ、お使いを頼んでもいいですか?胡蝶が好きな水飴が切れてしまってね。あと、金平糖も買ってきておくれ。梅の使いだと伝えると、店主が分かってくれる。家に戻ったら、一緒に金平糖を食べましょうねぇ」
梅から綺麗な硬貨を、紫苑は大切そうに二つ受け取った。初めて、自分がすることが小さな冒険の匂いがする梅のお使いだというのが、紫苑は嬉しい。お使いは、『ただいま』と帰ってこれる、約束された冒険。帰ってこれる居場所が出来たという実感がわいた。
紫苑は硬貨を握り締めて、倫の姿を探した。見つけると表情を輝かせ、駆け寄ろうとする足を止めた。
倫は神妙な表情で、命からがら鬼から逃げてきた若い夫婦の話を聞き、泣きじゃくる夫婦の背中を撫でて慰めていた。傷ついている若い夫婦の治療もあり、落ち着く空気を壊したくない。紫苑は倫に外出することを告げずに、屋敷から外に出た。
ふんわりと、桜の甘い香りが鼻腔を擽る。鬼の時は、こんなに鮮明に感じられなかった。
花が愛しいという感覚が、胸にわいた。それが嬉しくて、紫苑は知らずに微笑んだ。
飴屋は、梅の道順の説明が丁寧でとても分かりやすく、紫苑は迷うことなく辿り着いた。
「梅の使いです。水飴と金平糖を頼まれて参りました」
倫、梅、知慧――その三人以外と話す、飴屋の店主はこれで四人目になる。それが胸が弾むし、声が震え、緊張しながらも、覚えた一文を懸命に口に出した。
「ああ、いつも贔屓にして下さりありがとうございます。こちらが、水飴と金平糖です。私どもが精魂込めて作ったので、美味しく召し上がって頂ければ幸いです」
店主が紫苑に愛想よく笑って、綺麗な風呂敷に水飴が入った壺と、金平糖が入った箱を包んでくれた。
商売は、お金を稼ぐと同時に、心を込めている。それはとても美しいことだ。紫苑は感動した。
「ありがとうございます。また、来ます」
紫苑は深々と頭を下げて、飴屋の暖簾を潜った。それを、飴屋の店主が丁寧に見送ってくれる視線が嬉しく、また梅のお使いをしたい、と強く願ったのだった。
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