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 梅雨(ばいう)や秋雨(あきさめ)等(など)と異なり、縁起の良さげな桜の名を冠する前線がとうに北上しきり、今や新緑の青が清涼を演出し始めるこの頃。

 木花(このはな)中学2年3組の教室の一角に、ぽつねんと1人机に向かう少女の姿があった。

 ほんのり赤みがかった、少し跳ねっ気のある長髪をおさげにして胸の前に垂らしている。パッツンの前髪は長く、少し目元が隠れており、その髪の下には老眼鏡くらい"度"の強い丸眼鏡と雀斑(そばかす)が覗いている。目元はその性格を反映しているのか、伏せ気味のタレ目で、太めの眉が伸びている。

 黒地に緑のラインが走ったセーラー服の上から肌寒いのか、紺色のセーターを被っており、1番上までピッタリボタンを止めている。スカート丈は膝下までで、黒く長い無地の靴下をぴっちり履いていることで、肌の露出している範囲は殆どない。まるで、衣服を鎧の様に着ている。

 名前を「小泉 牡丹」という。

 悲しいかな、それが私である。

 元来の性分というか、持って生まれた性というか、兎に角人付き合いが苦手な質(たち)なのだ。共感されるかは分からないが、なんだか自分が出しゃばっていやしないだろうかとか、相手にとって自分が不快になっていやしないだろうかとか、そんな事ばかり考えてしまって結局「何もしない」に落ち着いてしまう。

 要らぬ心配だと言うのは分かってはいるのだが、どうしても心根の方でそういう翳(かげ)りが背を伸ばす。それが不安でたまらないのだ。毒にも薬にもならなくていい。私は水で十分だとそう考えるようになった。障るくらいなら、触らなくていい。


 そんなことを考えながら、私は今日も1人、本を読み続ける。とはいえ、心温まるラブロマンスでも、心が燥(はしゃ)ぐ冒険活劇でもない。登場人物が恐ろしく理不尽な目にあって、理解の及ばぬものから逃げたり隠れたりする……そんなホラー、サスペンス小説である。我ながら、新緑の爽やぐ時分に陋劣(ろうれつ)なものだと思う。

 一説には、ホラーを好む人間は己よりも不幸で理不尽な目にあってるものを見て安心感を得るから好きなのだという話もある。自分より下にいる人を見つけては自分はまだマシだと安心したいのだとか。なんとも不躾な結論であるが、私自身、傍(はた)から見ればそれを体現しているようなものであるから強く否定もできない。

 それに、本気で怪異がいると思って読んでいるわけでも無い。結局のところ、その論調を真っ当に受け入れてしまえば、下賎で下衆な輩だと自分を定義してしまうようで、そういう下卑た奴だと他人に後ろ指を差されて論(あげつら)われているような気がして、無性に腹が立つような哀しいような気がして……だからそうではないと頭が考えているだけの話なのだろうか。

 心の方はその論調に倣(なら)っているのだろうか。


 しかし、ひとつ反証を挙げるとするならば、私が怪談を好きなのは心がゾワッとするからだ。どこか足元が揺らぐような恐ろしさがあるからだ。例えば怖い話を見ている時にソファと床の隙間から足を上げたくなるだとか、布団にくるまる時に手足を中にしまっておきたいとか、そういう胸中に不穏が蟠(わだかま)って、私自身が私自身を脅かすように形のない怪物を作り出すあの感覚が言いようのない快感に感じる時があるからだ。

 その点で言えば、他人の不幸を己の幸福に置換していると言うよりは、己の幸福や安全を不安定にしてそれを楽しんでいるのではないかと思う。

 言っていてなんだかマゾヒスティックに感じられるが、他人の不幸を喜んでいると謗られるよりかは幾許(いくばく)マシだろう。

 そして、私はまた、そうした心を不安定にさせるような恐ろしさを作り出す人間の創作力、想像力というものにも大いに好感がある。特に文章にはジャンプスケアと呼ばれるただ大きな音を出しているだけの、それこそ下卑た(ホラーをナメたと言い換えてもいい。怖い怖いと褒めそやされるホラー映画がただのジャンプスケア作品だった時など憤慨ものだ。)安直な手法に頼らない小説というものにこそ、大きく現れているように感じる。

 言ってしまえば文字は文字だ。

 しかし、それでも人はそこに様々な感情を見る。それこそが人間が理智を得た最大の恩恵ではないかと思う。

 時間も場所も遠く離れた私の心を毛むくじゃらな猿のような手ですっと撫でて行くのだから。


 キーンコーンカーンコーン。

 無機質な学校のチャイムが休み時間の終わりを告げる。

 なんだか妙に静かな気がした。

 嫌な予感がする。

 ふっと顔を上げる。

 カーテンがバタバタと茜色に染め上げられながら翻った。

 四十人程の人を日々押し込める教室は今やがらんどうで、喧騒から離れた静寂の中、取り残されているのは私一人だけだった。

 咄嗟に席を立ち、前方黒板横の時間割を確認する。

「五限目:音楽」

 移動教室のことをすっかり忘れていた。

 私は教科書とリコーダーを霹靂(へきれき)の如く取り出して四階突き当たりの音楽室へと駆けた。


 こういう時、焦りとは裏腹に頭は逆に冷静になって周囲のものが見える。

 とは言っても視界に飛び込むのはどうでもいいものばかり。現実逃避の先を見つけているかのようだ。

 教室とは反対の窓側、通路の壁にはポスターが貼られている。

 美化委員だとか保健委員が委員会活動で作ったようなポスターだ。


「廊下は走らない」

 火急の場合はまた別だ。

「手洗いうがいは忘れずに」

 言われずとも。

「!志有エ集!ル迫挙選会徒生」

 出た。悪巫山戯(わるふざけ)。先生も止めれば良いのに。

「怪談屋。連絡はこちらまで。070-2■■■-7■■■。」

 怪談屋?これも悪巫山戯か……見間違い?


 暫(しば)し行き過ぎてから気になって、ふっと足を止めて引き返す。

 たしかにポスターがある。

 怪談屋。ご丁寧に電話番号……それもおそらく個人の携帯のものと思われるものが併記されている。

 部活……という訳でも無いだろう。そもそも学校公認のポスターに電話番号など載せる許可はおりるまい。

 きっとあれだ、トイレにいかがわしい文章と共に電話番号が書かれているような悪質な悪戯か……乃至(ないし)、部外者の仕業。

 後者の場合、せっせと学校に侵入して態々(わざわざ)ポスターを貼って帰るなんて頓痴気な不審者がいるものか……と考えてから、不審者は不審だから不審者なのだ。この場合それに準じている。そう考え直した。

 何れにせよ気持ちのいいものではない。私は先生に渡そうとポスターを剥がして音楽室へと再度歩……否、"走"を進めた。


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