美谷島春 E-ROCK : Blue Floyd Neo

りゅう丸

第1話 Energy Beat


スタッ――


タッ、タッタッ。


タッ――スタッ。


リングシューズがキャンバスを刻む。


細かく。


鋭く。


だが流れるように。


まるでドラムのハイハットみたいなリズムで、

ハルの身体がリングを滑っていく。


シュッ。


シュシュッ。


スゥ――……ハッ。


呼吸と拳が噛み合う。


吸う。


踏む。


打つ。


吐く。


その全部が、

最初からひとつの曲だったみたいに繋がっている。


バンッ!!


ミットが爆ぜた。


乾いた衝撃音が、

夕暮れのボクシングジムへ鋭く突き刺さる。


「ワンツー!!」


シュッ!!


「そこォ!!」


パァンッ!!


「フック!!」


バムッ!!


ミットを受けるたび、

空気が震える。


「そうそう!! いいよいいよ!!」


トレーナーの声が飛ぶ。


「止まるなハル!!」


スタッ。


タッタッ。


シュシュッ!!


パァン!!


「ほらァ!! 限界超えてみろ!!」


ドクン。


ドクン。


ドクン。


ハルの鼓動が加速する。


汗が跳ねる。


ライトに照らされた汗粒が、

夕焼け色の空気の中で細かく煌めいた。


スパンッ!!


左。


パッ!!


右。


パァンッ!!


左フック。


タタッ――スッ。


躱す。


踏み込む。


シュッ――バン!!


また打つ。


リングの上だけ、

世界のノイズが消えていく。


聞こえるのは、


呼吸。


足音。


拳。


鼓動。


それだけ。


ロープがギシ、と軋む。


サンドバッグが鈍く揺れる。


遠くで誰かの縄跳びが、

タタタタタッと床を叩いていた。


夕焼け色のジム全体が、

巨大な心臓みたいに脈打っている。


ハルが笑う。


「っしゃあ!!」


高く結んだポニーテールが跳ねる。


汗で額へ貼りついた前髪。


熱を帯びた頬。


タンクトップから伸びる、

しなやかな肩と腕。


打つたびに浮き上がる筋肉。


引き締まった腹筋。


細い腰。


踏み込みに連動して走る脚のライン。


スポーツで削ぎ落とされた身体は、

獲物を狙う獣みたいに美しかった。


ハルはそんな視線に気づきもしない。


「ワンツー!!」


シュッ!!


「返し!!」


バババンッ!!


速い。


軽い。


なのに重い。


ハルの拳は、

音楽みたいだった。


リズムがある。


流れがある。


一発ごとに、

ちゃんと“拍”がある。


トレーナーが苦笑する。


「お前ほんとテンポ感おかしいな……」


ハルが首を傾げる。


「え?」


「普通そこ、ワンテンポ溜めるんだよ。」


「えー? でも流れ悪くない?」


スタッ。


タッタッ。


彼女は無意識にステップを踏む。


止まれない。


身体が、

常に次のリズムを探している。


流れ。


間。


呼吸。


重心。


全部が感覚でわかる。


理由はわからない。


ただ――


身体が、

“その方が気持ちいい”と知っている。


打つ。


避ける。


踏み込む。


躱す。


シュッ。


タッ。


バンッ。


その全部が、

音楽みたいに身体を駆け抜ける。


「ハル先輩つよっ!!」


「今の見えなかった!!」


後輩たちが騒ぐ。


ハルはリングロープへもたれ、

スポーツドリンクを煽った。


ゴクッ。


喉が鳴る。


肩で息をしながら、

汗が首筋を伝って落ちる。


照明に反射した汗が、

鎖骨を細く光らせた。


その無防備さが、

妙に色っぽい。


男女問わず人気がある理由を、

本人だけが理解していなかった。



美谷島春(みやしまはる)。



大学三年。


アマチュア女子ボクシング期待の星。


身長163㎝ B90 W60 H95


天真爛漫。


負けず嫌い。


そして、

誰からも好かれる女。


だが。


ハルには昔から、

説明できない感覚があった。


音。


鼓動。


呼吸。


音楽を聴くと、

身体の奥が熱くなる。


リングへ上がると、

心臓が“何か”を思い出しそうになる。


最近は特に強かった。



夜。


一人の部屋。


静かな天井。


イヤホンから流れる音楽。


そんな時。


胸の奥が、

妙にざわつく。


何かを待っているみたいに。


何かに呼ばれているみたいに。


理由なんて、

わからないのに。



練習後。


ファミレス。


今日は減量制限オフの日だ。


ジュゥゥゥ……


鉄板の音。


ポテトの油の匂い。


ドリンクバーの氷が鳴る。


冷房の効いた店内に、

運動後の火照った身体が気持ちいい。


ハルはラフなパーカー姿で、

ソファへだらしなく身体を預けていた。


汗上がりの髪はまだ少し湿っていて、

首筋へ張り付いている。


その自然体な姿が、

妙に人をドキッとさせる。


「今日のハル先輩マジやばかったっす。」


「えー? そう?」


「カウンター完全に読んでたじゃないですか。」


ハルは笑う。


「なんか来るのわかったんだよね。」


「こわっ。」


店内に笑いが広がる。


その時。


音楽好きの男子部員が、

急に身を乗り出した。


「なぁハル先輩。」


「んー?」


「今度ライブ行きません?」


「ライブ?」


「LL。」


ドクン――。


ハルの胸が、

妙に跳ねた。


「……LL?」


初めて聞く名前のはずなのに。


なぜか耳に引っかかる。


男子部員が熱っぽく続ける。


「ライブハウスラボっていう地下箱なんすけど、

マジやばいギタリストいるんですよ。」


「へぇー?」


「音が意味わかんないんす。」


ハルが吹き出した。


「なにそれ!」


「いやマジで!」


部員は真顔だった。


「青いんすよ。」


「……は?」


「ギターの音が。」


店内が笑いに包まれる。


ハルも腹を抱えて笑った。


「いやいや意味わかんないって!!」


だが。


“青い音”。


その言葉だけが、

胸の奥へ妙に残った。


まるで。


遠い昔に聞いた言葉みたいに。


数日後。


ハルはLLの前に立っていた。


地下へ続く細い階段。


古びた看板。


壁に貼られた無数のフライヤー。


扉の隙間から漏れる低音。


ゴォォォォ……


腹へ響く重低音。


ハルの鼓動が速くなる。


「うわ……」


湿った空気。


酒。


煙草。


アンプの熱。


地下へ降りるたび、

空気が濃くなる。


まるで別世界へ潜っていくみたいだった。


スポーツの熱とは違う。


もっと危険で。


もっと生々しい熱。


扉が開く。


ギュアアアアアアンッ―――!!!


荒波みたいな爆音が、

全身へ叩きつけられる。


光。


熱狂。


歓声。


汗。


身動きできないほどの観客。


地下空間そのものが、

巨大な獣みたいに暴れていた。


ハルの身体が震える。


怖い。


なのに。


目が離せない。


視界の先。


ステージ中央。


黒いレスポール。


漆黒のBlack Beauty。


それを抱えた男。


「……あれが、りゅう。」


隣の男子部員が、

ハルの耳元で興奮気味に叫ぶ。


「ヤバいでしょ!? あの人マジ伝説なんすよ!!」


りゅう。


長い黒髪。


鋭い目。


静かな立ち姿。


なのに。


ギターを鳴らした瞬間、

空気そのものが変わる。


デュォォォォン……


深い。


青い。


熱い。


でも冷たい。


炎みたいなのに、

どこか深海みたいな音。


「りゅうさんのtone、“青い閃光”って呼ばれてるんす。」


男子部員の声が熱を帯びる。


「マジで魂ぶち抜かれるんすよ……。」


だがハルには、

もう半分も聞こえていなかった。


胸が苦しい。


呼吸が浅い。


心臓だけが、

異常なくらい脈打っている。


視線が離せない。


音が、

身体へ直接流れ込んでくる。


――なに、これ……


その時。


隣でもう一本のBlack Beautyが吠えた。


ギャリィィィィンッ!!


褐色の肌。


暴れる黒髪。


獣みたいにギターを掻き鳴らす女。


BB――アメリア。


汗に濡れた肌がライトを反射する。


腰を揺らしながらギターを掻き鳴らす姿は、

危険なほど官能的だった。


「で、あっちがBB!!」


男子部員がさらに熱くなる。


「最初“Black Beast”って呼ばれてた不良なんすけど、

りゅうさんが“Black Beauty”に変えたんすよ!!」


え――?


BB?


春の胸がざわつく。


その呼び名を、

どこかで聞いたことがある。


そして。


あの大柄でグラマラスな身体。


ギュアアアアンッ!!


アメリアのErotic toneが暴れる。


ハルが思い出そうとする記憶の糸を、

乱暴に引き裂くみたいに。


危険だった。


熱かった。


荒々しい。


なのに。


どうしようもなく美しい。


女の春ですら、

目を奪われるほどに。


「BBの音、マジ色気ヤバいんすよ……!!」


男子部員が何かを語っている。


だがハルの耳には、

もうほとんど入ってこない。


BB。


その二文字だけで、

ハルの呼吸が止まった。


演奏は続く。


二本のBlack Beauty。


青い閃光tone。


Erotic tone。


二つの音が、

空中で激しく絡み合う。


ギュアアアアンッ!!

ギュルルルゥゥゥン!!


……綺麗。


ハルは無意識に、

そう思っていた。


その瞬間。


ドクンッ!!


ハルの心臓が、

爆発みたいに跳ねた。


視界が白く揺れる。


知らない。


こんなの知らない。


なのに。


身体だけが知っている。


懐かしい。


熱い。


苦しい。


泣きそうになる。


リングの上で感じていた“鼓動”が、

今度は魂そのものを揺らしている。


拳の打ち合いじゃない。


なのに。


これは――


もっと深い。


魂のBeat。


春の瞳へ、

青いステージライトが映る。


その奥で。


ハルの奥底で。


止まっていた記憶が、

ゆっくり脈を打った。


BB……。


その記憶は――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る